軍都さがみはら探訪~矢部から淵野辺周辺をめぐる~を開催!

5月28日(日)に軍都さがみはら探訪~矢部から淵野辺周辺をめぐる~を開催しました。
今回紹介した軍都関係にかかわる施設は、相模陸軍造兵廠(現在の在日米陸軍相模総合補給廠)と旧陸軍兵器学校です。

相模陸軍造兵廠は昭和13年に開設した戦車、火砲の牽引車、砲弾等を製造したところで、東洋一の規模といわれ、当時2万人もの人が従事していました。残念ながら中には入れませんので、今回は矢部駅前周辺の造兵廠の碑や造兵廠内への線路の引込み線を見ました。
東洋一の規模とは言いますが、戦車の月産台数が20台にも満たなかったそうです。

造兵廠の戦車の月産台数は20台未満!

次に、旧陸軍兵器学校は昭和13年に東京小石川から移転してきた施設です。
今回は造兵廠との境となる西端側から北端側の弾薬庫跡、学校内にあった神社「細戈神社跡」、東門跡、正門跡、工科・兵器学校の碑を見学しました。今回は、旧陸軍兵器学校の敷地のほぼ全範囲を一周したことになります。

現在の大野北中学校の所に細戈神社がありました

昔の正門、本部棟付近にある「陸軍工科・兵器学校の碑」

その後、淵野辺駅から兵器学校正門に向うために造られた銀杏並木道を通り、淵野辺駅で一旦解散となりました。
ですが、今回はさらに希望者には、細戈神社が移転されている新田稲荷神社へもご案内しました。
ちなみに「細戈」(くわしほこ)とは、「精巧なる武器」という意味で、これは日本をあらわす別名に「細戈千足国」(くわしほこ ちたるくに=精巧な武器が十分ある国)に由来します。まさに兵器学校らしい神社名です。

細戈神社のある淵野辺新田の鎮守新田稲荷神社

現在の細戈神社・・・神社名の碑は昭和16年製

今は開発が進み、矢部~淵野辺周辺に戦時中のものはほとんど残っていませんが、今回ご案内してその当時を物語る痕跡はいくつも残っていることを知っていただくことができたと思います。

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