れっつごー! 日本の名城散歩(神奈川編)#3

Pocket

今回は、「日本100名城」、「続日本100名城」のうち「神奈川県のお城」についてご紹介したいと思います。

「ウィズ・コロナ」と言われる時代となり、少し前の日常生活とは違い、新しい生活様式を求められて久しいこの頃です。そんな中、気分転換に日帰りで行ける私たちの地元「神奈川県」のお城をご紹介したいと思います。
訪問される際には、「新型コロナウィルス感染予防対策」の徹底をお願いします。

今回も最後に「Google Earth」を使用した動画もありますのでお楽しみください。

今回ご紹介するお城は

  1. 小田原城
  2. 石垣山城
  3. 小机城

では、前置きはこれくらいにして、本題の「日本の名城散歩(神奈川編)」を始めるとしましょう。

 

《1.小田原城》  神奈川県小田原市

【訪問記】 訪問日:2016年10月

当時、ほぼ関東を支配した「後北条家」が居城としたお城です。(当時の城の主要部は、東海道線を挟んだ北側にあり、後の時代に現在の場所に移されたそうです。)余談ですが「後北条家」は、実際は「北条家」なのだそうですが、なぜ「後」がつくのでしょう。実は、鎌倉時代の「幕府の執権・北条家」と区別するための呼び名のようです。
このお城の天守は昭和35年に復興されたものです。それまでは天守台のみだったそうですが、実はそこにはお城としては珍しく「あるもの」があったそうです。何でしょうか?
答えは「観覧車」です。おじいちゃん、おばあちゃんに聞くと、もしかすると写真をお持ちかもしれませんよ(笑)。また、天守の前の「本丸」には小ぶりな「動物園」もあったとか。
お城としては「総構(そうがまえ)」が有名です。「総構」とは「後北条家」5代の歴代城主がお城の周りに、「空堀(からぼり※1)」や「土塁(どるい※2)」で、城壁代わりの総延長9キロにおよぶ防衛施設として築かれたものです。豊臣秀吉の小田原攻めでも3ヶ月に及ぶ「籠城戦(ろうじょうせん)」を可能にしたのも、この施設のおかげのようです。
小峯御鐘ノ台大堀切」に行ってみると堀の深さ(底から見たら高さ)に圧倒されました。

 

《2.石垣山城》  神奈川県小田原市  【続日本100名城】

【訪問記】 訪問日:2018年5月

「小田原城」と目と鼻の先にある小高い山にあるお城です。(双方のお城から肉眼でも見える位置にあります。(小田原城からは、目印が無いため「あの辺かなぁ~」ですが。)
このお城は「石垣山一夜城」とも言われます。豊臣秀吉の小田原攻めで、小田原城を攻めあぐねた秀吉が、小田原城から見える山の頂に城を築き、圧倒された後北条氏を降伏させた、とされるお城です。「一夜城」とは言っても、一晩で築かれたわけではなく、実際には完成までに約2か月半は要したようです。(それでも十分早い気はしますが…)
ではなぜこの間、後北条氏に気付かれることなく築城することができたのでしょうか?
一説には、山に元々生えていた木々が築城作業の目隠しとなり、小田原城からは見えなかったのではないか。完成後に周囲の木々を切り倒したため、突然お城が現れたように見えたのではないか。とのことです。(この説の元ネタは、番組名は忘れましたがテレビ番組です)今でも行ってみれば周囲には木々がかなり生えており、「この説もありかなぁ」と感じます。
う~ん…本当のところは???

 

《3.小机城》  神奈川県横浜市港北区  【続日本100名城】

【訪問記】 訪問日:2018年5月

このお城はJR横浜線・小机駅から徒歩約10分で行けるところにあります。広さはさほどではありませんが、見所は幅広く深い「空堀」や立派な「土塁」があることです。写真も「空堀」の一つを撮影したものです。建物はありませんが、模擬復元された「冠木門(かぶきもん)」がありました。
このお城は「後北条」氏が元からあったお城を再構築したもののようです。「後北条」氏が関東を手中に治めるために地元武士達を支配する目的で配置した、小田原城の支城(小田原城を「本店」とするなら「支店」に相当するもの)の一つとのこと。
しかし、残念なことに、現在はお城の中を「第三京浜」がまっすぐ貫いております。

【本文中の用語の説明】
※1 空堀(からぼり):
地面を掘り、溝状のくぼみを作成したもの。水は張られていない。水が張られたものは「水堀」という。
※2 土塁(どるい):
堀などを掘った際にでた土を「郭(くるわ)」の周囲などに盛り上げて作った壁状の土手のようなもの。

 

では最後に、以下の▶印をクリックして、”日本の名城散歩”へ行ってらっしゃ~い ませ。(ま)

(1分36秒)