フェンスを彩る紅葉

博物館お隣の樹林地に沿って設置されているフェンスが見ごろです。
もちろん、フェンスそのものではなく、そこに絡みついたつる植物が紅葉しているためです。

ヘクソカズラの紅葉

特に、ヘクソカズラ(この植物の強いニオイから名づけられたのですが、ちょっとひどい命名ですね)は緑、黄色、橙色の葉が絶妙なグラデーションで並んでいます。

やさしい色合いが混じり合った紅葉(黄葉したヤマノイモも混じっています)

果実は黄金色。なかなかの演出です。

ヘクソカズラの果実と紅葉

こちらは紅葉ではありませんが、同じフェンスに絡んでいるセンニンソウの果実です。

センニンソウの果実

綿毛が柔らかくカーブしていて、拡大して見るとちょっとゴージャスです。

4つの果実が十字に付いています

サンバダンサーを思い出します。

両腕を広げたようサンバダンサーに見えます

木々の紅葉だけでなく、草の葉も美しく色づきます。道端の紅葉や、様々な形の果実を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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晩秋の相模川

市内緑区の相模川では、カワラノギクが花のピークを過ぎましたが、まだまだ咲いています。

カワラノギク

薄紫色の舌状花(ぜつじょうか)がとてもきれいです。

カワラノギク

水辺では、ニョキニョキとガマが穂を伸ばしています。

ガマの穂

そのうちのいくつかの穂が盛大に“バクハツ”しています。熟した穂は、少しつまんだだけで、ねずみ花火を思わせるはじけ方で中身が出てきます。あたりにはガマの綿毛が漂っていました。

中身がはじけたガマの穂

晩秋は薄茶色のトーンが多い中で、ひときわ目立つピンク色がありました。カワラナデシコです。

カワラナデシコ

夏から少しずつ、秋まで咲く花です。こちらもそろそろ花期が終わります。
河原から見上げた段丘崖(だんきゅうがい)の上の方では、ケヤキが紅葉していました。

ケヤキの紅葉

あと半月ほどで、河原の木々の多くが葉を落とし、河原は冬を迎えます。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No81・伝説⑩ デイラボッチ)

デイラボッチなどと称される大男の活動が、地域の特徴的な地形を作ったとする伝説は全国各地に分布しており、市内でも、JR横浜線・淵野辺駅南口駅前の中央区鹿沼公園の中にある鹿沼(かぬま)が有名です。

鹿沼公園にある説明板には、デイラボッチが背負ってきた富士山があまりに重いので大山に腰かけて休み、立ち上がろうとした時に踏ん張った足跡が、鹿沼と横浜線の線路反対側にあった菖蒲沼(しょうぶぬま)になったと記されています。

写真は現在の鹿沼公園(平成13年[2001]6月10日撮影)と、昭和39年[1964]の埋め立て前の鹿沼で、かつては葦(あし)が茂る湿地だったと言われる様子が分かります。なお、博物館の建設準備以前の昭和30年代の写真は、すべて『相模原市史民俗編』に掲載されたものです。

 

次の写真は、現在の青山学院大学付近にあたる菖蒲沼の跡の弁天社で、今は祠(ほこら)と由来を記した説明板があります。下は昭和30年[1955]の菖蒲沼です。                

 

また、現在の相模原ゴルフクラブ東側から北里大学病院のあたりには、窪地になっているところがいくつかあり、その中には、デイラボッチがふんどしを引きずった跡のフンドシクボと言われているものもありました。写真は、中央区青葉の窪んでいるところが始まっている付近です(平成5年[1993] 2月23日)。                   

 

このほかにも市内には同様の伝承があり、小田急線東林間駅の南側には窪地があってデイラクボと呼ばれ、デイラサマという大男が何かをまたいだ足跡とされていました(昭和33年[1958]撮影)。                   

 

さらに、緑区相原の「めいめい塚」は、地元の方が書かれた本などにはいくつかの異なる伝説があったことが記されており、そのうちの一つは、デイラサマが履く足駄(あしだ・高下駄)の歯の間にはさまった土が落ちて塚のようになったので、デイラボッチと呼んだと言います(平成18年[2006]4月28日)。                   

