「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No30・陸稲の収穫)

この職員ブログのNo.4に「サツマイモ植え」の記事を掲載し、その中では同時期に種を蒔く陸稲(リクトウ・オカボ)についても触れました。5月中旬頃に畑に蒔かれた陸稲は、10月の下旬には収穫の時期を迎えます。

今回は、陸稲の種蒔きから収穫の写真を紹介し、いずれも昭和62年(1987)度制作の文化財記録映画第六作「相模原の畑作」・中央区田名での撮影です。

最初の写真は、ブログNo.4でも取り上げましたが5月24日の播種の際のもので、6月に入ってから刈り取るためまだ畑にある小麦の間に、種と肥料を混ぜて蒔いています。そして、種を蒔いたところに足で土を掛けるホウリモノの作業をしています。

秋の収穫までには、もちろんさまざまな作業があります。麦の間に陸稲の種を蒔いた後、6月に麦を刈り取りますが、畑に残っている麦の根を掘り上げる作業をしています(6月17日撮影)。

また、陸稲を蒔いた作の間を耕すとともに追加の肥料を施す作業があり、これは耕すことで夏場の雑草を茂らせない意味もあります(7月19日)。

基本的に大麦・小麦の畑がほとんどとなる冬と違い、夏の畑はさまざまなものが植わっていて賑やかで、夏作の畑は作物に応じて作業を組み立てることが必要です。ここでは陸稲の隣に里芋が見えます(7月29日)。

それにしても夏場の暑い時期には雑草が出てきます。8月から9月にかけて行う除草を、大きくなった陸稲の間を潜るように草を取るのでムグリグサ(モグリグサ)と呼びました。よく草を取っておかないと、来年に雑草が繁茂して作業が大変になってしまい、農業は先のことを考えて仕事を進めていくのが大切です(8月9日)。

 

陸稲の収穫は10月で、ノコギリカマで刈り取り、一列に並べてそのまま二~三日置き、縄で縛って家へ運びます(10月22日)。その後の脱穀などの作業は麦と同じですが、品種によって陸稲はクルリボウで叩くことはありませんでした。

陸稲は天候にかなり左右され、普通の年でもそれほど穫れるものではないばかりか、雨が少ない照り年には翌年の種の分にしかならなかったと言われます。ちなみにそのために夏場の雨乞いに大山へ行くことがあり、雨乞いの水をいただいたのが前回のブログで紹介した二重滝です。それでも貴重な米を求めて、陸稲の栽培が行われていました。

次回はやはり夏作としてたくさん作られていた、サツマイモの管理と収穫について取り上げたいと思います。

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