民俗分野ブログ「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.3)

5月はまさにお茶の季節です。今回紹介するのは、昭和59年(1984)5月25日・南区古淵での製茶の様子で、撮影をさせていただいた家だけでなく、この家と親しかった中央区上矢部と淵野辺の方も加わって行われました。

 かつての農家の生活では、毎食後やおやつの時には必ず茶を飲み、客が来てもまずお茶を出しました。そのため茶はなくてはならないものでしたが、購入するものではなく、屋敷内や道路と畑の境などに茶の木が植えられ、1年分の茶を賄いました。

                   

 通常は、五月節供の頃に女の人が茶摘みをします。特に、2月の立春から88日目の八十八夜に摘んだ茶は喜ばれました。

                  

 積んだ茶葉は、かまどで蒸します。写真ではハヤブカシと呼ばれる丸い蒸かし器を使っています。

                  

 蒸かした茶葉を揉むのにはホイロを用います。移動式のホイロもありましたが、当家では土を練った固定のものを使っていました。このホイロの中で、炭を燃やして温度を取ります。写真では炭の上に藁を乗せて燃やしています。

                  

 実際に揉むには、ホイロの上に、木製の枠に和紙や後にはブリキを張ったジョタンと呼ばれるものを乗せ、それに茶葉を入れて両手で力を込めて揉んでいきます。アクで手が汚れる茶揉み作業は男の担当でした。

                  

揉んだ茶はフルイに掛けて選別し、その後、仕上げとして火入れをして完成です。できた茶は、乾燥しないように缶などに入れて保存しました。

                  

これまでは茶作りの様子ですが、新茶は仏壇に供えました(この写真はモノクロです)。また、かつて自宅で行われた結婚式では、嫁が来客者に茶をふるまう「嫁のお茶」で終わりとなり、結婚式の翌日などに、近所の家々に嫁を紹介する際にはお茶を持っていくなど、茶は嗜好品としてだけではなく、さまざまな生活の場面で登場する大切なものでした。

                  

第1回目で紹介した醤油作りのように、こうしたものを自分の家で作ることが長く行われていたことも、地域の歴史や文化を考える上で忘れてはならないことでしょう。

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