「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No31・サツマイモの収穫)

 前回記した陸稲(りくとう・おかぼ)と並んで、サツマイモは夏場の畑での中心的な作物です。今回のサツマイモに関する写真は、やはり昭和62年(1987)度制作・文化財記録映画第六作「相模原の畑作」において中央区田名で撮影したものです。

 サツマイモは5月中旬に、まだ麦を刈り取る前の畑の中に苗を植えていきます。最初の写真は、職員ブログNo.4の再掲ですが小麦の間に植えているところです。

                               

 麦を刈り取った後のサツマイモの作業は、陸稲と同様に除草などのために苗の間を耕し、追加の肥料を施します。これをサツマコシラエと言ったりしました(7月19日撮影)。

                               

                               

 さらに、8月のお盆前に、草をむしりながら伸びているサツマイモの蔓(つる)を地面から離していくツルカエシをしました。ツルカエシをしておくと、収穫の際に楽に芋が掘れます(8月9日)。

                               

 10~11月にかけてサツマイモを収穫し、芋掘り前に鎌で蔓を刈ります。そして、現在では、サツマイモ掘りというと手で土の中から芋を掘り出すイメージがありますが、鍬で掘り出していきます。そして、蔓はサツマイモを掘ったところに埋めて肥料にしたり、乳牛を飼う家では牛の餌にしました(10月25日)。

                               

                               

                               

 掘り上げた芋は、畑などに穴を掘って貯蔵します。穴は深いもので1mも掘り、芋を入れた後に麦藁をかぶせて土を掛けます。また、4枚目の写真のように、どこに穴があるか分かるように、隅の方に麦藁を差しておきました。貯蔵用の穴は屋敷内に作ることもあり、保存したサツマイモは冬から春先にかけて必要に応じて取り出し、食用や出荷しました(同上)。

                               

                               

                               

                               

 陸稲とは異なり、サツマイモはこの土地に合っていて、雨が少なくとも収穫できる乾燥にも強い作物として大量に作られていました。サツマイモは売るほか、オコジュウと呼ばれる午後の間食(おやつ)としてたくさん食べられました。
 次回は、この時期のもう一つの重要な農作業であった麦類の種蒔きを中心に取り上げたいと思います。

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