れっつごー! 日本の名城散歩(京都の城編)#8

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今回は、「日本100名城」 で京都の「二条城」と、戦国時代の三傑とも言われる“織田信長”、“豊臣秀吉”、“徳川家康”のうち、“信長”と“秀吉”が京都に築いたお城についてご紹介したいと思います。(「聚楽第」以外はお城とは言っても、防御施設を持つお屋敷のようなものだったようです。

「二条城」以外は、「日本100名城」、「続日本100名城」には登録されていません。「お城」と言えるかは置いておいて、戦国武将が京都に築いた拠点としてとらえてください。(当時は、「京都」に拠点を置くことが非常に重要なこと(京都にいる「天皇」のそばにいること)だったようで…)
また、「二条城」、「聚楽第跡(石碑)」は訪問しましたが、その他はスケージュールの都合で未訪問のため書籍等の資料を基にしたご紹介となることをご容赦ください。

今回は最後に「Google ストリートビュー」を使用した動画もありますのでお楽しみください。

今回ご紹介するお城は

  1. 二条城
  2. 旧二条城
  3. 二条新御所(二条殿)
  4. 妙顕寺城
  5. 聚楽第

では、本題の「日本の名城散歩(京都の城編)」を始めるとしましょう。

 

《1.二条城》  京都府京都市

【訪問記】 訪問日:2018年9月

今さらご紹介ではないと思いますが、皆様もご存じの「二条城」です。”徳川家康“が京都滞在時の居場所として築城後、“徳川家光”が天守を築くなどした場所です。(天守は他からの移築のようですが…。また一説では、一時期天守が二つ存在したとか。)現在は「天守台」のみ残っています。
また、“徳川慶喜”が「大政奉還」をした場所でもありますね。つまり、徳川幕府の“始まり”と“終わり”を見た場所です。
訪問時は、残念ながら直前の台風による倒木等の被害により、本丸には行くことが出来ず(立ち入り禁止でした)、「二の丸御殿」まででした。
《おまけ》の写真ですが、「東大手門」の飾りで「千鳥飾り」です。これはこの門の中でここ一か所だけの装飾だそうです。職人の遊び心でしょうか。

「唐門」です☟      「東大手門」です☟    「千鳥飾り」です☟

 

 

 

 

《2.旧二条城》  京都府京都市

ここは“織田信長”が、作ったもので、室町幕府15代将軍“足利義昭”に与えたものだそうです。将軍に恩を売るのと同時に、短期間で屋敷を作り上げたことにより己の力を京都に知らしめる目的もあったようです。しかし“信長”は、後に将軍と対立することになると将軍を京から追放し、屋敷を破壊してしまったとのこと。この不仲が後々、数々の不幸な事件を生んでしまうのです。
でもなぜ「二条城」と呼ばれるようになったかは不明だそうです。
現在は、「平安女学院大学」のすぐ北に「旧二条城跡」の石碑と、発掘された石垣が「京都御苑」内にあるだけのようです。

 

《3.二条新御所(二条殿)》  京都府京都市

ここは元々あった別人の邸宅を改修したもので、“信長”がここの庭園を気に入り譲り受け、自らの邸宅としたものです。が、しかしすぐに“誠仁(さねひと)親王”に譲っています。(何があったのでしょうかねぇ)
お城とは言えないかもしれませんが、“織田信長”が短期間とはいえ関わったことと、“二条”の名により「旧二条城」とともに今回紹介させていただきました。
現在は、「京都漫画ミュージアム」の裏手に「二条殿跡」の石碑が残されているようです。

 

《4.妙顕寺城》  京都府京都市  

豊臣秀吉”も作っていました。この頃の“秀吉”は「天下統一」を果たし、「大阪城」を本拠地としていましたが、京都の館として「妙顕寺」を現在の石碑の場所に移転して、居を構えたようです。(実際は宿として使っていたよう…)その「妙顕寺」から「妙顕寺城」と言われたそうです。
しかし、このお城は非常に短命だったようで、次に紹介する「聚楽第」の建設が翌々年に始まるのです。(コロコロ変えるのは「もったいないなぁ~」と思うのは私だけでしょうか…)ここに城があった名残として付近に「古城町」などの名前が残っているそうです。
“信長”にしろ“秀吉”にしろ、京都に城(館)を築きながら、それがあまり世の中に知れ渡っていないのは残念ですよねぇ~

 

《5.聚楽第》  京都府京都市

【訪問記】 訪問日:2018年9月

京都に「妙顕寺城」を設けた「関白 豊臣秀吉」は、翌々年にこの「聚楽第」の建設を始めたのです。(なぜですかねぇ~。何か不満でもあったのでしょうかねぇ。一説には、より京都御所(天皇)のそばに…もあったとか、ないとか)1年半程で完成し、邸宅としても利用するなど拠点をここに移したようです。
ここは、諸説ありますが「本丸」をはじめ、いくつかの「曲輪」があり、「天守」もあったとか。それが本当であれば立派な“京都のお城”ですね。
ただ、どこにあったかは、永年不明だったそうです。近年のある建物の建て替え工事で、“堀跡”や“金箔瓦”が発掘され、「京都御所」の西側にあったというのが現在の有力説だそうです。
現在は、「石碑」があるだけで、私が見る限り遺構はありませんでした。(これは、もしかしたら…というのはありましたが、「素人の自分には何とも言えません。」が本音です。)
なお、お城は最後には“秀吉”が壊してしまったようですが、建物の多くは色々な寺院などに移築されたとの伝承もあるようです。

 

今回は、京都市内ということもあり、「Google ストリートビュー」で動画を作成してみました。車道を逆走したり、無理やり横断したりしていますが、「ストリートビュー」ということでお許しください。

では最後に、以下の印をクリックして、”日本の名城散歩”へ行ってらっしゃ~い ませ。(ま)

(3分31秒)