「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No59・復元された開拓農家)

前回に取り上げた、自然・歴史展示室の物置と並ぶように展示されているのが復元された開拓農家です。相模原地域では、江戸時代に各地で大規模な新田開発が行われ、この建物は中央区清新地区での「清兵衛新田(せいべえしんでん)」の開拓に伴い、農民の住宅として使われていました。

 

建物の大きさは三間(約5.4m)×二.五間(約4.5m)、内部は間仕切りもない一つの部屋で、さらに小さな明かり窓が一つだけの質素な作りです。開拓当時の人々の生活や苦労を伝えるものとして、博物館の展示内容が検討された一番最初の時から展示することが計画されていました。

次の写真はなかの様子で、囲炉裏(いろり)などが見えています。

 

また、建物の中だけでなく、是非、屋根も注目してください。屋根の上に花が咲いているのが見えます。これは自然に生えたのではなく、イチハツ(アヤメ科の植物。ほかに市内では、イワマツやカラショウギなどと呼ばれる植物を植えるとも言います)などを棟(むね)に植え、雨がしみ込まず、根を張らせて棟を崩れにくくするものです。

 

実はこの建物自体は、博物館の平成7年(1995)の開館時には大谷家の物置として現地に残っていました(現在はありません)。展示に際しては改造されていたため、調査をしていただいた専門家の指導のもとに開拓当時の姿に戻して復元しています。

次の写真は、昭和60年(1985)12月14日撮影で、上が正面、下が裏側です。また、三枚目の写真は、明かり窓付近を内側から写したもので、かつて使われていたいろいろな道具類が置かれているのが分かります。

さらに、この職員ブログNo.26「お月見」で、十五夜に供えたカヤ(ススキやオギ)を泥棒よけになるとして、翌日に家の入口や屋根に放り上げることを紹介したように、ここでもススキが置かれていて、物置ばかりでなく年中行事の場としても使われていました。

前回の物置とは違い、復元された開拓農家ですが、特に台地上に位置する相模原地域の開発の歴史を伝える重要な資料としてご覧いただければと思います。

なお、開拓農家の向かい側には、中央区上溝地区の清水家模型もありますので、お見逃しなく。

 

※現在、「大谷家旧主屋(清兵衛新田開拓農家)」(相模原市指定有形文化財[建造     物])は解体され、部材は教育委員会が保管しています。

建物や新田開発についての解説は、『相模原市立博物館常設展示解説書』をご覧ください。解説書は、博物館二階の市民研究室で閲覧できます。

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