「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.19・うどん作り)

前回は夏場のごちそうとして「酒まんじゅう」を取り上げましたが、相模原は畑作地帯として、冬場に非常に多くの大麦や小麦を作っていたことを紹介してきました。このうち、大麦は米と混ぜて麦飯として食べ、小麦は粉にして「酒まんじゅう」のほかにも、うどんなどとしてたくさん食べられました。

市域では、そば粉で打ったものではないうどんのことも「そば」と呼び、日常的に食べるほか、自宅で行われた結婚式でも「そばぶるまい」などと言って来客にうどんをたくさん振る舞いました。このように、うどんは普段の生活から結婚式などのハレの場でも欠かせないもので、特に、かつての毎日の夕食はほとんどうどんが食べられていました。

次の写真は、昭和63年(1988)7月に緑区下九沢で、文化財記録映画「相模原の祭礼行事」撮影時のものです。前回の酒まんじゅう作りとともに撮影され、小麦粉に水や湯を入れてこね、麺棒で伸ばして包丁で切ったものを釜で茹でています。

上の写真ではうどんを伸ばし、切るのに手で行っていますが、次第にうどん作りの機械(製麺機)を使うようになり、ある家では昭和4年(1929)頃に買ったと言います。この機械では生地を薄く伸ばして切ることができ、機械で作ったうどんを初めて出したところ、手打ちと違って太さが均一な麺なので何かおかしい、と言われたという話も残っています。

写真(平成8年[1996]11月・南区下溝)では製麺機で麺を切り、小麦粉をこねるのに使うコネバチの回りに掛けています。こうすれば麺がくっついたりせずに茹でる際によく、台所に持っていくのも運びやすくなります。

最初にかつては日常的にうどんを食べていたことを紹介しましたが、暑い夏場には茹でた麺を、水でさらして冷たくして汁に付けて食べる「あげそば」、反対に冬は野菜などと一緒に麺を煮込んで温かくした「にこみ(にごみ)」が作られました。
両者の麺の作り方としては同じですが、あげそばは、茹でた後に水でさらすというようにひと手間かかる上に、野菜と煮ることもなく小麦粉だけで作るため、にこみに比べてどうしても一食分の粉を多く使い、少しぜいたくという感じもあったと言います。

写真は上がにこみ、下があげそばです。上は製麺機でのうどん作りと同じ時の平成8年[1996]11月、下は同年4月の撮影で、両方とも南区下溝の同じ家で作っていただきました。

こんなにうどんをたくさん食べていたと聞いて少し驚かれましたか。このほかにも、例えば、あげそばの上から暖かい汁を掛ける「ぶっかけ」や、野菜と煮込むのでなく茹でた麺をそのまま椀に取って食べる釜揚げうどんのような「ひきずり(だし)」と呼ばれる食べ方があり、麺ではなく、小麦粉をお好み焼きのように焼いた「やきもち」もありました。
こうしたいろいろな食べ物の作り方や食べる機会、また、それにまつわるさまざまな伝承や話の中にも、地域の興味深い歴史や文化を伺うことができます。

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