「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No71・人生儀礼)

人が生まれてから死ぬまでの間には、節目ごとにいろいろな行事や儀礼が行われます。本ブログでも、子どもに雛人形や幟(のぼり)が贈られる三月・五月節供を取り上げてきましたが、それぞれ個人や家庭を単位とするものであるため、なかなか撮影の機会もなく、博物館が保管する写真は多くはありません。

最初の写真は、ブログNo.48でも紹介した、結婚して初めて三月節供を迎えた際にお嫁さんの実家から贈られたオクリビナです。大正5年(1916)に中央区上溝から同区田名に嫁入りした方のもので、結婚に伴う贈答品の一つです。

 

結婚式には御祝儀を包むことは現在でも見られますが、次の写真は、そのお祝いの金を挟むのに使った三つ折りにした半紙です。これはダイ(台紙・ダイガミ)と呼ばれ、右肩のところに「のし」と書いて、下には自分の名前を添えます(写真では名前を伏せています)。台は、このほかにも出産祝いや正月のお年玉などのお祝いにも使われ、病気見舞い等には使いません。                  

 

人が亡くなると持って行く香典は、かつてはその家と関係が深い家ではお金とともに米一升の両方を出しました。これを両義理と言い、米は絹の着物などの良い布の端切れを集めて縫い合わせた、義理袋と言われる袋に入れました。また、赤ん坊が生まれた際に嫁の実家から持って行く力米(ちからごめ)なども義理袋に入れるなど、義理袋はどこの家にもあるものでした。

 

次の写真は、昭和58年[1983]・緑区下九沢で撮影した墓地の様子です。まだ墓石はなく、また、新盆に吊り下げたと思われる盆提灯(ぼんちょうちん)が置かれています。二枚目の写真は平成13年[2001]緑区大島ですが、墓石に「大人命(うしのみこと)」「刀自命(とじのみこと)」と彫られており、大人命は男性、刀自命は女性に用いられるものです。大島地区の一部では葬式を仏式ではなく神式で行う「神葬祭(しんそうさい)」が見られます。

 

一般的に、死後の年忌の供養は三十三年回忌まで行われることが多く、この弔い上げの時はトリジマイなどと言って、杉の木の幹を削って年忌の文字を寺で書いてもらった塔婆を立てることがありました。写真は、昭和60年[1985]の南区下溝です。

 

最後に取り上げる昭和33年[1958]の南区上鶴間本町での写真は、博物館の保管ではなく相模原市史 民俗編』に掲載された写真です。お嫁さんが嫁ぎ先の家に入る様子で、子どもたちが持つ松明(たいまつ)をまたいで進みます。また、傘を差しかけていますが、市内の北部に行くと傘ではなく、笠を用います。こうした人生儀礼に関わる古い写真は、市史民俗編やそのほかの写真集などにも載せられていますのでご参照ください。

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