今回のデイラボッチは、相模原の代表的な伝説の一つと言えますが、実は、日本の民俗学の祖である柳田国男(やなぎたくにお)が論文の中で鹿沼などに触れており(「ダイダラ坊の足跡」・昭和2年[1927]など)、古くから注目されていた伝説が市内にもあったことを紹介しておきたいと思います。

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令和3年度津久井城市民協働調査 発掘調査ニュース①

津久井城市民協働調査として、津久井城南部の城坂曲輪群(しろさかくるわぐん)6号曲輪の発掘調査が今月8日から始まりました。

まずは8日の様子から紹介します。

初めに調査区の概要です。5号曲輪の北東に6号曲輪があります。

6号曲輪の位置

5号曲輪から。赤矢印の位置に調査区があります。

6号曲輪は幅約60m、奥行き10mほどのゆるやかな平坦面です。ここに3か所の調査区を設定しました。5号曲輪は庭園に特化した曲輪と考えられ、その上段の6号曲輪にはどのような機能があったのか、明らかにするために今回の発掘調査に臨みます。

はじめに「表土」と呼んでいるフカフカした黒い土を重機(小型のショベルカー)で除去します。この土には遺構はないと予想され、重機を使っています。しかし土の変化や陶磁器などの遺物があるかもしれません。そのため重機の近くで土の変化を見極め、遺物がないか確認します。

調査区①の表土剥ぎ

土の変化を確認中・・・

どうやらフカフカした黒土の下には暗い褐色の土がありました。この土に遺構が残されているかもしれません。入念な確認が必要です。

一方、発掘調査には機材を多く使用します。表土剥ぎと並行して機材庫を設置し、機材を搬入しました。

屋根付きなので雨でも安心です。

8日は調査区①の表土剥ぎを完了し、調査区②の途中まで行いました。

9日は雨天のため作業は中止となりました。

10日は前日の豪雨により調査区内に溜まった雨水を排水しました。その後、表土剥ぎを引き続き行い、調査区の配置を平板(へいばん)という機材で測量しました。下の写真の白いものは「土嚢(どのう)」であり、調査区の壁が崩れないように保護するものです。

調査区①の様子。3m×3mの正方形。写真奥に平板があります。

調査区②の様子。1m×13mの長い溝状。

調査区③の様子。1m×8mの溝状。

現段階では、遺構や時期が特定できる陶磁器などの遺物は残念ながらみつかっていません。今年度の発掘調査はまだ始まったばかりですので、今後重要な遺構や遺物がみつかるかもしれません。発掘調査の進展をご期待ください!

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むかご

博物館周辺の樹林地内では、つる植物のヤマノイモが、美しく黄葉しています。

黄葉するヤマノイモ

つるをよく見ると、ちょっといびつな丸い形で、黒い玉のようなものが付いていることがあります。

ヤマノイモのむかご

これは、むかご(無性芽:むせいが)です。むかごは、葉や茎の一部が肥大化して、地上に落ちるとそこから発芽して新たな植物体をつくる栄養繁殖器官です。

ヤマノイモのむかご

同じように芽を出す種子との違いは、むかごを割ってみると・・

むかごを割ったところ

種子に見られるような胚(はい:根や芽を形成する部分)がありません。地上に落ちるとむかごがそのまま根茎、つまり、芋になって表面から直接芽や根を出します。
むかごの中身は山芋そのものとも言えます。その証拠に、むかごの切断面をさわると、粘り気がありました。むかごも昔から食用にされ、炊き込みご飯(むかご飯)などで食べられてきました。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No80・伝説⑨ 武将の伝説)

今回のテーマとする武将の伝説としては、すでに木の伝説で南区下溝の「さいかちの木」を紹介しました。これは永禄12年[1569]の武田信玄と小田原北条氏の戦いに伴うもので、武田信玄が小田原攻めをした際に、先に戦いに勝つとして幸先(さいさき)を祝って植えたと言われています(平成11年[1999]4月30日撮影)。                  

津久井地域には、小田原攻めの帰路の際に通ったとされる信玄の軍道という信玄道と伝える道が各地にあります(平成18年[2006]6月28日)。                  

さらに緑区寸沢嵐(すわらし)には、武田軍が打ち取った敵軍の首を洗ったとする池があり(写真上・平成20年[2008]2月23日)、緑区青根には、山梨に帰る武田軍と伊勢原市の日向薬師(ひなたやくし)の法印(ほういん・山伏)との間で行われた激しい戦いで戦死した法印を葬ったという塚があります(写真下・平成19年[2007]3月7日)。                                    

