「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No75・伝説④ 石や岩の伝説)

「木」「水」に引き続き、今回は「石(岩)」です。

最初の二枚の写真は、緑区与瀬の「御供岩(ごくいわ)」です。この地区では与瀬神社を祀っていますが、ご神体は相模川での漁の網に掛かったとされ、その場所にあったのがこの岩です。しかし、相模湖建設のために元々の岩は湖底に沈み、現在はその一部の岩が湖畔に移されています。4月の祭りには、御供岩にも新しいしめ縄が巻かれ、また、神社の神輿(みこし)はここまで担がれてから、神社に戻ります(平成20年[2008]4月11日撮影)。

 

次の写真は中央区田名の「亀の甲石(かめのこうらいし)」です。明治22年[1889]の相模川の洪水の際に大きな亀が流れ着き、いろいろ世話をしたものの死んでしまいました。その亀を埋葬した上に、亀によく似た石を置いて供養したとされ、9月の地区の神社の祭礼翌日にこの石の祭りを行いました。写真はちょうど2月の初午(はつうま)の後で、団子が供えられています(平成12年[2000]2月11日)。

 

ほかにも相模川に関係するものとして、例えば中央区田名の「船乗り地蔵」があります。舟形の石の上に地蔵(ただし頭部はありません)が乗ったもので、自分の子どもが相模川で死んでしまった船頭が、供養のために以前からあった地蔵を祀り、それからは地元の船乗りやいかだ乗りも安全を祈ってお参りしたと言われています(平成13年[2001]年1月16日)。

 

雨が降らなくて困った際に行われる雨乞いにはさまざまな方法があり、職員ブログ「相模原ふるさといろはかるた」No.36でも紹介しましたが、次の写真はその際にも取り上げた、中央区田名八幡宮にある「じんじい石」や「ばんばあ石」です。雨乞いには、ほかにも寺の鐘や石仏の地蔵を水に入れるという話が各地にあり、石など水の中に何か入れることで水が降ると考えられてきました(平成13年[2001]年1月6日)。

 

石は重いものなので、神社の境内などには若者が力比べをしたという力石が見られます。写真は南区鵜野森・日枝神社の力石で、重さが異なるいくつかの力石があり、それぞれ米粒(十七貫・約64㎏)、そば粒(二十七貫・約101㎏)、ぼたもち(二十八貫・約105㎏)などと呼ばれていました。かつては米俵(十六貫・約60㎏)が担げれば男は一人前だったという話を聞きますが、それにしても重い石で力試しをしたことが分かります(平成15年[2003]3月16日)。

 

最後の写真は中央区上溝の「岩倉の手玉石」です。前と同じく力石で重さは300㎏くらいあるとされ、この地にいた岩倉という力士が、力が湧いてくるとこの石を手玉にとって力を試したと言われます。市内ではこのほかにも、緑区相原に国定忠治(くにさだちゅうじ)が軽々と持ち上げたという力石もあり、力士岩倉をはじめとした大力の者の話が残されています(平成10年[1998]11月18日)。

このほかにも石や岩の伝説や話は各地にあり、特に「船乗り地蔵」など、石で作られた石仏にはさまざまな言われを持つものが見られます。改めて機会を捉えて紹介したいと思います。

カテゴリー: 民俗むかしの写真, 考古・歴史・民俗 タグ: パーマリンク