「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No73・伝説② 木にまつわる伝説)

前回のブログでは、境川の流れに沿っていくつかの伝説を紹介しました。今回は「木」を取り上げますが、もちろん前回の緑区広田の「下馬梅(げばうめ)」や中央区東淵野辺の「縁切り榎(えのき)」も、市内の代表的な木の伝説です。

最初の写真は、南区当麻の無量光寺(むりょうこうじ)門前にある「なぎの木」です。無量光寺は時宗(じしゅう)を開いた一遍上人(いっぺんしょうにん)ゆかりの古寺で、一遍が突き立てた杖(つえ)がそのまま根付いたものと言われています(平成11年[1999]12月撮影)。

 

また、次の写真は、中央区横山台の榎神社境内の榎(えのき)で、照手姫(てるてひめ)が刺した杖が根付いたといい、そのため枝が下を向いていたので逆さ榎と呼ばれていました。現在は二代目です(平成12年[2000]7月)。

市内の照手姫の伝説は改めて触れたいと思いますが、それにしても下馬梅やなぎの木など、みな逆さに生えていたとされ、伝説の一つのパターンであったことが分かります。

次は、南区下溝の「八景の棚(はけのたな)」バス停近くにある「さいかちの木」で、戦国時代に武田信玄が小田原攻めをした際に、戦いに勝つ幸先(さいさき)を祝って、さいかちの木を植えたと言われています。この付近は、写真のように西側が崖になって見晴らしがよく、桜並木などもあってかつては料理屋などが並んでいました(平成11年[1999]10月)。

 

伝説に見る木の中には、現在はすでになくなっているものもあります。中央区田名のその名の通り大杉の池にあった大きな杉は、高尾山から見ても分かるということで有名だったと言います。写真の右側が大杉の池で、ここから流れる水は八瀬川(やせがわ)の水源となっています。また、水が湧く場所らしく弁天(べんてん)様が祀られています(平成11年[1999]2月)。

 

古くから伝わるものではありませんが、緑区長竹の大欅(けやき)はちょっと面白い話があります。昭和初期頃に付近の農家の人びとに天気を知らせるため、ラジオの天気予報によって天気ごとに色違いの旗を欅に掲げ、その結果で当日の農作業の計画を立てたと言います。地域の中では、時代に応じてさまざまな話が生まれていました(平成16年[2006]6月)。

最後は緑区相原の「二本松」です。明治の終わり頃に、この地にあった神社境内の木々は切り倒されたものの、道端の二本の松はそのまま残されました。その後、この松も枯れたりしましたが、地元に保存会が結成され、新たな二本松が植えられました。そして二本松の名称は、地区名や学校名など広く使われて地域の人びとに親しまれており、その由来とともに語られています(平成16年[2006]4月)。

 

伝説は、具体的な事物にまつわるさまざまな言い伝えや話として、多様なテーマが可能です。これからもいろいろな内容に触れていきたいと思います。

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