【満員御礼】尾崎咢堂記念館で山本五十六に迫る

1月22日(日)、近・現代史講演会「山本五十六と現代」を尾崎咢堂記念館で開催しました。
コロナ禍前は恒例行事だった近・現代史講演会ですが、令和元年以降は感染症拡大防止のため中止を余儀なくされていました。このため、本事業を委託している「尾崎行雄を全国に発信する会」と、3年ぶりとなる講演会が無事に開催されることを願いながら準備を進めてまいりました。

講演会の開催については、こちらのブログでも予告いたしましたが、当館ホームページやTwitter、広報さがみはら、市ホームページなどたくさんの場所でお知らせした甲斐もあり、楽しみにお越しいただいたお客様で開場後すぐに満員御礼となりました。

尾崎咢堂記念館の多目的室が満席状態となる盛況ぶりでした。

講師には、日本海軍戦史戦略研究所副所長を務め、ディレクターとしてNHK BS1番組「山本五十六の真実」の制作に携わった、海軍史家の渡邊裕鴻(わたなべ ゆうこう)氏をお招きしました。

講師の渡邊先生は三重県のご出身ですが、三重といえば本市緑区又野出身の郷土の偉人・尾崎行雄(咢堂)が14歳の時に移住し、第1回衆議院議員総選挙の際に立候補地となった尾崎行雄ゆかりの地でもあります。今回、尾崎の生誕地で開催となったことにご縁を感じつつ、約2時間たっぷりと講演いただきました。

講師の渡邊裕鴻氏

この講演会のメインテーマである山本五十六は、新潟県長岡市出身の旧帝国海軍軍人で、連合艦隊司令長官を務めた人物です。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」などの言葉を世に広めたことでも知られており、山本五十六が残した名言の数々を一度は耳にしたことがあるという方も多いのではないでしょうか。また、意外かもしれませんが、軍国主義が高まる中で国際平和を訴えて軍部を批判していた尾崎行雄とも、生前に交流を持っていたことが分かっています。

なぜ山本五十六は一貫して日米開戦に反対しながらも、真珠湾攻撃を立案したのかという視点は、その人物像を紐解く上で重要な手がかりのひとつです。
今回の講演会により、手記や写真から分かる歴史的事実や、遺族など周辺人物が残した聞き書きなどを通じて、平和を希求する思いと軍人としての立場との間で揺れ動いていた山本五十六という人物を知ることができました。
また、政治家と軍人という異なる身の上ではあるものの、反戦を掲げてそれぞれの立場で尽力した尾崎行雄と山本五十六のつながりについて、深く考える契機にもなりました。

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