「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No28・フィールドワークから②)

前回は博物館の民俗分野が実施した、最初のフィールドワークを中心とする「村を歩く」講座で撮影した写真を紹介しました。今回は、平成16年(2004)度~17年度にかけて全16回の行程で歩いた「境川流域を歩く」を取り上げます。なお、掲載した写真は、講座実施時と下見をした際のものの両方です。

境川は、東京都町田市と神奈川県相模原市の間を流れ、町田市相原町の大地沢に源を発し、市内をはじめ町田市・大和市・横浜市・藤沢市域を流れ、藤沢市片瀬で相模湾に流出する全長52.1kmの河川です。講座では、境川右岸・左岸の流域の様相を市域と比較しながら歩いていき、社寺や史跡・石仏など、さまざまなものも見学しつつ南下しました。

最初の写真は源流部から少しいったところで、森の中の細い水路のような流れです(平成16年(2004)10月23日撮影)。それが緑区相原付近では幅も広くなり、また、蛇行しているのが分かります(11月17日)。

境川の西側にはすぐ多摩丘陵があり、小高い丘上の地形が続いていますが、次の写真は町田市相原町で丘陵の上に登って相模原側と町田側を見たものです。相模原側は緑区橋本の高層ビルが見えるのに対して、町田側では山林や畑も広がり、対照的な風景が広がっています(11月17日)

川があれば橋が架かっています。写真は、町田市小山町と相模原市緑区東橋本を結ぶ蓬莱(ほうらい)橋ですが、この場所は、大山参りの人々が禊(みそぎ)をする精進場があった、橋のたもとに小豆洗いバアサマという妖怪が出る、八王子の方から来た花嫁がこの橋でいなくなったので花嫁行列は通ってはいけない橋と言われた、などのさまざまな話が伝えられています。

橋のたもとには勢至菩薩(せいしぼさつ)の石仏があり、「橋・はし」から「足・あし」に転じたとされ、足の神として祀られています。こうした伝説の場所にはさまざまな祠や石仏が祀られています(平成17年(2005)1月5日)。

境川は現在は改修を行い、川の流れがまっすぐになっているところが多いのですが、以前はかなり蛇行していました。写真は南区上鶴間本町で、大きく曲がった旧河道の跡からはかつての流れの状況が窺えます(5月27日)。

次の写真は、横浜市瀬谷区橋戸の左馬神社です。この「サバ」と称する、珍しい神社名の神社が境川流域の横浜市泉区・大和市・藤沢市に十二社あり、漢字は左馬・左波・左婆・鯖などを当てています。サバ神社は全国的にもこの流域にしかないことや、名称の由来など不明な点も多く、いろいろと関心を持たれてきました。講座でもこのうちのいくつかを見学して行きました(8月16日)。

相模原市には、中央区上溝や南区下溝に小栗判官と照手姫の伝説がありますが、藤沢市の伝説も有名です。写真は藤沢市西俣野の土震塚(すなぶるいづか)で、毒殺された小栗判官は土の中で息を吹き返し、土の中から這い出て体の土をふるい落としました。同じ主人公の伝説が、地域によってどのように語られてきたのか興味深いところです(10月15日)

最後の写真は、江の島の展望灯台から見た境川河口です。ほぼ1年半かけて流域を歩き、さまざまものを見学しながら実施してきたこの講座も、河口を確認して終了となりました(12月17日)。

フィールドワークは、さまざまな所を自らの足で歩き、実際に見たり聞いたりして実感していくことが大切です。博物館の民俗分野では、参加者の皆様とともに、絶えず自ら生活する地元と比べながら行い、こうしたフィールドワークを積み重ねながら地域を捉える視点を得ていくことに務めてきました。

次回は、川ならぬ道をテーマとしたフィールドワークを紹介します。

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