「軍都さがみはら展」のコーナー解説ブログ③

今回は、緊急事態宣言を受けての休館により会期途中で終了した博物館×公文書館共催 相模原町誕生80年記念企画「軍都さがみはら展~国内最大の町誕生物語~」のコーナー解説③を記します。

企画展入口看板です(生き物写真展も同会場で開催していました)

今回は第3章「軍都計画と相模原町の誕生」です。

第3章「軍都計画と相模原町の誕生」コーナー全体

この軍都さがみはら展コーナー解説ブログ①「陸軍士官学校の東京からの移転」②-1「各陸軍施設の移転と建設」前編②-2「同タイトル」後編で紹介したように、1937年(昭和12)~1942(昭和17)にかけて、市域内には8つの陸軍施設が移転・建設されました。

相模原町域の軍事施設

そうした中で1939年(昭和14)に神奈川県より区画整理事業「相模原都市建設区画整理事業計画」が県議会に提出されました。この計画がいわゆる「軍都計画」と称されるもので、内務省の告示、施行命令を受け実施されることとなります。

新磯村役場資料~「軍都計画」は正式名称ではないのに使用…軍都計画という言葉が浸透していたことがうかがえる~

この計画は、相模原に人口10万人の新都市を建設をするもので、相模陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)を中心に放射・半環状の道路を配し、住居地域、商業地域、工場地域に分け、さらに想定人口に合わせて学校・公園を置く先進的な計画でした。現在の国道16号線が横の幹線道路で、造兵廠の西門から当時の中心地上溝に至る現在の市役所前通りが縦の幹線道路など、軍都計画が基になっている場所が現代でも多くあります。

相模陸軍造兵廠を中心にした「相模原土地区画整理地区予定図」

軍都計画を進める上で神奈川県では、周辺町村の合併も目論んでいました。当初は大和村(現 大和市)までをも含む合併が検討されましたが、最終的には上溝町、座間町、相原村、大野村、大沢村、田名村、麻溝村、新磯村の2町6村が合併し、1941年(昭和16)4月に当時国内最大面積の相模原町が誕生しました。

相原村役場資料「町村合併に関する書類」

今回の展示では、軍都計画や町村合併に関する文書資料の他、当館に収蔵されていた「相模原町角印」も展示いたしました。

「相模原町」角印 (大きさ:たて・よことも4.5㎝) ~保存状態も良好~

今回は、軍都計画と2町6村の合併による当時国内最大面積の相模原町誕生について紹介をしました。これらの詳細は、『相模原市史 現代テーマ編~軍事・都市化~』ほか近現代関係の『相模原市史』などを図書館等でご覧ください。(市役所行政資料コーナーや博物館ミュージアムショップで購入も可能です)

『相模原市史 現代テーマ編』ほか近現代関係

また、当館は緊急事態宣言中は休館のため、軍都さがみはら展の展示解説動画を当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」に掲載しておりますので、動画もご覧いただければ幸いです。

当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」

次回は、軍都計画、町村合併のもとで行われた戦時中の相模原の都市整備について紹介していきます。

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