令和元年(2019年)最後の『清新みははし歴史散歩』。
次回は1月に中学校の『歴史散歩』をアップしますご期待下さい。
南橋本エリアの小学校の歴史を散歩する前に、1947年(昭和22年)学制改革前の小学校の学年の変遷を散歩してみたいと思います。皆さんご存じでしたか?
下の表の通り、尋常小学校、尋常高等小学校、国民学校、現在の呼び名と変わります。
入学時 |
1900年 |
1907年 |
1941年 |
1947年 |
小学校令 |
小学校令 |
国民 |
学制改革 |
|
6歳 |
尋常 |
尋常 |
国民学校 |
小学校 |
7歳 |
尋常 |
尋常 |
国民学校 |
小学校 |
8歳 |
尋常 |
尋常 |
国民学校 |
小学校 |
9歳 |
尋常 |
尋常 |
国民学校 |
小学校 |
10歳 |
高等 |
尋常 |
国民学校 |
小学校 |
11歳 |
高等 |
尋常 |
国民学校 |
小学校 |
12歳 |
高等 |
高等 |
国民学校 |
中学校 |
13歳 |
高等 |
高等 |
国民学校 |
中学校 |
参考文献:Wikipediaの尋常小学校より
◆南橋本エリアの小学校は、年代と共に、旭小学校⇒清新小学校⇒小山小学校と変わってきました。
戦前、戦中、戦後の歴史を振り返ってみたいと思います。
年 代 |
南橋本 |
沿革のコメント |
1873年 |
学舎 |
清兵衛新田に一家屋を建て学舎を開く |
1875年 |
小山学校 |
小山学校となる |
1902年 |
相原尋常 |
相原尋常高等小学校の設置 |
1903年 |
相原村尋常 |
相原村尋常高等旭小学校と改める。 |
1906年 |
4月15日開校式、この日を開校記念日とする。 |
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1941年 |
旭国民学校 |
旭国民学校と改称 |
1945年 |
大河原は旭、大河原以外の清新地区は、旭第二分教場(現:向陽小学校)に通学 |
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1947年 |
旭小学校 |
旭小学校と改称 |
1948年 |
旭小学校 |
旭第二小学校(現:向陽小学校)の設置 |
1954年 |
向陽小学校 |
向陽小学校清新分校(現在地)の設置 |
1955年 |
清新小学校 |
独立して清新小学校として開校 |
2003年 |
小山小学校 |
清新小学校の生徒数大幅に増加のため、清新小学校から分かれて、小山小学校が開校 |
関連リンク先:清新公民館ホームページ「清新小学校の誕生から」
関連リンク先:清新公民館ホームページ「フレッシュ!小山小学校」
http://www.sagamihara-kng.ed.jp/kouminkan/seishin-k/chiiki_rekisi/top.html
◆尋常高等小学校/国民学校時代の小学生の持ち物、服装など
戦前 |
学用品/ |
風呂敷かズック製の肩掛けカバンに入れ、ランドセルはごく一部の子 |
服装 |
木綿の棒縞の着物、寒いときはメリヤスのシャツに股引(ももひき)をはき、綿入れの羽織を重ねて、木綿の足袋 |
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服装 |
木綿のニコニコという生地でできた元禄袖の着物に兵児帯 |
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弁当 |
アルミ製の弁当箱に麦飯まじりのご飯を入れ、削り節、梅干し、海苔、塩じゃけ、たくわん等を添えた簡単なおかず |
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戦時中 |
学用品/ |
多くが肩掛けカバンになり、風呂敷包みは少なくなった、ランドセルは数人 |
服装 |
着物から洋服に変わり、過渡期は上が着物で下がズボンもみられた |
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服装 |
カーキ色の国民服 |
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服装 |
標準服にモンペ |
※元禄袖(げんろくそで):袖丈が短く,袖の丸みが大きい。
※兵児帯(へこおび):元々は男性や子どもの普段着に締めるもの。並幅布を2,3重に回し後ろで結ぶ(お)
[参考文献:1984年11月せいしん(清新小学校創立30周年を祝う会記念誌)]
[参考文献:2002年3月清新のしるべ(昭和編)]