「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No60・機織り)

この職員ブログでは、昭和57年(1982)度から平成6年(1994)度にかけて、市教育委員会が制作した文化財記録映画(全13作品)の際に撮影した写真も紹介してきました。  それらは例えば、年中行事や養蚕・畑作・炭焼き・川漁・下駄作りなど、さまざまな内容に及びますが、映画ではこれまでほとんど取り上げてこなかったものも撮影しています。これから数回にわたり、そうした文化財記録映画の写真を紹介していきたいと思います。

今回は昭和60年(1985)度の第4作目「さがみはらの機織」です。この映画は、緑区相原にお住まいだった阿部クニさん(明治23年<1890>生・当時95歳)の糸取りを含めた機織り(はたおり)の作業を記録したものです。

最初の写真は、糸取りのために繭を煮ており、2枚目は座繰り(ざぐり)と呼ばれる道具で糸を取っています。3枚目の写真のような、足踏み式の糸取り機(博物館に展示されています)での糸取りではなく、足踏み式以外の古い道具とされる座繰りでの糸取りの様子が撮影されており、注目されます。

なお、余談ですが一枚目の写真は、最近、日本テレビで放送された「有吉ゼミ」内で、養蚕のイメージ写真として使われました。

 

次の写真は、取った糸を強くするために、糸車などを使って撚り(より)を掛けているところです。

 

また、糸を染粉(そめこ)で色を染めています。こうした作業も自宅で行いました。

 

機織りを行うまでには、複雑でさまざまな工程があります。次の写真はそのごく一部で、たて糸をほぐし整えているところです。

 

機織り機にたて糸を取り付け、たて糸の間によこ糸を入れて機織りをしていきます。緑区川尻生まれの阿部さんは、12、3歳の頃から母親に機織のやり方を教わりました。阿部さんは八王子の機屋(はたや)から頼まれ、下請け(したうけ)で機を織って賃金を得ていました。最後の写真は、織り上がったものを確認して整理しています。

 

蚕が盛んであった市域では、糸取りや機織りが盛んに行われていましたが、撮影当時、すでに実際にそうした作業を行っている方はほとんどいなくなっていました。そして、繭から機が織り上がるまでの一連の作業を文字で説明するのは非常に難しく、この記録映画はさまざまな意味で貴重な映像と言うことができるのです。

 

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