博物館の中に、市民学芸員によるかわら版が掲示されている場所があるのをご存じでしょうか。
場所は1階の自販機のあるコーナーです。
かわら版の内容は大体二ヶ月ごとに更新されています。
今回のテーマは「潤水都市さがみはらPart1 魅力あふれる津久井湖」です!
津久井湖や城山ダムだけではなく、周辺のおすすめスポットも紹介しています。

博物館へお越しの際は、ぜひこちらもご覧ください!
12月8日と年明けの2月8日はヨウカゾウといわれる日で、両日とも一つ目小僧が来る日とされていました。「悪いことをすると一つ目小僧に連れて行かれる」として、子ども心にも怖いものでした。
そのため一つ目小僧が来ないように、目が多い笊(ざる)や籠(かご)を玄関に吊るしたり、竿の先に掛けて立てたりしました。籠類を吊るすのは、目が多いため目が一つしかない一つ目小僧が驚いて逃げかえるためです。
写真は第9作目の文化財記録映画「続・相模原の年中行事」製作時に撮影したもので、芋を洗う時などに使うイモフリメカイを竹竿の先に掛けて立てています(平成元年[1989]12月・南区上鶴間本町)。
次の写真は緑区相原で、この家では玄関の脇に吊るしています。また、一つ目小僧が家の中に入らないように、いやな匂いのするグミの木を燃やすことがあり、写真はストーブで燃やしているところです。さらに、この日の夕飯にはケンチン汁を食べました(いずれも昭和63年[1988]2月)。
近年でもこうした行事を行う家があり、写真は平成24年(2012)12月・緑区根小屋での撮影です。イモフリメカイとフルイが吊るされており、フルイは近年のものですが目が多ければよいとして、この家では二つ吊るすそうです。
また、この日に下駄などの履物を外に出しっぱなしにしておくと、一つ目小僧に判を押されてしまい、それを履くと病気になるので必ず履物を家の中にしまいました。
師走に入り、ヨウカゾウも終わると正月は目の前です。次回からは正月の準備や正月行事の写真を紹介します。
小惑星探査機はやぶさ2が、地球への帰還のラストスパートにカプセルを切り離し、再突入を成功させました。回収も成功したとJAXAから発表があった12月6日午前、博物館前の通りは木々も紅葉のラストスパートを迎えています。
コナラ、クヌギ、ケヤキなどが黄色や赤茶色に染まっています。
見上げるばかりでなく、目線の高さにもこんなものがあります。枯れたつる植物が無造作に巻き付いているように見えますが・・
よく目を凝らすと見えてくるのは、黄金色に光るヘクソカズラの果実です。
さらに、マユミも真っ赤な果実をつけています。
はやぶさ2本体は次なる目的地へ向けて加速を始めているようですが、帰還カプセルは、間もなく相模原へやってきます。どんな試料を持ち帰ってきてくれているのか、今からワクワクしますね!
特別展示室は現在入口のシャッターが閉まっていますが・・・
中では次の企画展の準備が着々と進んでいて、活気があります。
準備しているのは今回も二本立ての企画展示で、12月5日(土)から始まる開館25周年記念企画「色々な石展」と、学習資料展「道具が変えるわたしのくらし~過去から未来へ向かう記憶~」です。展示室を二つに区切って開催します。こちらは、色々な石展。
大小様々な色の岩石や鉱物が並べられています。石ってこんなにカラフルなんだ!と驚かされます。
若手の職員総出で運び込み、列品した大きな石も。
そして学習資料展は毎年恒例で、今回も市民学芸員のみなさんが企画から資料選定、列品まで準備してこられました。
マネキンの扱いも手慣れたもの。
ジオラマはなんと市民学芸員のみなさんによる手作り!
小中学校の学習に役立てていただくために、ちょっと昔のくらしの道具をたくさん並べています。
オープンの12月5日(土)までもう少しです。どうぞお楽しみに!
