【企画展イチ押し資料】神輿

現在開催中の企画展「相模原市立博物館 30年の歩みを未来へ」の展示物から、民俗分野はイチ押し資料として神輿を紹介します。

この神輿を展示したのは、開館30周年のお祝いの意味もありますが、それだけではありません。

この神輿は明治9年(1876)に「半原宮大工」によって手掛けられました。
愛川町の「半原宮大工」は江戸時代以降、県内の寺社仏閣の建築などを手掛けてきた大工集団です。
実は神輿の裏側には、このような墨書きがあります。

当初は総白木で作られ、何度か修復されてはいますが、胴から屋根にかけては白木のままで、当時の面影が残されています。
戸脇に彫られた鯉の滝登りに登降龍など、彫刻も見ごたえがあります。

このように神輿自体も素晴らしいのですが、「民俗」として注目してもらいたいのは、その来歴です。「民俗」では、いつどこで誰が使ったか、どこで作られたかといった、資料の来歴を大切にします。

この神輿は、中央区上溝の丸崎地区と星が丘地区で担がれていました。
明治9年の墨書きがあるので、その頃から昭和21年(1946)まで70年ほど、丸崎地区で担がれていましたが、新しい神輿を購入することとなり、昭和22年(1947)に隣接の星が丘地区に譲られました。

星が丘地区は、戦時中に陸軍造兵廠従業員用の県営住宅の建設をきっかけに人が住み始めた新しい地域です(星が丘の「星」は陸軍の星のマークが由来ともいわれています)。神社はありませんが、神輿を譲られた年から、「上溝のお天王様」に参加するようになりました。
(現在、星が丘地区は、小学校の校庭を使い、単独で祭りを行っています。)
「上溝のお天王様」は、現在では「上溝の夏祭り」と呼ばれている祭りなので、ご存じの方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
その後、老朽化を機に星が丘でも神輿を新調することになり、この神輿は平成2年(1990)に建設準備中の博物館へ寄贈されました。

調査風景(平成2年3月撮影)『50年の歩み』(平成18年(2006) 星が丘三丁目自治会結成50周年記念実行委員会)より転載

この神輿は、100年以上、地域の象徴として祭りの際に人々に担がれ、親しまれていただけでなく、半原とのつながり、軍都計画、古い地域(丸崎)と新しい地域(星が丘)との関係性など、多くのことを語ってくれます。
こうしたことは見た目だけでは分かりません。
一見同じように見える資料でも、背景にはそれぞれ異なる歴史や人々の思いが積み重なっています。それを明らかにし、記録して、資料として保存するのが、民俗学の役割ということを知っていただければ幸いです。

(民俗担当学芸員)

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