プロローグ:品さんの「街道を行く」江戸五街道完歩の記録

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gokaidou hajime

◆南橋本1丁目にお住まいの品田さんが、6年間をかけて「江戸五街道」を踏破されたとお聞きしました。

 当シリーズでは、旅の中の出会いや風景など思い出の数々をお裾分けいただくつもりです。

 東海道から順に歩を進めて参りますが、途中若干の休憩なども必要かも知れません事、予めご容赦をお願いします。以下、品田さんの手記を記事化したものです。

◆2014年3月1日から東海道を皮切りに、甲州道・奥州道・日光道と続け、2020年1月4日中山道を歩き終えました。
・東海道   492km  36日間
・甲州道   210km   9日間
・奥州道    84km   4日間
・日光道   144km   7日間
・中山道   500km  25日間
合計   1,430km  81日間

◆貫き通したことは・・・
①電車移動は、普通電車のみ
②必ず一人で歩く
③仕事は休まない

◆始めたキッカケは・・・
8歳年上の知り合いから「東海道53次を歩いている」と聞かされ、とにかく「すごいな!」と刺激を受けると同時に、自分にもできるかも知れない、と思った。人生は楽しく過ごしたい、歩く事は足腰の衰えを防ぎ脳への刺激にもなる。当時66歳、気力・体力が残っているうちに53次を歩いてみよう!!

◆携行品
リュックは極力軽いもの、道路地図(図書館から借用)、観光マップ(観光協会から取り寄せ)、ランチ、音楽プレイヤー、バンドエイド、ボラ〇ノール、免許証

◆突然ですが、ここでクイズ(難読地名)です
知立、御田、醒井、池鯉鮒、各務原、馬流、丸子、美合、可児・・・読んでみて下さい。

これらが読めた人は、よほど旅好きなんでしょう・・・正解は、旅日記の中で確認あれ。


◆東海道中 その1 日本橋から平塚◆


2014年3月

1日 日本橋→品川 9km 120分
AM8:00 五街道全ての起点となる日本橋に立った。東海道492kmを歩く「歴史街道の旅」第一歩を感慨を込めて踏み出した。途中、泉岳寺に立ち寄って道中安全祈願。

5日 品川→川崎 12km 190分
品川駅を過ぎると利田神社がある。境内には「鯨塚」があり捕鯨銛が置いてあった。昔ここから捕鯨船が出航していたのだろう。大森、蒲田を過ぎ六郷橋を渡ると神奈川県に。

21日 川崎→東神奈川 8km 110分
京浜急行、生麦駅近くに「生麦事件発生現場」がある。島津藩の大名行列を乱した英国人を島津久光の配下が無礼討ちし、薩英戦争へと繋がった場所である。


2014年4月

26日 東神奈川→保土ヶ谷 8km 110分
新子安駅近く車の往来が激しい国道15号線を歩く。横浜駅手前を右に折れ、JR東海道線を越えて住宅地の旧街道を行く。安藤広重の「神奈川台之景」の絵がかかっている。


2014年5月

3日 保土ヶ谷→戸塚 8km 110分
保土ヶ谷駅を過ぎると国道1号線に合流する。旧東海道は、ここから京都までこの国道1号に沿って合流・交差しながら続いている。やがて箱根駅伝で有名な「権田坂」へ。難所の坂と聞いていたが、自分的にはそれほどとは思われず。

14日 戸塚→藤沢 8km 110分
ブリジストンの会社近くに「江戸方見附跡」の石碑。戸塚駅を過ぎると「上方見附跡」の標柱。この地域の東京側の入口が江戸方、京都側のそれが上方と呼ぶらしい。言葉使いが奥ゆかしい。

31日 藤沢→平塚 13km 160分
辻堂から茅ケ崎への途中、小田原から歩いて来たという男性と出会う。53次を1日30km以上、2週間で踏破すると言う。更に進むと「左富士之碑」が立っている。残念ながら本日曇天、秀麗富士は雲の中。


ここまでで3か月が経過しています。

多くの方々がこの街道を踏破されていて、情報も沢山ありますが「そぞろ神のものに付きて心をくるわせ、道祖神の招きにあいて取るもの手につかず・・・・」<人を誘惑する神様が自分に取りついて、道祖神が手招きしているように思えて何も手につかない状態で・・・の意>(松尾芭蕉:奥の細道)の心境になられた方もおられるのでは?

と、こんな調子で筆を進めてまいります。主だった場所にはリンクを張ってあります。お楽しみ下さい。
では、次回以降定期的に投稿いたしますので、おつき合いのほど、宜しくお願いいたします。

なお、このシリーズの次作(東海道中その2)をご覧になりたい方は、下の→をクリックして下さい。

tsugino kizi2

(続く)