12月に入り、コートやマフラーが手放せない時期になってきました。
今年の冬は例年と違い、マスクも常備する毎日になりそうです。
そして、その格好は冬の星空観察をする時の対策としても効果的ですので、
ぜひ風邪をひかないような暖かい服装でお楽しみください。
観察準備ができたら、いざ!星空観察です。
これからの時期は、冬の代表的な星座や天体を楽しむ絶好のチャンス。
まずはオリオン座を探してみましょう。
夜9時頃なら、東よりの低い空で輝いています。
赤い星ベテルギウスと青白い星リゲルを見つけて、その周りの星々を線で結ぶと
砂時計のような形ができます。それがオリオン座です。
ベテルギウスとリゲルの間には三つの星が規則正しく並んでいますが、
それは「三ツ星」と呼ばれます★★★
また地域によっては、この三ツ星のことを
お団子に見立てて「団子星」と呼ぶこともあります。
その三ツ星の南側には「オリオン大星雲」という、美しい天体があります。
ここは別名「星のゆりかご」と呼ばれ、中では今この瞬間にも
新しい星が次々と生まれている天体です。
街明かりの少ないところで肉眼や双眼鏡で眺めると
もやっとした雲のように見えます。満天の星の下へ行きましたら、
ぜひ、ご覧になってみてください。
また、望遠鏡でオリオン大星雲の中心部分を覗くと
「トラペジウム」と呼ばれる赤ちゃん星たちを見ることができます。
そして毎年12月の中旬は、「ふたご座流星群」が見頃を迎えます。
今年は12月14日の未明から夜明け前がピークです。
この日は月明かりがないため、沢山の流れ星が見られると期待されています。
流れ星は「ふたご座」の方向から四方八方に飛ぶため、空全体を眺めると
より沢山の流れ星が見える可能性があります。
防寒マットなどを敷いて寝転んで観察するのも良いかもしれません。
車などに気を付けて、安全な場所で星空観察を楽しんでくださいね。
前回に引き続き、昭和61年度文化財記録映画「相模原の炭焼き」制作の際の炭焼きの写真を紹介します(いずれも昭和61年[1986]12月~62年1月・南区東大沼撮影)。
炭焼きには、カマヅメといって窯の中に槙(マキ)をつんできます。前回見たように、窯は地面より下にありますので、窯の中にもぐるように入って作業をします。写真では、少しわかりにくいのですが窯の中にいる人の足が見えています。
槙は二段にぎっしり積み、上には木の枝の部分を伐ったナグリを差し込みます。
そして、窯に火を付けますが、勢いよく煙が噴き出します。
しばらくして煙が透き通ってくると、煙が出る穴に土を掛けてふさいで中の火を消してしまいます。早すぎると生焼けの炭になり、遅れると灰になる部分が多くなるためタイミングが難しく、勘によるところが大きいと言います。この時には夜になりました。
そのまま2日ほどおいて炭を取り出します。やはり作業をする人は、もぐるように窯に入って炭出し籠に入れ、それを外で受け取っていきます。窯の中はまだ非常に熱く、薄着ではやけどをするので古い着物や被り物を充分着て備えます。
取り出した炭は並べておき、俵に詰めて完成です。炭俵は四貫目(約15kg)ほどの重さでした。
こうして文化財記録映画「相模原の炭焼き」では、地域の多くの皆様の協力をいただきながら、できるだけ昔の形で炭窯作りから炭焼きまで再現することができ、大変貴重な記録となっています。
今回紹介する写真は、昭和61年度文化財記録映画「相模原の炭焼き」に関わるもので、いずれも昭和61年(1986)12月~62年1月の南区東大沼での撮影です。
市内では、山間部に位置する津久井地域はもちろん、相模原地区でも江戸時代から炭焼きを行っていた記録が残り、特に盛んだったと言われるのが大沼地区で、相当量の炭を焼き、昭和40年(1965)前後までは行われていました。
映画では、炭焼き窯(かま)を作るところから、その窯を使って実際に炭を焼くまでが記録されました。ちなみに映画で撮影の中心となられた方は、実に33年ぶりに窯を作られたとのことでした。
窯作りは、窯の大きさにあわせて土を掘ることから始まります。大沼をはじめ相模原地区で焼かれた炭は窯を密閉して消火する黒炭(くろずみ)で、石を組む窯ではなく土を固めたドガマで焼きます。白炭に比べて柔らかく、点火しやすい炭です。
そして、土を掘った穴にカタマキと呼ばれる槙(まき)を並べていきます。このカタマキは二段積みます。
