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2026年3月

初の県予選トーナメント優勝するまでの秘話

今月から、今までの裏話や現在の活動について書こうと思います。

デイケアで始めた卓球でしたがデイケアで1位を目指すときに私がまずしたのは、軽いウォーキング→スロージョギングタイムのばしていく、最終的にはジョギングで一時間半可能になったときに、圧倒的にフットワークが良くなりボールが追いかけられるようになりました。

その他もサーブの種類を増やし、そこからの三球目攻撃やサーブレシーブを強化することで、デイケアでは絶対王者となりました。

その後は公民館の卓球解放で色んな方の回転をレシーブで体感し、合う方と個人利用で練習しました。

この頃は、まさか大会に出ようと思いませんでした。

回転の奥深さや騙し方、相手との距離が近いため瞬時のレシーブや展開判断も培ってきました。

次第に試合が好きになり、デイケア対抗戦でも団体戦エースになるにつれ、のちの当団体の練習拠点になるけやき体育館を知り、実は卓球のみではなく、そこからサッカーやバトミントンも楽しむようになりました。

その関わりのなかで、デイケア対抗戦でソフトバレーをやるということになった際にキャプテンに任命され、同体育館のバトミントン団体が借りた後に余った時間があるので、館長とその代表に相談した結果、二つの団体として借りることができ、設立当初は実は団体競技はソフトバレーでした。

そこで、少人数メンバーでの団体競技の団体運営の難しさに直面し、デイケア交流大会終わった後は、個々の体調が変わっても少人数で出来る個人競技、卓球に変わったのです。

団体運営も卓球競技としてもそこから本格的にはじめることになったのですが、まだ上級思考の高いメンバーが少なかったので、掛け持って社会人サークルのレベルを合わせ、己のレベルを分析し、ステップアップし振り返り課題をみつけ、どの練習方法が良いか参考書や上手い方を見習って筋トレも取り入れ、重量をあげていくのでは筋肉大きくなりアジリティ下がることを気付き、体幹トレーニングやケーブルマシン、ラダーの練習したいため、週一陸上の練習も混ざりました。

お世話になった師匠の話やデイケアの仲間の応援を受けてのそこまでは卓球教室を利用せず、いざ県大会予選です。当時 2019年

予選前日は、眠れず当日配られた予選トーナメント表を見たら、相模原の選手が私しかおらず観戦席からも藤沢や厚木が選手もサポーターも多い完全アウェイな状況でした。

卓球は3セット先取の最高5ゲームなのですが準決勝では座間の選手が強く、フルセットでの戦いになりましたが、なんとか勝ち抜き決勝ではストレート勝ちをすることができました。

今思うと地道な体力作りの土台に色んな球を臆せず受け、そこから得た振り返りを欠かさず、部活経験者と比べたら少ない練習量を大事にし、レベル上がった際に満足せず次のクラブにいって様々な方に世話になったことが結果に繋がったのだと思います。

個別の練習方法は口では説明できないので、ぜひ練習会で、お会いしましょう!?

2026年4月

コロナにより選手内定した鹿児島全スポが流された話

コロナにより全国大会が鹿児島その次の三重と流れ、2022年の栃木開催まで流されただけではなく、活動停止や練習が出来ない事態となりました。

しかし、相模原の担当者から相模原の希望と言われたこともあり全国大会への思いやモチベーションは下がりませんでした。

卓球をやっても金にもならないと横やりも飛びましたが精神部門は世界がないので国内の最高峰である全国大会で優勝するまで粘り強く頑張ろうと決心してました。

2026年5月

栃木開催での秘話

ビリヤードのある旅館の宿舎で、卓球選手団も緊張のムードが和らぎました。

翌日の選手団ごとの公開練習ではやはり全国レベル、皆さんミスの少ない高度な個別練習をしてました。

それを和らげるために私が取ったことは、積極的に他団体とも声をかけることでした。

そこで、後の長い付き合いにメンバーにもなる川崎市代表と仲良くなりました。

初戦の控え室はコーチと縦に対戦相手と座るのですが、顔面蒼白だった私にたまたま隣の台の同時開始だったため横の列に座ってた川崎市代表が音楽を聴いた方が良いですよって言われるくらいでした。

