中庭の妖怪

博物館の中庭には様々な植物が植栽されています。その中で、正面入り口側のガラス壁沿いに、こんな植物が伸びてきました。

ヤブレガサの若葉

その名も、ヤブレガサ。若葉が破れた唐傘(からかさ)をすぼめたように見えることから名づけられました。眼玉を付けたら、妖怪“からかさ小僧”になりそうです。先週は、まだ若葉が開く前でこんな形でした。

芽を出したばかりのヤブレガサ

こちらもちょっと妖怪っぽい風貌ですね。
ヤブレガサはキク科の多年草で、丘陵や山地の樹林内で普通に見られます。梅雨のころには大きく伸びて、このようなかわいらしい花が咲きます。

ヤブレガサの花 背景は大きく展開した葉

小さな妖怪のような葉が、数か月で高さ1メートルくらいの植物に育つのも、ある意味“お化け”のようですね。
(生物担当学芸員)

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カンムリカイツブリの繁殖羽

4月7日、市内南区下溝の相模原沈殿池に行ってみました。すでに冬鳥のカモ類などの数は少なくなっていました。そんな中でも、大型のカイツブリの仲間であるカンムリカイツブリが美しい繁殖羽をまとって泳いでいました。

繁殖羽のカンムリカイツブリ

北方で繁殖するため、これから北帰行に旅立つはずですが、繁殖地に着いてすぐに繁殖できるよう、カモ類やカイツブリ類は越冬地でつがい相手を見つけます。このカンムリカイツブリは単独でしたが、どこかでペアになれるでしょうか。
ペアと言えば、ヨシガモがペアで泳いでいました。

ヨシガモのペア オス(左)とメス(右)

こちらはしっかり栄養をつけてから北へ飛び立つのでしょう。
一方、南からやってきたツバメが水面を叩くように水浴びしていました。

水浴びするツバメ

上空を飛ぶツバメは、羽毛をくわえていました。

羽毛をくわえて飛ぶツバメ

沈殿池にはカモ類などの羽毛が水際に打ち寄せられています。これを拾い集めて、巣材にするのでしょう。
春の風景があちらこちらで見られました。
(生物担当学芸員)

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フデリンドウが開花

4月5日、博物館周辺の樹林地の春を代表する花、フデリンドウが開花しました。場所は、博物館前のバス停と、博物館正面の間の歩道沿いです。

フデリンドウ 今年最初の花の一つ

昨日、歩道脇の同じ場所で咲くカントウタンポポについてこのブログでお知らせした際にはまだ咲いていませんでしたから、正真正銘、今年の一番花です。
しかも、お客様が一番見やすい場所から咲き始めてくれました。といっても、高さ5センチほどの小さな花です。じっくり目を凝らさないと見つかりません。

高さ5センチメートルほどの小さな植物です

まだ株も小さめですが、これから季節が進んで1週間くらいすると、1株に複数の花がつく大き目の株も咲き出すでしょう。広角レンズで、博物館の天体観測室をバックに撮影してみました。

天体観測室をバックに

フデリンドウは、これから2週間くらいが見ごろです。かつて、市域の雑木林の春を彩っていたはずのフデリンドウも、今は市内で見られる場所が限られています。博物館へお越しの際には、ぜひ探して見てください。
(生物担当学芸員)

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タッチから始まる遺跡のおはなし

遺跡を身近なものとして実感してもらうために、博物館はどのように取り組むべきでしょうか。日々なんとなく思案しており、土器を見たり石器を眺めたり、遺跡の現地や河原を歩いています。

考古学の視点では「現地・現物」を重視します。
すなわち、住まい(遺構)や当時の人が作成・使用した土器など(遺物)です。

橋本遺跡出土の縄文土器

一方、博物館への来館者を考えると、専門の研究者はかなり少なく大半が一般の方です。一般の方には、説明が乏しいと資料の重要性を把握しにくい場合があります。
かといって長々とした解説文は要領を得ないもので、情報量が多ければ多いほど、来館者の興味関心はみるみるうちに削がれます。

何を、どのようにしたら良いのでしょうか??

