「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No79・伝説⑧ 女性の伝説)

伝説には女性を主人公としたものもたくさんあります。今回はその中から、高貴な身分であったとされる姫や女性にまつわるものを取り上げてみたいと思います。

前回のブログで、中央区淵野辺地区に館があった淵辺義博(ふちべよしひろ)が護良親王を殺害したと見せかけて、実は石巻にともに逃れたという伝説を紹介しましたが、緑区青山にはまた違った伝説が残っています。

それは、護良親王の首とともに鎌倉を出発した親王の側室(そくしつ)の雛鶴姫(ひなづるひめ)が青山にたどり着き、ここで親王の三十五日忌をして霊を慰めました。下の写真は青山の千部塚(せんぶづか)で、護良親王の三十三回忌にまつられた供養塔と言われています(平成18年[2006]6月21日撮影)。

 

山梨県との境に当たる緑区青根には折花姫(おりばなひめ)の伝説があります。戦国武将の武田勝頼が戦いに敗れた際に、その家臣である小山田氏にも追手が及び、娘の折花姫に翁(おきな)と姥(うば)を付けて先に逃がしましたが、結局、姫も自害して果てました。地元の人々は折花宮を建てて姫の死を弔い、別に「じじい宮」と「ばばあ宮」もまつりました。次の写真はそのうちの「ばばあ宮」です(平成19年[2007]3月7日)。

 

姫と言うと、これまで本ブログでも木や水に関わるものとして、照手姫(てるてひめ)の伝説を紹介してきました。緑区の小原・底沢地区の照手姫の化粧場だったとされる「七ツ淵」はその際にも触れましたが、近くにはその言われを記した解説板も立てられています(七ツ淵・平成20年[2008]11月18日、解説板・平成28年[2016]5月2日)

また、中央区上溝の照手姫が産湯(うぶゆ)や成長してからは化粧の水に用いたとされる泉は、これも前回取り上げたように河川改修によって今はありません。写真は、水源から流れ出ている姥川の様子(平成11年[1999]11月18日)です。なお、その跡に建てられていた照手姫伝承遺跡の碑は、横山丘陵緑地の姥沢地区内に移設しています(平成25年[2013]3月13日)。

 

最後に、南区下溝の堀之内地区は、戦国時代の小田原北条氏四代当主・氏政の弟である氏照の娘が山中氏と結婚する際に与えられた地とされ、この方は夫の死後に髪をおろして貞心尼(ていしんに)となりました。堀之内はその屋敷跡と言われ、集落では山中貞心神社をまつっています (平成12年[2000]12月7日)。

今回は、姫など女性について記してきましたが、次回は男性の武将に関するものに焦点を当ててみたいと思います。

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