「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No83 井戸)

前回の職員ブログでは、大島や田名地区の湧き水を利用したヤツボを紹介しましたが、水道が引かれる前は井戸の水を使うのが普通で、各家に井戸がありました。

最初の写真は、文化財記録映画「続相模原の年中行事」の際の撮影で、本ブログNo.38「正月準備」でも取り上げており、元日の若水(わかみず)を井戸で汲んでいるところです。井戸綱を引っ張って、水が入ったつるべ桶を引き上げています(緑区橋本・平成2年[1990]1月撮影)。                

 

現在も庭の一角に井戸が残っているのを見かけることもあり、もちろん飲料水ではなく、ちょっとしたものを洗ったりするのに使われています。写真は南区当麻で、水の汲み出し口に麻袋を付けてゴミなどを取り除いています。よく見ると、井戸の左側に白と青の幣束 (へいそく)があり、井戸の神様がまつられています(昭和63年[1988]2月)。                   

 

かつての住居にはさまざまな神がまつられており、中央区田名のこの家では、年の暮に神棚のしめ縄などと一緒に井戸用のお飾りを作って飾りました(昭和60年[1985]12月30日)。                   

 

井戸に関わる作業で重要だったのが井戸替えです。春先の3月から4月上旬頃に、井戸の中の汚物を掃除をするもので、近所の家々で集まり、順番に各家の井戸替えを行っていきました。井戸替えには、中に人が入って水を掻き出したり掃除をしますが、そのための大きな桶に取り付ける綱を編む作業を再現していただきました(南区当麻・平成6年[1994]3月10日)。

井戸替えの綱は太くするため、井戸替えをする家々が共同で綱を編み、毛羽だったところの藁が手に刺さらず、なめらかになるように火で焼いていきます。そして、できた綱を桶に縛ります。

最後の写真は、完成して綱を付けた桶と、綱を巻いて伸ばしたり引っ張ったりする井戸替え用の井戸車を撮影したものです。なお、井戸替えの綱は水に強い棕櫚(しゅろ)縄を使うことも多いのですが、この時は藁で作りました。                

 

一般に市内の相模原地域は台地の上に集落が広がっていて、水の確保に苦労するところもあり、特に江戸時代に開発された新田の地区では、「井戸百尺」と言って、百尺(約30m)も掘らないと水が出ないなどとも言われました。

井戸は、神をまつり、また、いろいろな作業を行って管理するなど、人々の生活に欠くことのできない水を得るものとして大事にされていたのです。

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