あまり難しく考えずに、実際に触ってもらおうと考えました。
名称は固くなく、一息で表現できるもの……「土器×2(どきどき)タッチ」としました。
「タッチ」はタッチパネルから援用しました。これだと小さい子から年配の方まで直感で分かるのでは。
当館収蔵庫にある土器から選定し、月1回程度2時間とし、令和5年の6月から
考古担当学芸員や博物館ボランティアの相模原縄文研究会と一緒にやってみました。

縄文土器(約5,000年前)

縄文時代の石器と平安時代の土師器(はじき)と須恵器(すえき)

令和5年度は全7回で、合計758名、令和6年度は全17回で合計2,000名近い参加者があり、一番多い日には257名の方が参加されました。

土器×2タッチの効果はどのようなものか、考えてみました。
・実際に触ることで、重さや質感、匂いなど直感で分かり、細かな文様にも気づきやすい。
・博物館のエントランスで、本物の土器を触ることで、地域の歴史の一端を体感できる。

さらには…
当館で土器を触った経験から、他館や他市の遺跡に関する展示、イベントにも興味をもってもらえるかもしれません。
また、小学校のお子さんや、中・高校生は、この経験から考古学を志すかもしれません。

なにげない「タッチ」ですが、遺跡への関心を高める取り組みとして重要視し、今後も継続していきます。
あまり肩肘張らず、何気なく手に取って実物をみる。遺跡を知るキッカケはそれぐらい気軽なものとして考えています。

今年度の実施予定を現在計画中ですので、詳細が決まり次第当館HPや、職員ブログでお知らせいたします。
(考古担当学芸員)

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こんなところに生えているけど、カントウタンポポ・・だよね?

博物館正面の歩道沿い、植込みの境界付近でもタンポポが咲き始めました。

歩道沿いに咲いたタンポポ

この付近に咲くのはほとんどが雑種(在来種のカントウタンポポ×外来種タンポポ)なので、これもそうだろうなと思いつつ花を裏返してみました。

付け根の緑色部分が、雑種であればまとまりなく開きますが・・この花はしっかりまとまっています

ん・・?これは、外見的には完ぺきなカントウタンポポです。カントウタンポポはお隣の樹林地内にたくさんあるものの、一歩、博物館の駐車場側へ入ると、雑種ばかりになります。一般的に、攪乱の多い場所は外来種や雑種、土地利用が安定した場所はカントウタンポポが優勢となります。
あまりにも疑いようのないカントウタンポポの外見だったので、花粉を採ってスマホに着けたクリップ式の顕微鏡レンズで観察しました。

スマホに着けたクリップレンズで撮影した花粉

花粉の粒の大きさがきれいに揃っているので、やはり、カントウタンポポでした。博物館ができて30年、土地利用が安定したということでしょうか。そういえば、同じような環境に生育するフデリンドウもいつの間にか、同じ場所で増えています。ちょっと嬉しい発見でした。
博物館正面入口のアプローチには、ヒトリシズカが咲き出しました。

ヒトリシズカ

この花は、見ごろが1週間程度の短い花期です。この週末が見ごろとなるので、ご来館の際には入口付近(正面向かって右側)に咲いているので探して見てください。
(生物担当学芸員)

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スライム・フラックスが・・見ごろ??

先月3月15日に実施した生きものミニサロンの際にはまだそれほど目立つ状態ではなかった、ミズキの樹液のスライム・フラックスが、盛大に増殖してきました。

駐車場に出現したオレンジ色の物体

これは、博物館駐車場のミズキを昨年伐採した切り株に、今年も春先になって樹液が表面に出続けました。ミズキはもともと枝の切り口などからも樹液が多く出る性質を持ち、それがミズキ(水木)の名の由来となっています。そこに、フサリウム菌などが増殖してコロニーを形成し、樹液酵母と呼ばれる状態になります。それが安定してくると、このようにオレンジ色の蛍光色となります。

触るとブヨブヨしています

さらにこの形状から、この状態になったものをスライム・フラックスと呼びます。

昭和のガチャで一世を風靡した、「スライム」そっくりです

自然界にはなかなか他に無い色合いなので、ちょっとグロテスクな感じです。でも、れっきとした野生の生きものです。この季節にしか見られないものなので、ご来館の際にはぜひご覧ください。博物館駐車場の、舗装側と未舗装側の境界の切り株に特に大きなものが見られます。
ちょっと異様な雰囲気の写真ばかりなので、同じミズキの、文字通り瑞々しい写真も・・崩芽したミズキの新芽です。バックは博物館の天体観測室です。

天体観測室をバックにしたミズキの新芽

春はめまぐるしくいろいろなトピックがあり、他にもたくさんあるのですが、それはまたこの次の投稿でご紹介します。
(生物担当学芸員)

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マルバスミレ

3月28日、博物館の駐車場(奥の未舗装エリア)に白いスミレの仲間が咲いていました。マルバスミレです。

マルバスミレの花

県内では、丘陵地や山地で普通に見られるスミレですが、博物館の敷地内ではこれまで咲いた記憶がありません。数はそう多くないものの、周辺の樹林地などには生育しているので、あっても不思議ではありません。しかし、パッと見て10株くらい咲いており、その数からすると昨年あたりはうっかり気付いていなかったのか、樹木の伐採などで眠っていた種子が一気に目覚めたのか・・いずれにしても、長年にわたって見続けているフィールドでもこうした“発見”が毎年あるので、身近な自然観察は楽しいのです。
開花が1か月ほど遅れてやきもきしていたカントウタンポポもやっと咲き出しています。

