博物館収蔵資料紹介~電話機の移りかわり

電話というと、ほんの少し前には一家に一台もしくは複数の電話機がありましたが、今では個人がスマートフォンを持ち、固定電話がない家も多くなっています。

ちなみに中央区上溝で電話交換業務を開始したのは大正10年(1921)で、当時の加入は55戸、また、南区下溝の古山(こやま)地区では、昭和8年(1933)頃にサツマイモを共同で出荷するための組合を結成したのに伴って電話が引かれ、電話番号は麻溝11番だったそうです。

最初の写真は、有線放送の電話機です(収集地・中央区上溝)。有線放送は特定の地区を対象として放送するもので、地区内に電話することもできました。上溝では昭和32年(1957)に上溝農協の運営で始まり、農協からのお知らせや地域の学校の運動会などの情報も流されました。有線放送は、電話機が広く普及する昭和40年代まで市内各地で見られました。                  

なお、この電話の側面には、地元にある観音堂から出されていたお札が張ってあり、それだけ大事なものだったことがうかがえます。                  

 

次の写真は、昭和37年(1962)12月製造のダイヤル式の黒電話です(中央区田名)。最近の子どもたちは、指をダイヤルに入れて回してかけることが分からない、という話もよく耳にします。                  

 

ダイヤル式から押しボタンに変わったのがいわゆるプッシュホンで、この電話を寄贈していただいたお宅では、平成元年(1989)頃に使っていたそうです(中央区由野台)。そして、二枚目の写真は電話にファックス機能が付いたもので、こうした電話も広く普及しました(南区磯部)。皆様の家にあった電話はどのようなものだったでしょうか。                  

 

最後の写真は同じ方から寄贈された携帯電話で、右側のものは充電器の卓上ホルダーが付いており、平成11年(1999)11月の購入です(緑区原宿南)。電話は家庭にあるものから携帯電話の名の通り、個人で持つものに変わっていきましたが、まだ高速データ通信や多機能化までは至っていません。                   

 

今回紹介した電話機のように、近年は、私たちの身近な生活や道具の変化の速度がかなり早くなっています。こうした状況を、具体的な資料を通じて示していくことも博物館の役割の一つであり、今後も必要な資料を収集していきたいと思います。

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