「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.23・盆行事④)

前回・前々回と盆の砂盛りについて記してきましたが、砂盛りというのは総称で、市内では「ツカ」や「ツジ」、あるいは「線香立て」などと呼ばれていました。線香立てというのは、先祖を迎え、送る時に藁を燃やした際に、その火でつけた線香を供えることからの名称です。

以下の写真はいずれも南区磯部での撮影で、昭和61年(1986)8月13日の迎え火の様子です。最初の写真では、砂盛りの右に迎え火用の藁が用意されています。迎え火には麦藁が使われました。

迎え火は、少し暗くなりかけた13日の夕方に行い、ろうそくやナスの馬などをお盆に載せて砂盛りのそばに置いて藁に火をつけ、線香をともして砂盛りの竹筒に供えます。この時に地域を歩くと、今でも迎え火を焚いた跡や線香が供えられた砂盛りを見かけることがあります。

また、迎え火は近所の家々とほぼ同じ時間に行うところもあり、次の写真では、右側の家の送り火が見える一方で、左奥でも迎え火を焚いているのが分かります。

そして、迎え火でつけた線香は家族にも渡していきます。今回の写真にはありませんが、家族は自分の家の砂盛りにその線香を立てるとともに、近隣の家同士で各家の砂盛りにも線香を供えに回り、道を行き交う人々が挨拶をします。

これまで砂盛りを中心に取り上げました。このほかにも盆に関する写真としては、盆棚に飾った造花を盆の終了後に、かつての住居では外にあることも多かった便所に挿しておくことがあり、南区下溝では、便所に造花をつけておくと病気除けになると言われました(『相模原市史民俗編』)。写真は中央区上溝での撮影です。

最後の写真は、平成元年度の文化財記録映画『相模原の年中行事』の際の撮影で、前年の盆以降に亡くなった方があった新盆の家で寺に持っていく「カケブクロ」(掛け袋)と言われるものです(平成元年[1989]7月・南区新戸)。袋の中には、仏様の道中の食料である米(かつては小麦)が入っており、見えているサンダルも仏様が履くとされています。

8月は、日本の年中行事を代表する盆行事について掲載してきました。保管している写真は年中行事のものも多く、これからも季節に応じて紹介していきたいと思います。

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