「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No27・フィールドワークから①)

博物館の役割は、改めて言うまでもなく、地域に残されてきたさまざまな種類の資料を収集し、整理して将来にわたって保存していくことです。また、集めた資料や地域自体について調査研究し、その成果を展示や講演会・講座など教育普及活動を通して公開しています。
教育普及活動は、ほかにも例えば体験学習等さまざまな内容に及びますが、実際に参加者が地域を歩きながら見学をしていくフィールドワークは当館でも積極的に実施してきました。

今回紹介するのは、民俗分野で本格的にフィールドワークを取り入れた講座として初めて平成11年(1999)から13年度まで実施した、「フィールドワーク・村を歩く」の第三回(1999年10月11日)と第四回(12月19日)の際に撮影したもので、場所は南区磯部から下溝・当麻地区です。
講座は、合併前の旧市のうち、江戸時代や明治の頃に集落があった地域を神社や寺院・石仏等を中心にフィールドワークし、時として行事や祭りの見学も含めながら全30回が行われました。

最初の写真は上磯部地区の水田で、稲刈りが終了して干しています。相模原は水田が少なく圧倒的な畑作地帯ですが、そうした中でも特に相模川流域には水田が比較的分布しています。

この水田の近くには、霊山として知られる伊勢原市の大山へ参詣に行く人々が通った大山道の一つがあり、その道筋には不動像を刻んだ道しるべが残されています。現在では上下が分かれて置かれていますが、本来は不動像が「不動尊」と記されたものの上に載っています。下の写真の右側の石仏は道祖神です。

磯部地区から少し北上した県道の端には「八景の棚」と呼ばれるところがあり、碑も建てられています。この周辺はかつて桜の名所として道沿いには料理屋が軒を並べ、相模川を見下ろす景観の良さからその名があります。現在でも、相模川と対岸の丹沢の山々を望むことができます。
また、八景の棚の近くには「さいかちの木」があり、永禄12年(1569)に武田信玄が小田原城を攻めた際に、その勝利を祝して植えたものだと伝えられています(ここまで10月11日 磯部・下溝地区)。

前回のフィールドワークからしばらく時間が経ち、やはり水田が多い当麻耕地では稲穂を収穫した後の藁が積まれ、稲株が見えています。二枚目の写真奥の坂は、相模川に架かる昭和橋から登ってくる県道ですが、この地域では、近年圏央道の建設に伴う大規模な土地区画整理も実施され、大きな変貌を遂げています(ここから12月19日・当麻地区)。

当麻地区には市内を代表する寺院の一つである当麻山無量光寺があり、写真は無量光寺の山門です。17世紀初頭の建築と推定され、この形式の門は県内に類例が少なく、市指定有形文化財となっています。また、少し時期が遅いのですが木々の紅葉が見えます。こうした季節の移ろいを感じながら歩くのも、フィールドワークの楽しみの一つです。

無量光寺の門前の「なぎの木」は無量光寺開祖の一遍上人に関わる木として有名で、一遍が突き立てた杖がそのまま根付いたものと言われ、そのため逆さ木とされています。先ほどの「さいかちの木」のように、地域にはさまざまな伝説が残り、こうした伝説の地も歩いていきました。

最後の写真は、無量光寺の西側の県道から夢の丘小学校へ通じる子の神坂で、いかにも旧道の雰囲気が残されています。現在では、すぐ近くに立派な車の通行ができる道が整備されており、こうした新旧の移り変わりの状況もフィールドワークの視点の一つです。

今回は「村を歩く」の写真の一部を掲載しましたが、このようなフィールドワークに基づく講座はその後も継続して実施しており、市内に限らずいろいろな場所の写真も撮影しています。次回以降も少し紹介してみたいと思います。

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