「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」展示品紹介その2

現在、開催中の「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」で展示中の資料を紹介します。

今回は「顔面把手(がんめんとって)」。勝坂式土器にみられる土器の縁の部分(口縁)に、顔が付くものです。

展示中の資料は座間市蟹ケ澤(かにがさわ)遺跡から令和4年10月にみつかったものです。

両面にお顔がある顔面把手

相模原市では、下溝大正坂遺跡出土のものがあります。そのお顔を比較してみると・・・

ゆるい「m」字のまゆげ、特徴的なお鼻、開いた口、両側に貫通した穴があるなど、共通している部分があります。

左:蟹ケ澤遺跡 右:下溝大正坂遺跡(相模原市)

土器の外側・内側

さらに、横から見ると、お鼻や目の高さが微妙に違います。

赤破線:推定の大きさ

上の写真は土器の内側で、顔が歪んでついています。なぜ内側かというと、残存する口縁のカーブの状況や、土器の上から見ると顔が中心側を向いていることがわかるためです。また、赤の破線はおそらくはこのような口縁の大きさでは?と推定したラインです。

常設展示の勝坂式土器のコーナー

常設展示の土器と口縁の具合を比較すると、大きい土器は弧が緩やかで、小さい土器は弧がきつくなっています。このことから中ぐらいの大きさの土器につけられたものかもしれません。

皆さんも実物をじっくりご覧いただき、縄文人の顔への意識を考えてみるのはいかがでしょうか。

本展示は3月5日(日)まで開催しています。また、3月4日(土)には展示解説がありますので、ぜひご参加ください。

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冬鳥の表情

先日、継続的に行っている野鳥の調査のために、市内南区下溝の相模原沈殿池へ行きました。今冬はオシドリが滞在しているので、観察に来ているバードウォッチャーが何人もいました。

オシドリのオス(左)とメス(右)

こちらはすでにペアになっているのか、なんとなく余裕の表情です。現在、10羽ほどの群れになっていますが、メスは2羽しかいないため、ちょっとアンバランスですね。ところで、「おしどり夫婦」という言葉がありますが、オシドリは毎年ペアを作り直します。
こちらは、護岸で寝ているコガモです。

護岸で休息中のコガモ

日なたでのんびり寝ているように見えますが・・じつは、しっかりこちらを見ています。

アップにすると、しっかりこちらを見て警戒しています

休息中も警戒を怠ってはいないのが、野生生物らしいですね。
こちらは畑地で食べ物探しをしていたツグミです。

ツグミ

3歩ほどホップしては立ち止まり、背伸びをしてあたりをうかがっています。バードウォッチャーの間では「だるまさんがころんだポーズ」などと呼ばれますが、実際は遊んでいるわけではなく、警戒中です。姿勢のせいもあるかもしれませんが、キリッとした表情に見えますね。

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「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」展示品紹介その1

現在、開催中の「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」で展示中の資料を紹介します。

今回は「注口土器と土偶」。注口土器は今から約4200年前の縄文時代後期に一般化した土器で、注ぎ口がつけられ、急須あるいはヤカンのような形状です。展示では綾瀬市上土棚南遺跡から出土した資料を紹介しています。

こちらが注口土器。左は注ぎ口が破損してみつかったものです。(左:高さ10㎝、右:高さ12㎝)

高さ8㎝の小形の注口土器。しっかり注ぎ口があります。

縄文土器と言えば深鉢形がよく知られていますが、注口土器はなんともユーモラスな形をしています。何に使われたのかはっきりしませんが、お酒を入れたり、祭祀に使ったものと推測されています。よく見ると細かな沈線や縄文が施文されているのが分かります。