カントウタンポポ(3月28日)

先日のタンポポイベントでも無事に花粉を観察できました。
そして、博物館周辺でも近年ぽつりぽつりと咲いているシロバナタンポポも開花しました。

シロバナタンポポ(3月28日)

シロバナタンポポは、西日本に分布し、関東地方では自生しません。つまり、博物館周辺にあるものは国内外来種ですが、特に生態系への影響は少ないものと思われるため、そのままにして花を楽しんでいます。
4月1日の年度初めから数日にわたって冷たい雨が降る寒い日が続いていますが、また晴れた暖かい日には春の花が咲き進むことでしょう。
(生物担当学芸員)

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相模原市立博物館開館30周年のメモリアルイヤーがスタートしました!

あいにくの空模様で冬に逆戻りしたような寒さですが、4月1日を迎え、新たな年度が始まりました。以前のブログでもお知らせしたとおり、令和7年11月20日をもって開館30年を迎える当館では、この新年度に開館30周年記念事業を続々と実施する予定です。

館内も徐々に30周年記念仕様に変わりつつあります。
博物館の正面玄関には、今月から開館30周年記念ロゴがはためく“のぼり”を設置しました。皆さまをお出迎えしながら、開館30周年をしっかりアピールしています。

開館30周年のぼりが皆さまをお出迎え!

また、先日から当館ホームページでもお知らせしているとおり、開館30周年の特別なデザインの来館記念スタンプを1階情報サービスコーナーに設置しています。

当館1階情報サービスコーナーをチェックしてみてください!

30 周年記念の特別なデザインです!

このスタンプは、開館30周年記念ロゴを手掛けたikedariさんにデザインしていただきました。ikedariさんのコメントを紹介します。

ikedariさん:土器、桑の葉、河岸段丘など、博物館の展示資料をモチーフに描き、「相模原市立博物館らしさ」を発信するイメージで作成しました。

ご来館の記念に、ぜひ開館30周年記念スタンプを押していただきたいと思います。

さらに、このたび開館30周年を盛り上げるキャッチコピーが「30年の歩みを未来へ」に決定しました!今後は30周年記念ロゴとともに、様々な場面で皆さまのお目にかかる予定です。
当館がこれまでに歩んできた30年間の思いとともに、皆さまと未来へ進んで行きたいと思いますので、相模原市立博物館の開館30周年メモリアルイヤーをご一緒に盛り上げていただけると嬉しいです!

(歴史担当学芸員)

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女子中高生対象の日本固有のタンポポ調査実習を実施しました

3月29日、特定非営利活動法人アースウォッチジャパン(EWJ)と当館が主催する、女子中高生対象の日本固有のタンポポ調査実習を実施しました。これは、EWJが今年度から実施し、当館学芸員が協力している「日本固有のタンポポ全国調査プログラム」の一環として行われました。このプログラムにご支援いただいているRGAリインシュアランスカンパニー日本支店が理系女子の支援にも取り組まれていることから、今回は女子中高生を対象としました。
まずは、理系女子のロールモデルと言える、横浜国立大学の倉田薫子教授からタンポポ調査の目的や意義などについてレクチャーを受けます。

倉田薫子教授のレクチャー

続いて当館学芸員から在来種のカントウタンポポを花粉で識別する理論と方法の説明を受けた後、雨降る中でしたが、野外へ出てお隣の樹林地と駐車場でタンポポの花を採集しました。

やっと咲き始めたタンポポの花を採集

それを室内へ持ち帰り、花粉の顕微鏡観察を行います。今回は、ふだん当館で用いているダンボール紙を使った簡易プレパラートの方法ではなく、スライドグラスとカバーグラスを使ってプレパラートを作成しました。

今回はガラス製の器具をしっかり使って顕微鏡観察しました

サンプルが混濁しないよう、慎重に作業を進めます。

サンプルから花粉を取り出します

はじめは顕微鏡のピント合わせに苦労していましたが、すぐに慣れてしっかり花粉を観察、在来種の識別をできるようになりました。

若者は器具の使い方に慣れるのも早い!