しかし、試合になればサーブが持ち味の私はいつものルーティン、ボールを台に二回バウンドさせて、プレーを取り戻しました。

最終的には、圧倒的な強さの徳島県代表に粒高という異質のラバーの使い手にストレートで、負け銀メダルとなってしまいましたが、悔しさと共に全国での交流はかけがえのない自信と思い出に変わりました。

2026年6月

まさかの県大会決勝で敗れ、鹿児島全国大会選考落選

2023年には私は今年は何が自分に出来るのかまた、同じく私よりきついであろうトーナメント戦ゆえの厳しさ一回戦負けで悔しがる選手に目を向けました。

また、この頃の選考会でも精神では相模原選手がいない課題やレベルに合わせたリーグ総当たり戦その後の下位トーナメントと上位トーナメントで勝敗も決めること、指導台、それを健常者も混ぜた共生社会の実現という盛り沢山の企画に取り掛かり、福祉組織に信用度をあげるために収支報告書を持ってお堅い行政機関、市や社会福祉協議会に後援説得をブラッシュアップして重ねるのですが、前例がない成功できるのかと難航したところ、振興の必要性や社会意義の高い、難しいからこそ卓球協会の会長に頭を下げ、協力団体に頭を下げ根回しもし後援を取り付けることができました。

しかし、全国大会より強いプレッシャーや困難はそこからがスタートでした。

従来の市の広報やFMラジオでは全く参加者が集まらず、開催が危ぶまれるほどの絶望的な状況に直面しました。

『努力が無駄になるかもしれない』と、何度も心が折れそうになりました。

団体の代表として、色々と巻き込んでお金返して中止と、ここで投げ出すわけにはいかないと自分を奮い立たせ、従来のやり方に固執せず、未経験だったSNSマーケティングを必死に勉強し、柔軟に告知方法を切り替えました。

地道に福祉と一般のターゲット層への大会理念理解、アプローチを続けた結果、最終的には定員を満たして大会を大成功に導くことができ、この経験から、『どんなに困難で心が折れそうな状況でも、当事者経験を持って泥臭く手段を考え抜けば、必ず突破口は開ける』という強い自信を得ました。

その後、鹿児島まで全国大会にお忍びで観戦旅行をして選手団を驚かせたこと全国の選手と交流、県議との交流、若者との交流、今は奈良市議となったへずまりゅうとの福岡寄ったときの出会いなど、旅の話は割愛します。

2026年7月

色んな困難を抱え悲願の全国大会優勝

2024年には、実家義父との関係悪化で実家を追い出され、仕方なく利用したクレカで自己破産、無料宿泊所手前の住宅困難配慮者として市議と意見交換していました。 

生き抜くために練習どころではありませんでした、しかし持ち前のスマホが停止になる前に問題解決能力、ロードマップが役に立ちました。

知人の借り場を住宅扶助なしとしての引っ越すまでとした生活保護開始、家賃の上限が都内より低いため八王子に決心して引っ越すことになりました。

この経験で当事者に言いたいのは、情報が溢れてる色んな支援団体が存在するなかで、憲法の最低限度の生活への突破口は必ず見つかること、またサービス福祉の精通し提言して、障害スポーツで地域に知られてる私でも恥ずかしいとか思わず助けてと周囲に言ったことで救われること、希望を諦めないでほしいと思います。

話はスポーツと脱線しましたが、大変な思いをし、でも選手は内定されたので八王子に引っ越した後の強化練習をより、今までの集大成を出せるようなフットワークも落ちた状態で、挑みました。

試合でも危機があり、2セット取られて後がないなかで、アニメのように回想をすることなく、集中度をあげて、ずっと相手の弱点を模索してましたその2セットの中で、大逆転することに成功しました。

壮絶なスポーツ運営と選手生活でしたが、今は障害見開示でクローズ就労が叶ってます。

生活保護も廃止で一人暮らしで自立してます。

細かい話をすれば語りきれはないですが、今は力を抜くことを覚え、より精神力が強くなり体調も安定したことが社会復帰が叶ったと思います。

スポーツ分野ではほとんど夢を叶えたため、今後は資金をため、当事者である私が進まない精神障がい者雇用を作れる新たな事業モデルを作れるように、尽力したいと思ってます。