また、綾瀬市上土棚南遺跡の土偶を3体展示しており、いずれも綾瀬市の指定文化財に指定されています。

中空土偶に手足があります。高さ:22㎝ 黒味が強い部分は復元部分

筒形土偶の胴部。頭は見つかっていません。高さ:14㎝

筒形土偶の顔

これらの注口土器と土偶から上土棚南遺跡の縄文人はどのような祭祀をしていたのでしょうか??実物から想像してみるのも面白いと思います。

本展示は3月5日(日)まで開催しています。また、3月4日(土)には展示解説がありますので、ぜひご参加ください。

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博物館収蔵資料紹介~講の掛軸

講(こう)は、地域の人々が集まって特定の神仏をまつり、信仰的な行為を行うもので、市内にもさまざまな講が見られました。その際には神仏の姿や文字を書いた掛軸(かけじく)を飾り、博物館でも各地の掛軸を収集しています。

最初の写真は、南区下溝の古山(こやま)集落で平成14年(2002)4月16日に行われた念仏講(ねんぶつこう)の様子で、正面に掛軸を飾り、その前で出席者の女性が並んで念仏などを唱えています。念仏講は市内で広く行われていましたが、この地区では写真の念仏講が最後となり、掛軸など使用するものが博物館に寄贈されました。

二枚目の写真は掛軸を撮影したもので、左側は十三仏(じゅうさんぶつ)で13の仏が描かれています。真ん中の掛軸には「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と書かれており、南区当麻の古刹(こさつ)である無量光寺(むりょうこうじ)と係わるものです。そして、右側は有名な観音(かんのん)をまつっている八王子市大塚の清鏡寺(せいきょうじ)から出された掛軸です。                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お稲荷さんは各地にあり、稲荷講も盛んに行われていました。この写真は南区当麻の掛軸で、女神や狐とともに白笹(しらささ)稲荷大神と書かれています。白笹稲荷はこの近辺では秦野市が有名ですが、この地区では、明治45年(1912)に火防の神として秦野の白笹稲荷社から御霊(みたま)を分けていただき、稲荷講では地元の白笹稲荷社にお参りしたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の写真は、土地や作物の神である地神講(じしんこう)の掛軸で、このように地神講では武士の姿をした神を描いたものもありました。掛軸の絵は、中央区上溝出身の日本画家である吉川啓示(よしかわけいじ)画伯に昭和26年(1951)に依頼したもので、地元の高名な画家が描いたものとしても注目されます(収集地・中央区田名)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の写真も地神講と同じ地区からいただいたもので、勢至菩薩(せいしぼさつ)としてまつられていました。地神講の掛軸は昭和になってから作られたのに対して、こちらは古くからあり、この地区では、女性による毎月二十三日夜の二十三夜講や二十六日の二十六夜講が行われ、その際に飾られたものではないかとされています。明治19年(1886)からの二十三夜講の記録なども残されており、これらも一緒に寄贈されました。                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は講に関する資料を中心に紹介しましたが、このほかの信仰に係わる資料もたくさん保管しています。次回もそうしたものを取り上げたいと思います。

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津久井城跡市民協働調査の講習会・展示製作を行いました。

今年11~12月初めに行った津久井城跡城坂曲輪群の7号曲輪について、その調査成果を博物館にて発表しました。
開催日は1月18日、当日は29名の参加がありました。

会場の様子

講師は文化財保護課職員であり、津久井城跡の概要や7号曲輪の位置、どこに調査トレンチを入れ、どのような土層があったのか、何がみつかったのか説明しました。

多くの情報を整理し、丁寧に説明。

調査結果の概要ですが、地山である関東ローム層を削った段切りがみつかり、平場が造られていたことが確認されました。そして出土遺物から16世紀後半の天正期には平場が利用されていたと推測されます。なお、この時期は下段に位置する5号曲輪の庭園遺構が築かれた時期と同じです。

 

2月2日には展示を製作しました。参加した市民調査員は6名です。
市民協働調査では、毎年博物館で開催される考古分野の展示で、11月に行った発掘調査の成果を公開しています。
まずは、座学。考古担当学芸員から博物館の機能や学芸員の役割、過去の津久井城跡の展示の様子を説明します。津久井城跡市民協働調査の成果公表についても、市民調査員に参加して頂き、津久井城跡の様子をみんなで伝える目的があります。

博物館の機能、学芸員の役割は??みんなで考えます。

座学の後は、特別展示室に移動し、解説パネルの製作です。カッターナイフを使い、丁寧に切ります。展示には見栄えが必要です。安全第一かつ綺麗に仕上がるよう、みなさんをサポートします。

安全第一!

