2011年3月11日から10年 その2 風景の落差

東日本大震災の時、銀河連邦として災害支援協定を結んでいる相模原市から岩手県大船渡市への支援隊の一員として、2011年3月19日から24日まで大船渡市に滞在した経験を綴るシリーズの2回目です。

津波の被災地は、以前巡視したことがある河川の洪水被災地よりもはるかに規模が大きく、また、一見して津波の破壊のエネルギーの強さが格段に大きいことがわかりました。それでも、同じ被災地なのに、がれきの山となった場所の道を隔てた反対側(陸側)は外見上ほとんど無傷という場所が随所にありました。逆に、リアス式で有名な三陸海岸は、歴史的にも幾度となく津波が起きているため、海岸線に被災の痕があまり見えない場所もあります。下の写真は、大船渡市碁石(ごいし)海岸です。

大船渡市碁石海岸(2011年3月24日)

それが、陸側を振り向くとこのような被災地の風景でした。同じ地点から撮影しています。

大船渡市末崎海岸大船渡市碁石海岸(2011年3月24日)

支援車両で、ありえない風景が続く道を走っていると、感覚がおかしくなりました。ありえない場所に船がある。家が横倒しになっている。水路にトラックやバスがはさまっている・・。

大船渡市中心部の海岸沿い(2011年3月20日)

大船渡市末崎町(2011年3月20日)

しかし、こうした風景の記録写真を撮っていて、ふと我に返ると「もっと酷い風景はどこか」と探している自分にがく然としました。

非日常と向き合うには、それなりの精神力が必要です。そのバランスを取るための客観視は不可欠で、しかしそれが偏りすぎると、逆に揺り戻しに耐えられなくなります。そんな中、支援物資の仕分けにあたっていた大船渡市役所の職員さんがつぶやいた(というより、ほとんど叫びでしたが)「普通のカレーが食いてぇなぁー、熱いやつ、食いてぇー」という言葉。支援活動の間、この叫びを思い出しては精神のバランスを取っていました。理由は今でもよくわかりませんが、日常の感覚を呼び戻してくれていたのだと思います。

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