お昼を挟み、キャリア教育プログラムに移ります。RGAリインシュアランスカンパニー日本支店のアクチュアリー(保険数理人)として活躍する社員の方から、この仕事へ携わるようになったきっかけや、仕事のしかた、キャリアアップのプロセスなどをお話いただきました。

国際色豊かな企業における仕事のお話に聴き入ります

また、倉田教授の研究室の学生やOBのお話がビデオで紹介されたほか、中高生の参加者それぞれが今目指していることなど活発なディスカッションが行われました。
そして最後は、バックヤード(収蔵庫)見学です。

興味津々の収蔵庫見学

博物館や生物に興味のある参加者がほとんどだったため、みなさん興味津々で見学されていました。
この日参加してくれた中高生のみなさんは、科学研究だけでなく、EWJの活動そのものに興味がある人、キャリア教育で通訳をしてくれたRGAリインシュアランスカンパニーの方の仕事ぶりに興味を持った人などそれぞれが多様な志向を持っていることがわかりました。社会の多様性を高めるために、こうした活動が重要であることを改めて感じることができました。
(生物担当学芸員)

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【新規収蔵資料紹介】尾崎愕堂の書

3月18日(火)、本市が誇る郷土の偉人・尾崎行雄ゆかりの資料の寄贈を受けました。このブログのタイトルにもあるとおり、尾崎の筆による扁額です。

尾崎愕堂 筆「天空」(当館所蔵)

尾崎行雄(安政5(1885)~昭和29(1954)年)は、相模国津久井県又野村(現在の相模原市緑区又野)生まれの政治家で、明治23(1890)年の第1回衆議院議員総選挙にて初当選して以降、連続当選25回、通算議員在任歴60余年の間、民主主義と国際平和のために尽力した人物です。その功績から「議会政治の父」、「憲政の神様」と称され、生前には憲政功労者として衆議院から2度の表彰を受けました。また、長きにわたる政治人生において、文部大臣、東京市長、司法大臣の要職を歴任しました。

司法大臣就任時、大礼服姿の尾崎行雄[大正3(1914)年](当館所蔵)

当館では、郷土の偉人である尾崎に関わる様々な資料を収集し、後世に伝えるため保存・活用しています。昨年は、令和5年度に受け入れた新規収蔵資料をお披露目するミニ企画展を開催し、多くの方に尾崎ゆかりの当館所蔵資料をご覧いただきました。

新規収蔵資料の様子(令和6年6月1日~30日開催)

ありがたいことに、こうした当館の取組を知った方々から新規収蔵資料展の後も引き続き寄贈の申し出をいただいており、冒頭で紹介した扁額を新たに受け入れることとなりました。

ところで、本市には尾崎の生誕地に建つ市立尾崎咢堂記念館があり、尾崎の雅号(=ペンネーム)といえば施設の名称にもなっている「咢堂」が有名です。しかし、今回寄贈を受けた書の署名は「愕堂」で「忄(りっしんべん)がある…?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

署名を拡大すると「忄」が確認できます。

尾崎行雄は生涯で5つの雅号を称しており、「咢堂」も「愕堂」も尾崎の雅号です。
雅号の変遷を以下の表にまとめました。

雅号 年代 由来など
琴泉(きんせん) 20歳前後 琴の音と泉の流れとの相似た連想から。
学堂(がくどう) 明治15(1882)年~ 学問は学校だけのものではなく、一生いそしむべきものと考えたから。
愕堂(がくどう) 明治20(1887)年~ 退去命令(保安条例第4条)に驚愕したから。
咢堂(がくどう) 明治45・大正元(1912)年~ 年をとって心力の衰えを悟り、「忄(りっしんべん)」を取った。
卆翁(そつおう) 昭和22(1947)年~ 90歳となったから。「卆」は「卒」の異字体で、いよいよ一兵卒の齢になって終わるという意。

「愕堂」は尾崎が名乗った3つ目の雅号で、元土佐藩士の政治家・後藤象二郎らとの会合で放った発言が「保安条例」に抵触したために命じられた、明治20(1887)年12月の東京退去に驚愕したことに由来します。その後、明治から大正にかけて「愕堂」を称しますが、やはり次の雅号の時期が長かったためか、館蔵資料は「咢堂」と署名されているものが多くを占めます。このたびは、当館で数少ない「愕堂」時代の書を寄贈いただいたのです。

寄贈の際に伺ったお話によると、この扁額は東京で商いをしていた寄贈者の父が仕事の過程で入手したものと伝えられており、以降ご自宅で大切に飾られていたそうです。長い年月を経て、尾崎の生誕地である本市に資料が寄贈されたことに深いご縁を感じました。
力強く書かれている文字は「天空」。血気盛んな壮年期の尾崎の高い志を表現したのでしょうか。

今後も郷土の偉人・尾崎行雄に関する資料を幅広く収集し、いずれ皆さまに新規収蔵資料をお披露目できる機会を設けたいと思います。

(歴史担当学芸員)

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