写真パネルなどが完成したので、展示ケース内で配置を決めます。皆さんが調査した遺跡なので、どのように配置するのか、皆さんでじっくり話し合います。配置が決まったら、打ち付けます。

ケース内に虫ピンで打ち付けます。

パネルを打ち付けること9枚!

その後、考古担当学芸員によりケース内に出土した土器や記録図面、解説パネル等を入れ込み、完成しました。

完成した7号曲輪の展示

令和4年度の調査成果は「かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」の中で展示しています。3月5日まで特別展示室で公開していますので、ぜひご覧ください。

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今日の雪

2月10日、今冬初めて、本格的な積雪を伴う雪が降りました。博物館もすっかり雪景色です。

2月10日午前の相模原市立博物館

博物館の前の通りも路面に雪があります。博物館は通常どおり開館していますが、周辺及び敷地内は大変滑りやすくなっています。

博物館前の様子

さて、せっかくの機会なので、雪の結晶を撮影してみました。

2月20日の雪の結晶

地上へ到達するまでに大半の結晶は崩れたり、ほかの結晶とくっついて形がわからなくなります。六角形のまま降ってきて、さらにそれが撮影しやすい位置に収まる確率はごくわずか。これらの写真は、博物館駐車場のフェンスの上に積もったものを撮影しました。フェンス沿いを何往復もしてやっと撮影できました。

雪の結晶

雪の結晶

ふと思い出して、前庭のウグイスカグラのところへ行くと、雪をかぶった花が、けなげに咲いていました。

ウグイスカグラの花

そばでヒヨドリが、慌てた様子でヤブランの果実を食べていました。
野生動物にとって、積雪は飢餓に直結します。明日は晴れ予報です。しっかり雪を融かしてくれるよう、太陽に期待しましょう。

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野鳥の標識調査

毎年、博物館お隣の樹林地で野鳥の標識調査を実施しています。これは、標識調査の資格を持った人(バンダー)がカスミ網で野鳥を捕獲し、足環(あしわ)を付けて放鳥するものです。その足環が今後、どこかで回収されると、その野鳥の移動や生きた年月が明らかになるもので、環境省が山階鳥類研究所に委託して行っている専門的な調査です。今年も2月6日から7日にかけて実施しました。
捕獲調査なので、ふだん近い距離で見ることがあまりない野鳥を、間近で観察できます。例えば、タカの仲間のツミです。

ツミ(オス)

精悍(せいかん)な顔つきで迫力満点ですが、ツミは国内のタカ類の中で最小です。これはオスなので、ヒヨドリくらいの大きさしかありません(タカの仲間の多くは、オスよりもメスの方が大きいのです)。
こちらはトラツグミです。普段は薮(やぶ)の中にいてあまり姿を見せてくれないので、こうして近くから見ると、その美しさ、堂々たる大きさに圧倒されます。

トラツグミ

こちらはエナガです。双眼鏡ごしに見ていても小さな鳥ですが、間近に見ると改めてその小ささに驚きます。

エナガ

こちらはシメです。頭部の黄金色が美しいオスです。

シメ

よく見ると、翼の先端近くに青紫の光沢が見えます。こんな色合いも、間近でなければなかなかわかりません。
さらに今回は、足環のついた鳥の再捕獲が多くありました。中でも、2020年1月に同所で足環を付けたシロハラが捕獲されました。シロハラは日本では冬鳥で、中国東北部からロシア沿海地方にまたがる繁殖地のどこかの地域と、この場所を3往復半していることになります。なんとも感慨深い“再会”となりました。
こちらは捕獲はできなかったのですが、調査ステーションの真上に飛んできたリュウキュウサンショウクイです。

