津久井城の発掘調査2019(その1)

今年も戦国時代の山城「津久井城」の発掘調査を開始しました。この調査は、市立博物館・市文化財保護課・県公園協会と市民ボランティア「津久井城市民調査グループ」との協働で行っているものですが、今年で早10年目。体力の衰えも正直感じる今日この頃ですが、津久井城の解明に向けて今年もスタートです。

調査地点

発掘調査は昨年度に引き続き、戦国時代の庭園遺構が確認された県立津久井湖城山公園内の里山広場です。池のある庭園を眺める建物を確認するのが今年の目的です。

昨年度の発掘調査区

昨年度は建物周辺に広がるとみられる砂利敷きや石敷きの遺構を確認したので、その隣(写真の上側に拡張)を発掘しています。

表土はミニミニユンボで掘削

11月7日から掘り始め、近現代の表土層はミニミニの重機と人力を併用しながら中世の面まで掘り下げます。深さにして80cm程あり、体力的にも一番“しんどい”のですが、掘っていると何やら大きな平たい面をもつ石が出てきました。

中世の地層から平たい石を検出

周辺からは戦国時代の武家儀礼でお酒を飲む時に使う「かわらけ」の破片も出土しています。みんなで色めき立ちました。

「礎石(そせき)建物の礎石かもしれない!」

石は城山の山石の砂岩(さがん)です。隣の八王子城では同じ様な石を使った立派な礎石建物跡が発見されています。

石の右側に黒い宝永火山灰が堆積

石はまだまだ下に続いているようです。石の右側には黒くてジャリジャリした地層がブロック状に溜まっています(写真ではぼんやりで見にくいですが)。これは宝永4年(1707年)に富士山が噴火して積もった宝永火山灰です。この石は、その頃まで地表面に表れていたのでしょうか。歴史を感じます。

石は礎石なのかどうか、城主内藤氏が庭園を眺望する礎石建物があったのかどうか、調査の本番はこれからです。乞うご期待!

※現地説明会は11月24日(日)午前10時~午後2時に開催します。

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