津久井城は、現在の津久井湖の東南にそびえる城山にある古城跡です。戦国時代、甲州(山梨県)と相州(神奈川県)を結ぶ交通の要衝(ようしょう)の地に位置し、小田原北条氏の家臣である内藤氏が城主でした。

このブログでも、No.72境川の伝説で八王子城が豊臣秀吉の軍に攻められた際に、津久井城も落城したと聞いて、馬から降りて持っていた梅の枝を突き刺したという下馬梅(げばうめ)や、津久井城が攻められた際に、城兵の首を埋葬したとの江戸時代の資料がある塚(富士塚)をNo.76で紹介しています。

一枚目の写真は、緑区根小屋地区から見た城山(平成19年[2007]4月7日)、二枚目は城跡の各所に見られる竪(たて)に掘られた空堀です(平成18年[2006]4月7日)。三枚目は城内にある宝ヶ池(たからがいけ)で、兵士が刀を研(と)いだので水が濁っているとも伝えられています(平成18年[2006]6月2日)。                

なお、津久井城主・内藤氏と伝わる墓が緑区根小屋の功雲寺にあります(平成18年[2006]6月2日)。                 

最後に、やはりこのブログNo.76の塚で、徳川家康の棺(ひつぎ)を、静岡の久能山から日光まで運ぶ際に築かれたと言われる一里塚のことを記しましたが、家康の家臣であった内藤清成(ないとうきよなり)は、領地であった新戸村に陣屋(じんや・屋敷)を設けました。その一角と伝わるところにあるのが南区新戸の陣屋稲荷で、稲荷に至る小道は陣屋小路と言われています(平成11年[1999]8月1日)。                 

これまで数回にわたり伝説に関係した内容を記してきました。次回は伝説の最後として、市内でも著名なデイラボッチについて紹介したいと思います。

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雪虫の飛ぶ季節

11月中旬となり、穏やかなお天気の朝夕に、フワフワと青白い虫が飛ぶようになりました。

手のひらにとまった雪虫

雪虫あるいはワタ虫などと呼ばれる昆虫です。東北地方や北海道では、この虫が飛ぶころに初雪が降ることから、雪虫と呼ばれています。雪の少ない関東地方でもしばしば雪虫と呼ばれるのは、フワフワ飛ぶ姿が雪が舞うように見えるからかもしれません。
11月下旬くらいになると、腹部に生えている青白い毛が、さらに長い雪虫が飛びます。

毛の長い雪虫(2017年11月末に撮影)

これは、だんだんと毛が伸びていくのか、異なる種類が出てくるのか、よくわかりません。雪虫はアブラムシの仲間であることは間違いないのですが、いくつかの種類が含まれるようで、雪虫の姿からは種類を識別できません。

識別が難しい雪虫(2016年11月末に撮影)

園芸植物の害虫としても知られるアブラムシ類は、春から秋の始めまでは、翅(はね)を持たずに単為生殖(たんいせいしょく:メスだけで繁殖すること)して増えます。しかし、冬を前にしたこの時期、翅を持つ成虫が現れて有性生殖(オスとメスが交尾をして繁殖すること)をします。
季節の風物詩である雪虫ですが、よくわからないことだらけの、不思議な昆虫です。

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博物館で麻布大学の実習を行いました

11月6日、博物館で麻布大学の生物実習を行いました。コロナ対策のため、2班を午前、午後に分けての実施です。
まず室内で、博物館で標本を作り、保存する理由や意義についての講義です。生物標本の多くは、過去へさかのぼって標本を採集することができません。私たちにとって過去の標本がとても重要であるように、50年後、100年後の人たちが過去の生物について知ることができるよう、博物館で標本を保存していることなどについて解説しました。
また、植物分類の初歩的なトレーニングをしてみました。こちらの植物の識別です。

