「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.15・この農具はどう使う?)

前回まで、麦などの脱穀の道具を使用している状況が分かる写真を紹介してきましたが、もちろん、そのほかの農業に関わる道具を使っているところの写真も保管しています。

次の写真は、水田の苗代に種を蒔く前に肥料を踏み込む大足(オオアシ)です。泥が多い田で足が沈まないように履く田下駄の仲間で、木を枠型に作って鼻緒を付け、前に結び付けた縄を持ち上げて踏んで歩きました。この時に田に踏み込む肥料は、ダイコンドウなどと言われる葉だけの大根の一種で、苗代に入れると良い肥料になったといいます。
大足自体の写真は、中央区田名で昭和60年(1985)3月に撮影され、下の大足を履いている写真は、昭和57年(1982)9月にやはり中央区田名で使い方について教えていただいた際のものです。

下の写真は、昭和62年(1987)年3月に緑区葉山島(当時は津久井郡城山町)で撮影した着ござ(キゴザ)です。ゴザ状のものに背負い紐が付いており、日よけや雨などを防ぐためにこの紐で背負うようにして着ます。大足と同様に、調査でお伺いした際にたまたまキゴザを見つけ、実際に身に着けていただきました。

文化財記録映画「相模原の畑作」では、麦類を中心にさまざまな農作業が映像に収められていますが、その中でソバの実の収穫も撮影されています。写真は収穫後、干しておいたソバを自宅に運ぶための背負い梯子の様子で、結構多くの量が積まれています(南区下溝・昭和62年[1987]12月撮影)。
背負い梯子は、ショイバシゴとかヤセウマなどと呼ばれ、梯子状の木製の枠に背負い縄を付け、枠に荷物を固定します。荷車が使えない坂道などで、肥料や収穫物を運ぶのによく使われました。

最後も「相模原の畑作」での撮影(中央区田名・昭和62年[1987]8月)で、収穫後の小麦俵の重さを竿秤(サオバカリ)で計っています。先端の金属のカギに俵を掛け、おもりの位置を動かして、吊り合あったところで重さを計りますが、特に二枚目の写真を見ると、竿秤は見事に宙に浮かんだ状態で平行を保っており、そのおもりがある目盛りが重量となります。実際に竿秤を使って、どのように重さを計ったのかがよく分かります。

今回は、30年以上に及ぶ写真の中から、これしか保管していない「この一点」を取り上げました。こうした農業に関わる写真以外にもさまざまな一点ものがあり、今後は何を紹介していくか考慮中ですので、ご期待ください。

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