リュウキュウサンショウクイ

この鳥は近年になって東日本へ分布を広げてきた注目の野鳥です。神奈川県内では繁殖も確認されていて、この鳥の季節移動の実態がどうなっているのか注目されています。標識調査ができれば、そうしたことの一端も見えてくるかもしれません。今後、この鳥にも標識を付けられたらと、新たな目標もできました。
寒い中、早朝からの作業でしたが、いろいろな成果が出て充実した調査となりました。

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【3月5日まで】「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」開催中です。

当館では令和5年2月7日(火)から3月5日(日)まで、「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」を開催しています。

博物館正面の表示も展示に合わせて入れ替えました。

今回テーマは、「縄文時代中期~晩期にかけての環境適応」です。

特別展示室正面です。

縄文時代の中期(約5,500年前~約4,500年前)から後期(約4,500年前~約3,300年前)は、気候の寒冷化があったと推測されています。縄文人はこの環境の変化に対応しようと暮らしを変化させたことが、様々な遺構や遺物の様相からわかります。
今回は県内を中心に考古資料から縄文人の環境適応を紹介します。

展示の様子

中期の土器が並んでいます。

注ぎ口がついた「注口土器」

展示の見どころに有機質の資料、すなわち「骨」・「木」があります。貝塚からはイノシシやシカなどの骨がみつかっており、主に動物骨を縄文人が加工し、漁労具として使用していました。また、水が湧く低地などに木を加工した杭や板を組み合わせ「水場遺構」を設置していました。これは堅果類のアク抜きをした施設と考えられます。このように縄文人が多様な自然環境を適応していたことが明らかです。

遺跡から見つかった骨の漁労具や、木製品

縄文土器、土偶をはじめとし縄文人の生活ぶりが伺える資料を約600点展示しています。この機会に縄文人が残した優品をじっくりご覧ください。ご来館をお待ちしております。

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2月から3月にかけて宇宙イベントが盛りだくさん!

博物館のチラシやホームページなどで、もしかしたらお気づきかもしれませんが、2月から3月にかけて宇宙関連の事業が次から次へと予定されています。

まず、2月11日は、令和4年度「宇宙(そら)に飛び出せ!中央区こどもカレッジ」のオンラインイベントが開催されます。こちらは相模原市内在住在学の小学3年生から6年生が対象。申し込みは2月5日までです。イメージ画像

そして、2月18日は、「はやぶさ2#寄席」。こちらは先日の受付開始と同時に怒涛の申し込みをいただきまして、おかげさまで1部2部とも満席になっています。でも、配信もありますので、当日参加できない方も、お楽しみいただけます。また、ツイッターで事前質問を受付中ですので、2月17日までに「#haya2_QA」とハッシュタグをつけてつぶやいてくださいね。

その翌週、2月25日は、毎年恒例の「研究機関等公開講座JAXAコース」として「『はじめての宇宙科学』~三世代で星空を眺めよう~」を開催します。こちらは昨年に引き続き、プラネタリウム(今年は全天周映画「ノーマン・ザ・スノーマン~流れ星のふる夜に~」)をご覧になってから、大会議室での講演会、という趣向になっています。昨年は苦渋の決断で講師の先生の研究室からの中継という形になりましたが、どうやら今年度はリアルイベントとして開催できそうです。全天周映画をご覧いただいてから、JAXA宇宙科学研究所宇宙科学広報の大川拓也さんによる、宇宙についてのクイズやお話を伺います。タイトルどおり、小学生から大人まで、みなさまに楽しんでいただける内容です。もちろん、親子や祖父母と孫、という組み合わせでもご参加いただけますし、大人の方お一人や大人だけのグループ参加も可能です。こちらの申し込みは生涯学習センターへ直接か電話(042-756-3443)、あるいはメール(silc@sagamihara-kng.ed.jp)で2月4日午前9時からは相模原市在住・在学・在勤の方の先行申込期間、②(残席がある場合は)2月11日からは市外の方もお申し込みいただけます。

