「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No89 どんど焼き・団子焼き④)

どんど焼き関係で最後となる今回は市外の写真です。博物館では、例えば企画展の準備や民俗講座の中で、市民とともに行うフィールドワークの一環として市外の行事も調査しており、市外の状況を知ることで逆に相模原の特徴がよく分かることがあります。

最初の写真は町田市木曽町の境川地区のどんど焼きで、まさに点火したところですが、右下に四角いものが写っています。これは道祖神の石塔で、どんど焼きで実際に道祖神も燃やしており、元からあったものが傷みが大きくなったため、今では新しい石塔を作ってそれを燃やしています。ここではどんど焼きで道祖神を燃やす、という伝承が引き継がれています(平成24年[2012]1月8日撮影)。                  

 

次の写真は、大磯町の海岸で行われる「大磯の左義長(さぎちょう)」で、特徴ある行事として国重要無形民俗文化財に指定されています。海岸に作られた九つのサイトと呼ばれるお飾りなどを積み上げたものが並ぶ姿は壮観で、夜になると点火されます(平成12年[2000]1月14日)。                   

ここでは、橇(そり)のような台に乗せた仮宮(かりみや)を作り、裸の若者たちが極寒の海に引き入れて陸と海側で綱引きをして、その後で仮宮をつぶして地区内を引き回す「ヤンナゴッコ」が行われます。写真は仮宮と、海から上がって引き回しているところで、座っている青年の下側につぶした仮宮が見えています(平成13年[2001]1月14日)。                    

 

どんど焼きは元は子どもの行事とされ、準備なども子どもがしていました。そして、道祖神の小屋に子どもが集まり、そこを通る人たちから賽銭(さいせん)をねだったという話は市内でも聞くことができます。

秦野市堀山下(ほりやました)では「悪魔っ払い」があり、衣装やお面を身にまとった子どもたちが集落の各家を訪れ、「悪魔っ払い、悪魔っ払い」と唱えながら悪いものを払って、お礼の金を貰うということが行われていました。次の写真は、この地区の道祖神の小屋の様子と悪魔っ払いです(平成15年[2003]1月13日)。                  

 

市内では山車(だし)というと夏祭りを思い浮かべますが、県西部では1月に道祖神祭りとして山車が出されています。一枚目の写真は山北町で、地元で花車(かしゃ)と呼ぶ各地区の山車が集まったところです(平成13年[2001]1月14日)。                 

小田原市南鴨宮(みなみかものみや)では大きな山車が曳かれ、山車にたくさんの提灯(ちょうちん)が付けられており、前年に生まれた子どもやその親などの名前が記されています(平成26年[2014]1月11日)。また、同じ小田原市でも前川(まえかわ)の三地区では山車に人形を飾ります。毎年テーマを決め、ちなみに掲載した中宿では、織田信長が討たれた本能寺(ほんのうじ)の変がこの年の内容でした(平成26年[2014]1月11日)。                  

 

最後の写真は箱根町宮城野で、右側に道祖神の小屋、左側には高く掲げた竹にダルマや御幣(ごへい)などを飾ったオンベと呼ばれるものが見えます。日本を代表する温泉地・箱根でもこうした古くからの行事が行われています(平成23年[2011]1月12日)。                   

 

今回は、町田市のように相模原でも同様の伝承が確認されるものとともに、市内では行われていなかったものも取り上げました。市内を中心に視点を広げていくことで、この行事の地域的な特徴や多様性が捉えられ、そうした点を示すのも博物館の役割の一つと言えます。

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