「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No96 甲州道中と小仏峠)

前々回の湖、前回の川を受けて、今回のブログでは山と言いたいところですが、民俗分野の活動では、山に登ったりする機会はほとんどありませんでした。

そのため今回は、わずかに峠越えをした経験として、平成19~20年[2007~08]に、市民とともに甲州道中(こうしゅうどうちゅう・旧甲州街道)を山梨県上野原市から東京都八王子市に向けて歩いた際の、「小仏峠(こぼとけとうげ)」越えを中心に紹介します。

なお、山岳のほかに、平地にある林のことも「ヤマ」と呼ぶことは各地で見られ、例えば相模原地域でヤマ仕事というと、雑木林などで落ち葉を掻いたり、燃料の木を伐ったりすることでした。

最初の写真は、山梨県上野原市の「諏訪関(すわせき)」跡です。前回のブログの一枚目で、上野原市の甲州道中から相模原側を望んだ写真を掲載しましたが、ちょうどこのあたりから撮影したものです。相模国と甲斐国との境にあって、関所の役割を果たしていました。                

 

二枚目の写真は緑区吉野の「吉野宿ふじや」(市登録有形文化財)です。甲州道中の宿場であった吉野宿の名残をとどめる建物として一般公開されており、藤野地区を中心とした資料の展示が見られます。                  

 

甲州道中の道筋は、現在の国道沿いのほかに旧道の面影を残すところも多くあります。写真は吉野地区の赤坂で、旧道を示す右側の標柱がないと迷ってしまうかもしれません。                  

 

本陣(ほんじん)は、江戸時代に大名の参勤交代(さんこんこうたい)などの際に休憩や宿泊に使われました。神奈川県内の東海道と甲州道中の宿場のうち、現在、建物が残っているのは緑区小原(おばら)の「小原宿本陣」(県指定重要文化財)だけで、貴重な文化財として一般公開されています。写真は本陣内部の「上段の間」です(この写真は平成21年[2009]撮影)。                  

 

甲州道中の旧道は、現在では通行不能の道もあり、次の写真は小原本陣からのかつての道を表示しています。そして、小仏峠には小原・底沢(そこさわ)集落を経て向かいますが、ブログNo.74「水の伝説」で取り上げた「七ツ淵の照手姫(てるてひめ)」は底沢の伝説です。                 

 

底沢集落を過ぎると、標高は548mの小仏峠までの森の中の山道が続いています。頂上にはいくつかの碑や石仏などがあって少し広くなっていて、周辺の深い山々を望むこともできます。                 

                 

 

最後の写真は、小仏峠を八王子側に下った先の八王子市駒木野の「小仏関所跡」です。小仏峠は甲州道中において山梨県の「笹子峠(ささごとうげ)」に次ぐ難所と言われ、その下に置かれた小仏関所は甲州道中の主要な関所の一つでした。

 

今回の写真は、平成20年[2008]の特別展準備のために企画したフィールドワークのもので、その成果は特別展に反映し、さらに参加した市民の方々にも展示作業や現地見学会の案内など、いろいろな形で関わっていただきました。これまでのブログでも取り上げたように、博物館ではそうした活動に基づくさまざまな写真も保管しています。

 

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