れっつごー! 日本の名城散歩(織田信長の城編)#4

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今回は、「日本100名城」のうち「織田信長に関連するお城」についてご紹介したいと思います。

戦国武将に興味がない方でも、一度は耳にしたことがある名前ではないでしょうか。
また、「冷酷無比」な人物との説もあり、好き嫌いが分かれる戦国武将かもしれません。
とは言え、良くも悪くも有名な「織田信長」が関連したお城については、以前の自分もそうでしたが、「“安土城”以外はあまり知られていないかもしれない」と思い、今回テーマに選ばせていただきました。

今回も最後に「Google Earth」を使用した動画もありますのでお楽しみください。

今回ご紹介するお城は

  1. 名古屋城(那古野城)
  2. 清洲城(日本100名城ではありません)
  3. 岐阜城
  4. 安土城
  5. 小谷城

では、本題の「日本の名城散歩(織田信長の城編)」を始めるとしましょう。

 

《1.名古屋城》  愛知県名古屋市

【訪問記】 訪問日:2017年9月

名古屋城」は“徳川秀忠”が築いたもので、大阪城にいる「豊臣家」の監視目的で築いたとも言われています。
しかし、現在の「名古屋城」には、前身のお城があり「那古野城(なごやじょう)」と表記され、現在のお城の「二の丸」あたりにあったようです。後に“徳川秀忠”がお城を築く際に取り壊してしまったそうです。
今回は前身の「那古野城」についてです。今川家が築城、後に織田家が居城とし「織田信長」自身初の城主となったお城だそうです。このころの信長は、「尾張の大うつけ(大ばか者)」と言われていたとか…。
残念ながら、訪問時に私は「那古野城」のことは知らず、説明板も見ずにスルーしてしまいました。下調べは大切だぁ~無念(泣)。当然撮影した写真もありません。その代わりといってはなんですが、「Google ストリートビュー」を使って、現在の天守から「那古野城跡」への動画を作ってみました。良かったらご覧ください。
ちなみに、佐賀県に「名護屋城(なごやじょう)」というお城跡がありますが、これはまったくの別物です。
《おまけ》「現天守から那古野城跡へ」

(2分00秒)

 

《2.清洲城》  愛知県清須市

【訪問記】 訪問日:2017年11月

このお城は、「日本100名城」、「続日本100名城」には選定されていませんが、織田信長関連のお城としては外せないと思いご紹介させていただきます。
このお城は、信長が今川軍の多勢に対し、無謀ともいえる少数の兵で戦い勝利をおさめたことで有名な「桶狭間の戦い」の際に居城とした城だそうです。ここより出陣して戦で勝利したようです。現在の天守は想像で再現されたようですので「復興天守」にあたるでしょうか。私見ですが、見た感じは「安土城」の天主想像図にチョットだけ似ているなぁ~。
また、信長の死後「清州会議」の場であったことも有名ですね。

 

《3.岐阜城》  岐阜県岐阜市

【訪問記】 訪問日:2017年9月

標高329mの金華山の山頂に築かれたお城です。「美濃のマムシ」と言われた戦国武将「斎藤道三」が元からあったお城を整備したのち、「織田信長」が居城としたそうです。(元は「稲葉山城」といい、信長が「岐阜城」と名を改めたそうです。)山頂付近までロープウェイで行くことができますが、麓から登山道もあるようです。
私は当然…ロープウェイという現代の便利な産物を遠慮なく使わせていただきました。(笑)
このお城は「織田信長」が天下統一を目指し「天下布武(てんかふぶ)」を宣言した場所でもあるそう。残面ながら夢破れてしまいましたが、「織田信長」の名前が全国に知れ渡るようになったのもこの頃からとの説があります。訪問時は小雨が降るちょっと残念な天気でしたが、霧の中からギリギリ天守の写真を撮ることができました。

 

《4.安土城》  滋賀県近江八幡市

【訪問記】 訪問日:2017年11月

織田信長が「天下布武」を推し進める中で、居城とした城であることは有名ですよね。五重七層の絢爛豪華な天主があったそうです。(一般的には「天守」と表記しますが、信長は「天主(神の意味があるとか)」の文字を使っていたそうです。)当時としては壮大な規模のお城で権力を見せつけようとしたのでしょうか。
また、後のお城作りの礎となる、「石垣」作りの台の上に「天主」を築き、「虎口(城の入り口)」に「枡形(敵の攻める勢いを削いだり、攻めてきた兵に一斉攻撃を仕掛けるための構造物)」を作るなどした先進的なお城だそうです。型にはまらず破天荒な事が好きだったといわれる「織田信長」らしいですかね。
さらに、当時としては大変珍しいことと思いますが、天主を中心にお城全体を提灯でイルミネーションのように飾ったこともあるとの記録もあるようです。
写真の石段を私も登りましたが、普段の運動不足を思い知らされる結果となってしまいました。石段の途中には、石の代わりに「石仏」が使われている場所もありました。さすがに踏むことはできませんでしたが…。

 

《5.小谷城》  滋賀県長浜市

【訪問記】 訪問日:2017年11月

おだにじょう」と読みます。
このお城は、「織田信長」の居城ではないのですが、信長の妹「お市の方」の嫁ぎ先(相手は「浅井長政」)で、後に信長との間で悲しい出来事が発生してしまったお城です。
その出来事とは・・・
信長と浅井長政とは義兄弟であり良好な関係にありました。しかしあることをきっかけに、「浅井長政」が越前国(現在の福井県北部)の「朝倉」氏側に付かざるを得ない状況になり、「織田信長」とは〝義兄弟″間での悲劇の戦となってしまったのです。(織田と朝倉はもともと対立関係にありました)信長は小谷城に攻め入りました。「お市の方」は城を脱出し無事でしたが、「浅井長政」は切腹し「浅井」家は滅亡してしまいました。
さて、このお城は、巨大な山城(山頂などに作られたお城)です。建物は残っていませんが、曲輪(くるわ)や土塁(どるい)などは多数残っており、一見の価値はあると思います。

 

では最後に、以下の▶印をクリックして、”日本の名城散歩”へ行ってらっしゃ~い。(ま)

(2分30秒)