「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No93 塩田石の利用)

相模原地域は台地上に位置し、一般には平らな地形と意識されていますが、それでも東西に流れる境川や相模川に向かっていくと段丘崖(だんきゅうがい)の坂がいくつもあります。

次の写真は、中央区田名地区の望地(もうち)河原に向かっていく坂道の一角ですが、よく見ると石を切り出したような跡があるのが分かります(平成23年[2011]6月8日撮影)。                   

 

これは地元で、塩田という地域の地名から「塩田石(しおだいし)」と呼ばれる石を切り出した跡で、塩田石は柔らかくて加工がしやすく、明治時代から昭和30年代まで石切りが行われました。当時非常に盛んだった養蚕での暖房用の炉(ろ)やこたつ、かまど、土蔵の建材など、いろいろなものに使われました。

次の写真のうち、一枚目は博物館の資料として保管している養蚕用の炉で、蚕は寒くなると成長が遅くなったり、繭を作るのをやめたりするため、時期により保温に気を使いました。二枚目は田名地区の農家の台所で、塩田石のかまどがあります。また、この家では、冬場の農閑期に塩田石の石切りの仕事をしていたため、石切りに使用する道具もありました(昭和61年[1986]7月11日)                                                      

 

最後の写真は、同じく田名地区にあった農業に使う堆肥(たいひ)を入れる小屋で、左側の土壁の下側に塩田石を積んで建材にしているのが見えます。そして、堆肥小屋の屋根は茅葺き(かやぶき)で、久しぶりに屋根の葺き替えを行うことになったために、作業用の足場が組まれています。この時の屋根替えの作業についても撮影させていただきました(昭和63年[1988]2月1日)。

                   

 

かつての相模原の生業は、麦やサツマイモなどの畑作と養蚕が中心でしたが、例えばワサビ作りや前回の砂利取りなど、本ブログでも紹介したように地区によってさまざまな仕事が行われてきました。そうしたものも地域の生活や歴史を知る上で重要な資料と言えましょう。

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