「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No97 道を巡るあれこれ)

前回は、甲州道中(甲州街道)とその難所であった小仏峠を紹介しました。そして、このブログではこれまでも大山道など、いくつかの道について取り上げてきました。今回は、津久井地域の道に関するいくつかのことについて記していきたいと思います。

甲州道中の関所について、前回のブログで諏訪番所(上野原市)と小仏関所(八王子市)に触れましたが、もちろん東西を抜ける道は甲州道中だけでなくほかにもあり、通り抜けを制限する関所とされている場所があります。

最初の写真は緑区青野原(あおのはら)の関所跡で、甲州道中の裏街道の要所として、地元の人以外は通るのに調べを受けたと言います。後々の時代まで石畳(いしただみ)があったようですが、現在は名残をとどめていません(平成19年[2007]2月16日撮影)。                  

 

また、緑区寸沢嵐(すわらし)にも鼠坂(ねんざか)関所があり、やはり近所の者しか通行を許さず、昼夜二名が交代で警護したとされています。ここには関跡の碑が建っています(平成20年[2008]2月23日)。                                 

 

次の写真は緑区佐野川・下岩(さのがわ・しもいわ)地区で、集落の中を旧道が通っています。甲州道中の裏街道は八王子宿から分かれて和田峠に至り、ここに出てきます。その途中にあるのが下の写真の倉子峠(くらこどうげ)で、かつてはこの場所に小学校があったと言います。さらに、松尾芭蕉(まつおばしょう)や門下の支考(しこう)の句を記した句碑があり、写真の左側にその説明版があります(平成21年[2010]3月10日)。                                    

 

国道413号線は、山梨県富士吉田市と相模原市緑区を結ぶ国道で、西橋本で国道16号線とつながります。山梨県の道志村に至る道で、「道志みち」とも通称され、今回の東京オリンピックでは自転車競技のコースとなりました。その途中の青野原と青根地区の間には、国道の県内最高標高地点の表示があり、こうした意外なものを発見するのもフィールドワークの楽しみの一つです(平成19年[2007]3月7日)。                 

 

この道をさらに山梨方面に進み、市内のもっとも西側に位置する集落が緑区青根で、相模川支流の道志川を境として山梨県と接しています。次の写真は、県境にかかる両国橋から見た道志川で、それとともに橋から振り返ると相模原市の表示板が見られます(平成19年[2007]3月7日)。                                

 

博物館では各種調査をはじめ、市民とともに実施したフィールドワーク等で市内はもちろん、場合によっては関連する市外も含めてさまざまな地区を歩き、写真を撮影してきました。これらの写真も、博物館のさまざまな活動の記録であるとともに貴重な資料であり、本ブログでもいろいろなテーマのもとに紹介するなど、活用しています。

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