「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.24・職人の道具と技術)

しばらく行事関係の内容が続きました。今回は職人に関するいくつかの写真を紹介します。

市教育委員会では、昭和57年(1982)度に職人・諸職調査を実施し、報告書を刊行しています(『諸職調査報告書』1984年3月刊。ただし、調査対象は相模原地域です)、その中では、大工などの建設関係・15種、桶屋など道具関係・20種、醤油しぼりなど生活関係・15種、その他・9種というように、多くの職種と携わった職人について報告しています。
それは数代前の先祖がやっていたとする、かなり古い時代のものから、調査当時も現職というような方も含まれていますが、それにしても相模原にも大勢の職人が活躍していたことが分かります。

今回取り上げる写真は、いずれも昭和59年(1984)9~10月の撮影で、当時、職人に関するちょっとした展示会を実施する計画があり、その準備のための調査を行いました。なお、写真はすべてモノクロで撮影しました。

最初の写真は中央区上溝の桶屋関係です。プラスチックなどが普及する以前、桶は容器としてさまざまなものを入れました。それぞれの職人は製品を作るのに必要な道具を使いますが、桶屋は道具が多く、仕事場の一角に整理された道具が置かれ、木を伐る各種のノコギリや削るカンナなどが見えています。
また、桶は板を丸みをつけて削り、曲げた板をつなぎ合わせていくため、その寸法を計る型がたくさんあります。

次の写真は、桶の内側に底を入れるための溝を彫っているところです。そして、底廻しカンナで底板の周囲を整えて底を入れます。桶は液体を入れることが多く、水漏れしないことが大切です。

桶と同様に、物を入れるのに必要だったものに籠があります。この写真は中央区田名で籠屋の経験がある方に、皮の付いたままの里芋を洗う際に使うイモフリメカイを作っていただき、その工程を撮影したものです。
籠作りの道具は、竹を割り、竹皮と身の部分を分けるためのものが主になります。籠を編むには底の部分から始め、次第に編み上げていって縁を作ります。製品には、こうした大小の籠類のほか、養蚕の盛んだった相模原では、蚕を載せて飼うエビラを作ることも多く、さらに熊手などさまざまな竹細工を行いました。

最後は緑区下九沢で、包丁などの金物のほかに、鍬や鉈(なた)・鎌などの農具を中心に作っていた鍛冶屋の写真です。鍛冶屋は金属を叩いたりするための各種の道具が必要ですが、写真では大きな鞴(ふいご)が目に付きます。
鞴は金属を扱う職人にとって重要な道具の一つで、材料の金属をハンマーなどで叩いて伸ばしたりする際に、金属を炉の火の中に入れ、鞴で風を送って火力を高めます。また、この時には金属の割り方など、いくつかの技術について再現していただきました。

職人は鍛冶屋に限らず、職種によっていろいろな神仏を信仰しており、鍛冶屋は仕事場の鞴の上に金山様を祀っていました。そして、11月の鞴祭りのほか、正月の仕事始めには鎌・鍬・鉈などの製品のミニチュアを作り、金山様の祠に供えます。この写真では、実際のものはないため、段ボールを切って作ったミニチュアで当時の様子を示していただきました。

このほか別の機会に撮影した職人関係の写真なども、今後、折に触れて紹介していきたいと思います。

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