午後1時からのプラネタリウムを見ていただく関係上、開始時間は厳守となりますのでよろしくお願いします。

はじめての宇宙科学 ポスター

同じく、2月25日には「ナイトプラネタリウム&観望」。こちらのお申し込みは前月22日までということで既に終了いたしました。当選者の方、当日現地でお会いしましょう。

さらに、3月11日には既報の令和4年度「宇宙(そら)に飛び出せ!中央区こどもカレッジ」のオフラインイベントが開催されます。こちらも受付終了。たくさんの応募をいただいておりまして抽選になる見込みとのことです。

3月25日開催の「ナイトプラネタリウム&観望」のお申し込み受付は2月15日から22日までです。詳しくはこちら。毎回抽選となる人気の事業ですが、ぜひチャレンジを!

この「ナイトプラネタリウム&観望」は、毎回多くのお申し込みをいただき、年度当初は先着順とさせていただいていたものを、途中から抽選方式にしたものです。これからもよりよい運営方法を検討していきたいと思っていますので、ご理解とご協力をお願いいたします。

さて、長々と列記して参りましたが、実は他にも企画を進めているものがあります。お知らせできる時期になるのが私たちも待ち遠しいものですので、どうぞお楽しみに。

みなさまのご参加、ご来館をお待ちしております!

 

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博物館収蔵資料紹介~こどもの儀礼

前回は、人の一生の中でも婚礼の資料を取り上げました。今回は子どもの誕生や成長にまつわる資料です。

最初の写真は、南区下溝で昭和18年(1943)に生まれた女児のオビアケ(宮参り)の際に、中央区淵野辺の実家から贈られた着物です。前回、昭和17年に結婚した方が使った髪飾りを紹介しましたが、その翌年に誕生した長女のものです。第二次世界大戦中の物資の乏しい時代で買うこともできず、実家で持っていた糸を染めて織ってもらいました。                   

 

糸に挽(ひ)いても良い生糸にならない屑繭(くずまゆ)を、枠(わく)に引っかけて広げて作る真綿(まわた)は、布団の中の綿が寄らないように入れるほか、寒い時期には背中に入れたり、首に巻いたりしました。

そして、子どもが生まれて初めて外出する時や宮参りの時に真綿を子どもの頭に掛けることがあり、髪の毛が真綿のように白くなるまで長生きできるようにという願いが込められています。この真綿は、東京の実家から中央区上溝の孫に贈られたものです。                   

 

次の写真は、最初の宮参りの着物を着た女児の七歳の祝いの着物で、やはり母親の実家から晴れ着が届けられました(収集地・南区下溝)。そして、この際には親戚からも髪飾りや履物などが贈られ、二枚目の写真は親戚から貰ったポックリです。ポックリは、宮参りだけでなく、何かお祝いがある時や正月などにも履きました。                                  

 

女児が生まれて初めての三月節供(せっく)に雛人形が贈られます。次の写真は、昭和10年(1935)の南区下溝の旧家のもので、御殿の中に人形が見えています(前の着物をいただいた家とは別)。雛人形にも移り変わりがあり、昭和初期には御殿飾りも出てきて、その後、現在のような段飾りが主流になりました。                 

 

最後の写真は雛人形と同じ家からの寄贈で、男児の五月節供用の内幟(うちのぼり)です。五月節供には、実家から鯉幟(こいのぼり)や幟旗(のぼりばた)が贈られ、こうした家の中に飾るものもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が生まれてから成長し、やがて老いていくまでの人生の折り目にはさまざまな儀礼が行われ、それは現代でも同じです。今後とも、この地域の人々の人生儀礼のあり方について、資料を基に明らかにしていければと思います。

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