今回は、「日本100名城」のうち「立派な石垣があるお城」についてご紹介したいと思います。
「お城」には付き物の「石垣」は、大きく以下の、“加工法”で3種類と“積み方”で2種類があります。(もっと細かく分類する場合もありますが…)“加工法”x“積み方”で全6種類となります。
(例:打込接(乱積)、切込接(布積)などとなります。ただし、野面積み(布積)はおそらくないのかなぁ…と思います。)
【石の加工法による分類】
・野面積み(のづらづみ)
積む石の加工はほとんど行わず、そのまま積み上げていくもの。
・打込接(うちこみはぎ)
石と石の接合部を多少加工し、隙間を減らしたもの。できてしまった隙間には、
小さ目な石をつめたもの。
・切込接(きりこみはぎ)
積む石を削るなど精密な加工を施し、接合部の隙間を極力無くしたもの。
【石の積み方による分類】
・乱積(らんづみ)
積んだ際に隣り合う石の上辺・下辺を揃えることなく積む積み方。
(簡単に言えば、見た目を無視(せざるおう得ない?)、とにかく工期優先か?)
・布積(ぬのづみ)
乱積とは逆に、上辺・下辺を揃えて見た目に石が横一直線に並んで見える積み方。
(乱積みに対して、「見た目」勝負でしょうか)
概ね、各分類の上から下の順で築城の年代が新しくなります。また、一つのお城でも石垣の
修復、増築などの年代差により、複数の“加工”、“積み方”が存在したりします。
お城の訪問時には、天守・櫓などの建物はもちろんのこと、石垣にも目を向けると面白いかもしれませんね。
なお、全国各地には立派な石垣があるお城が多数ありますが、私が未訪問ということで今回対象外とさせて頂いたこと、また数多くの中からの選定は私の独断と偏見であることをご容赦願います。
今回も最後に「Google Earth」を使用した動画もありますのでお楽しみください。
今回は、「Google ストリートビュー」の画像を入れてみたため、いつもより長くなっております。(4分07秒)
“もし、自分が空を飛ぶことが出来たらこんな景色なのかなぁ~” って感じで、空の旅をお楽しみください。(もちろん、〝地球全体“は見ることが出来ませんけどねぇ…(笑))
《今回ご紹介するお城は》
- 金山城
- 伊賀上野城
- 岩村城
- 金沢城
- 大阪城
では、本題の「日本の名城散歩(石垣の城編)」を始めるとしましょう。
今回は、テーマが “石垣” であるため、各お城の紹介は“石垣”を中心としたものとなっています。
《1.金山城》 群馬県太田市
【訪問記】 訪問日:2016年11月
写真は“大手虎口(お城の正門入り口)”なのですが、両側の石垣が立派です。注目は足元です。石畳みのごとく通路にも石が敷かれているのです。(写真では少し分かり辛いかもしれませんが)このお城では、とにかく「これでもかぁ~」とあらゆる所に石が使われていることです。
下の《おまけ》写真は、「日の池」と言われる池ですが、現地で見た感じ、池の周辺だけではなくおそらく石囲いで作られた池ではないかと思います。
また、写真を見ていただければわかると思いますが“紅葉”も見事でした。
「日の池」です☟
《2.伊賀上野城》 三重県伊賀市
【訪問記】 訪問日:2018年5月
このお城は、“模擬天守”ですが天守と小天守があります。が、“石垣”も立派です。築城の名手と言われる“藤堂高虎(とうどうたかとら)”が元からあったお城を大改修して“高石垣”を作ったようです。(《おまけ》の写真です。)高さは約23mの圧巻です。他のお城でもなかなか無い高さです。ちなみに、“藤堂高虎”は他にも「宇和島城」「今治城」などの築城も行っています。築城の特徴は、とにかく、“高~ぃ”石垣です。
高石垣の上から下を覗くことが出来るのですが、“高所恐怖症”の方にはお勧めできません。そうでなくても、自分はちょっと足がすくみました。「おぉ~(怖い)」って感じです。
「高石垣」です☟
《3.岩村城》 岐阜県恵那市
【訪問記】 訪問日:2017年9月
このお城は。「日本三大山城」と言われるお城です。“山城(やまじろ)”は主に山頂などに築かれたお城のことです。他には「高取城(奈良県高市)」「備中松山城(岡山県高梁市 天空の城として、テレビ番組でも紹介されていますよねぇ)」となります。写真は「六段壁」と呼ばれる、六段に分かれた石垣です。このお城の中で最も有名な場所です。
麓には「藩主邸跡」などがあり、そこから延びる山道(やまみち)を「六段壁」がある本丸へ行くことが出来ます。大半はさほど急な道ではなく(一部ちょっと傾斜がきつい所もあります。)、道幅もありゆっくり、のんびりと登れば大丈夫かと思います。(自信のない方に朗報です。車で別の道を“本丸”近くまで行くことが出来ます。)麓から登る途中には、“追手門跡(大手門跡)”、“石垣”などもあり飽きることはないと思います。
その他の石垣はこちら☟
《4.金沢城》 石川県金沢市
【訪問記】 訪問日:2017年9月
「金沢」と言えば、“加賀百万石”の“前田利家(まえだとしいえ)”でしょう。元からあったお城を改修したのが始まりのようです。が、天守は焼失してしまったようです。“前田家”といえば、金箔張りの甲冑など色々と派手なイメージもありますが、実は“徳川”の眼を恐れていたようです。そのため、財はあっても文化面や美術面に力を入れていることをアピールしたようです。(徳川に“逆らう気持ちはありません”と財力を武力増強に使っていないことをアピールしながらも、したたかに・・・のようです。)その証なのでしょうか、石垣も他とは違った石を使い防御施設というよりも、“見せる”石垣としたようです。(《おまけ》の写真も、城内の庭園に作られたものです(色紙短冊積石垣))
とは言え、“虎口”などの石垣は例外なく防御施設として作られているように私には見えましたが…。
「色紙短冊積み石垣」です☟
《5.大阪城》 大阪府大阪市
【訪問記】 訪問日:2018年9月
「大阪城」と言えば、以前に「日本の名城散歩(真田の城編)」でもご紹介し、再度の登場となります。(「大阪城」については、このシリーズの「真田の城編 #6」を。こちら☞(前回の投稿は★こちら★))今回は“石垣”です。“天守台”の石垣も立派ですが、お城の外堀に面した石垣が立派です。(《おまけ》の写真をご覧ください。)
築城は“豊臣秀吉”、後にその天守を破壊後“徳川秀忠”が再建、落雷による焼失後、昭和になり現在の天守が築かれたそうです。(現在の天守は三代目ですねぇ)
近年の発掘調査で「豊臣秀吉」時代の天守台の石垣の一部が、現在の天守の傍の地中に見つかっております。残念ながら一般公開はされていませんでした…。
また、“石垣”を築く際、戦国時代後期には“巨石”を石垣の一部に使うことにより、自身の権力を示すのが流行りだったようです。(「上田城」にもありました。“真田石”)このお城にもあります。“蛸石(たこいし)”と呼ばれる巨石が「桜門(本丸の正門)」付近にあります。でも、どうやってこんな巨大な物を運んだのでしょうかねぇ~。当時、運んだ人たちはスゴイ。
外堀の“石垣”☟ 「蛸石」です☟
では最後に、以下の▶印をクリックして、”日本の名城散歩”へ行ってらっしゃ~い ませ。(ま)
(4分07秒)