ミニ解説③ 家康の重臣ゆかりの地

現在、相模原市立博物館では今年の大河ドラマにちなみ、ミニ展示「相模原にもあった!?徳川家康ゆかりの地」を開催しています。
話題のドラマに関連したミニ展示ということで、先月はNHKとの共催で本家大河ドラマ「どうする家康」出演者等身大パネルが当館にやってきたりと、おかげさまで反響をいただいています。(※等身大パネル展は2/26(日)に終了しました。)

このブログでは、過去2回にわたりミニ展示の見どころや裏話を紹介してきましたが、3回目となる今回はタイトルのとおり「家康の重臣(じゅうしん)ゆかりの地」にまつわる話をお伝えします。

ミニ展示の様子

重臣とはおもだった有力な家臣のことで、ドラマでも家康と家臣たちのやりとりに重きを置いて描かれているように、家康には数々の有名な重臣が仕えていました。
その中でも有名なのが、酒井忠次(さかい ただつぐ)、本多忠勝(ほんだ ただかつ)、榊原康政(さかきばら やすまさ)、井伊直政(いい なおまさ)の4名で、これらの重臣を総称して「徳川四天王」と言います。

市内緑区根小屋にある津久井城では、1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、徳川四天王のうち井伊直政、本多忠勝らが関わったとされています。
津久井城は山城(やまじろ)で、山そのものがひとつの城となっています。自然の地形を巧みに利用して築かれており、山の周囲には竪堀(たてぼり)という斜面に沿って縦方向に設けられた堀が張り巡らされています。これは、外敵の平行移動を防ぐほか、侵入経路を限定し、城側からの攻撃をしやすくする役割がありました。
徳川家臣団との大規模な攻城戦があったという記録が残っていないため、井伊直政や本多忠勝が津久井城の地形や竪堀に苦しめられたかは定かではありません。しかし、このミニ展示の準備にあたり、歴史担当職員が実際に竪堀を歩いてみたところ、確かに堀の間を動くのに一苦労しました。

山麓から見た津久井城

続いては、南区新戸(しんど)にある陣屋稲荷です。ここは、若年より家康に仕え、関東総奉行(ぶぎょう)、江戸町奉行、老中(ろうじゅう)などの要職を歴任した内藤清成(ないとう きよなり)ゆかりの地で、清成が本市域内など相模国(さがみのくに)5,000石を拝領した際に設けた陣屋跡地の一角と考えられています。陣屋の広さは2反6畝(=約2,600㎡)と言われており、ダブルスに使用する一般的なテニスコート1面が約260㎡なので、およそ10面分に相当します。
また、陣屋稲荷はミニ解説①で紹介した新戸の一里塚や座間市の宗仲寺に程近いため、一緒に現地を巡ってみるのもおすすめです。

内藤陣屋伝承が残るこの路地は陣屋小路と呼ばれます。

最後に、恒例の絵葉書コーナーの展示替えについて紹介します。3月7日(火)から第3弾の展示が始まっており、春が待ちどおしい小田原城の桜花や、日光・府中・三島の荘厳な寺社などが描かれた9点をご覧いただけます。

絵葉書も会期終了後は一旦見納めです。それまでにぜひご覧ください。

実物資料の展示替え及びミニ解説は今回で最後となります。ミニ展示は3月26日(日)までの開催となりますので、まだ展示をご覧になっていない方、もう一度ご覧になりたい方、たくさんのご来館をお待ちしています。

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