次の写真は、手作りの杵(きね)で粘土(ねんど)を搗いているところです。カタマキを積んだところをゴザで縛って固定し、粘土をのせて叩いています。この作業の際に唄われたのが「土窯搗き唄(どがまつきうた)」です。
この後は窯の乾燥で、落ち葉や枯れ木を窯の上で燃やします。一週間は乾燥させる必要がありました。
乾燥が終わった窯の様子です。ドガマは地面を掘るので、炭の材料の木を入れる口が地面より下になります。また、窯の天井部分の保護のため、小屋を作りました。
この時には、ドガマの完成まで正月を挟んで約一か月かかり、撮影のため炭焼きが二回行われました。次回は、「相模原の炭焼き」の炭を焼いている様子を取り上げます。
11月28日、毎月恒例の生きものミニサロンを実施しました。今回のテーマは「落ち葉の色と形をたのしもう!」です。
今は落葉樹の葉が一番色鮮やかな季節です。地面の落ち葉も見ているだけでうっとりしてしまいますが、ミニサロン的に観察も交えて楽しむことにしました。その前にまず、お隣の樹林地で触ってはいけない葉っぱを紹介しました。
ヌルデです。
色は美しいのですが、ウルシの仲間なので、人によってはかぶれます。
そして、博物館の駐車場へ戻り、落ち葉を集めて似た色が隣になるように並べて環(わ)を作る、“落ち葉の色相環”を作ったり、落ち葉を使って顔を作ったりしました。
顔には表情を付けてもらいました。まずは困った顔。
続いて、怒った顔。
そして最後に、笑った顔。
それぞれ個性的な落ち葉の顔ができました。
気に入った落ち葉を持ち帰れるように、シリカゲル入りのチャック袋を配って終了しました。この袋に入れると急速に乾燥するため、色が残りやすいのです。
参加者のみなさんの笑顔のおかげで、スタッフも楽しい時間を過ごすことができました。次回は第3週の12月19日(土)に実施します。お楽しみに!
11月25日~26日、横浜市開港記念会館などを会場に第68回全国博物館大会が開催されました。
全国博物館大会は、年1回博物館関係者が集まり、博物館をとりまく状況や課題、展望を話し合います。今回は(公財)日本博物館協会と神奈川県博物館協会が共催し、「変化の中の博物館-新たな役割と可能性」をテーマにフォーラムや分科会、シンポジウムなどが行われました。
折しもコロナ渦によって、休館をはじめ博物館にとっても初めて直面する問題にさらされた1年でした。博物館は何ができるのか、何をすべきか、公立、私立、そして美術館から動物園、水族館を問わずいろいろな館園が取り組んだことが発表され、議論が交わされました。
コロナ渦による経営上の危機や人員・資金不足など深刻な状況がある中でも、学芸員をはじめ博物館職員が様々な工夫を重ねてこの社会状況に対応していることがわかりました。
まだ、コロナを逆手にとって、と前向きに総括するには時期尚早ですが、社会の中での博物館の役割を見つめ直す機会であったことは間違いありません。たくさんの刺激をいただいた2日間の議論を糧に、当館も活動を進めていきたいと思います。
夏プール 冬はスケート 銀河アリーナ
絵札に描かれた淵野辺公園の中にある銀河アリーナは、市民が気軽にアイススートを楽しめる施設として平成3年(1991)1月20日に開館しました。一般はもとより、例えば子ども向けのスケート教室など、さまざまな教室や催しが実施されています。
※なお、夏場にはプールが開設されていましたが、現在は行っていません。
ところで、銀河アリーナのほかに博物館や野球場、JAXAをはじめ、小・中・高校もある淵野辺公園周辺はかつて米軍基地だったことをご存じでしょうか。
元々、第二次世界大戦以前には陸軍機甲整備学校があり、戦後は米軍がキャンプ淵野辺として使用して、広大な基地内にはアンテナが立ち並ぶ通信基地のほか、約50戸の米軍家族の住宅やスポーツ施設・ピクニックエリアなどがありました。
写真は昭和50年(1975)8月・キャンプ淵野辺正門を写したものです。
その後、キャンプ淵野辺の米軍施設としての役割は縮小し、昭和49年(1974)11月30日に全面返還されましたが、その前の昭和46年(1971)12月から施設の一部が開放され、あまり利用されていなかったピクニックエリアは市民が利用できることになりました。
昭和47年(1972)3月・ピクニック広場で遊ぶ子どもたちを撮影したこんな写真も残っています。
現在では、さまざまな施設が建設され、多くの人々が集う淵野辺公園は、軍都や米軍施設など、相模原の歴史を知る上でも大切なところでもあるのです。