これは・・ススキではありません

一般にこの植物はススキと混同されています。しかし、しっかり識別すると、別の種類のオギという植物であることがわかります。

用意したススキとオギの穂をそれぞれじっくり観察しています

違いは、穂についている粒(小穂:しょうすい)ひとつひとつをじっくり見ます。芒(のぎ)と呼ばれる針状の毛が伸びているのがススキです。

これはススキです。芒が一つ一つの粒から1本ずつ伸びています

芒が無く、全体的に毛が長いのがオギです。

こちらはオギです。芒が無く、毛が長いのがわかります。

こんなわずかな違いを見るのが分類の難しさでもあり、おもしろさでもあることを実感してもらいました。
続いて、実際に標本をつくる実習です。標本の作り方の解説をした後、野外へ出ます。せっかくの秋晴れなので、ミニ自然観察会も実施しました。「落ち葉のグラデーション」というプログラムでは、拾った落ち葉の色の近いもの順に並べて環を作ります。

落ち葉を並べて色のグラデーションを作っています

2グループに分かれて作ると、落ち葉の色のバリエーションが多彩なだけでなく、グループの個性が作品に出ることにみなさんちょっと驚いていました。

美しい紅葉のグラデーション

植物採集は、花か果実のついたものを選びます。

植物を選んで採集しています

ふだん気に留めていない駐車場にも、意外にもたくさんの花や果実があります。再び室内に戻り、押し葉にします。
作った押し葉を学生さんたちは大切そうに持ち帰りました。
身近な植物も、じっくり向き合うことで面白いことがいろいろとあることに気づいてくれたようです。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No79・伝説⑧ 女性の伝説)

伝説には女性を主人公としたものもたくさんあります。今回はその中から、高貴な身分であったとされる姫や女性にまつわるものを取り上げてみたいと思います。

前回のブログで、中央区淵野辺地区に館があった淵辺義博(ふちべよしひろ)が護良親王を殺害したと見せかけて、実は石巻にともに逃れたという伝説を紹介しましたが、緑区青山にはまた違った伝説が残っています。

それは、護良親王の首とともに鎌倉を出発した親王の側室(そくしつ)の雛鶴姫(ひなづるひめ)が青山にたどり着き、ここで親王の三十五日忌をして霊を慰めました。下の写真は青山の千部塚(せんぶづか)で、護良親王の三十三回忌にまつられた供養塔と言われています(平成18年[2006]6月21日撮影)。

 

山梨県との境に当たる緑区青根には折花姫(おりばなひめ)の伝説があります。戦国武将の武田勝頼が戦いに敗れた際に、その家臣である小山田氏にも追手が及び、娘の折花姫に翁(おきな)と姥(うば)を付けて先に逃がしましたが、結局、姫も自害して果てました。地元の人々は折花宮を建てて姫の死を弔い、別に「じじい宮」と「ばばあ宮」もまつりました。次の写真はそのうちの「ばばあ宮」です(平成19年[2007]3月7日)。

 

姫と言うと、これまで本ブログでも木や水に関わるものとして、照手姫(てるてひめ)の伝説を紹介してきました。緑区の小原・底沢地区の照手姫の化粧場だったとされる「七ツ淵」はその際にも触れましたが、近くにはその言われを記した解説板も立てられています(七ツ淵・平成20年[2008]11月18日、解説板・平成28年[2016]5月2日)

また、中央区上溝の照手姫が産湯(うぶゆ)や成長してからは化粧の水に用いたとされる泉は、これも前回取り上げたように河川改修によって今はありません。写真は、水源から流れ出ている姥川の様子(平成11年[1999]11月18日)です。なお、その跡に建てられていた照手姫伝承遺跡の碑は、横山丘陵緑地の姥沢地区内に移設しています(平成25年[2013]3月13日)。

 

最後に、南区下溝の堀之内地区は、戦国時代の小田原北条氏四代当主・氏政の弟である氏照の娘が山中氏と結婚する際に与えられた地とされ、この方は夫の死後に髪をおろして貞心尼(ていしんに)となりました。堀之内はその屋敷跡と言われ、集落では山中貞心神社をまつっています (平成12年[2000]12月7日)。

今回は、姫など女性について記してきましたが、次回は男性の武将に関するものに焦点を当ててみたいと思います。

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4年越しの足環

毎年秋の終わりころ、博物館お隣の樹林地で鳥類の標識調査を実施しています。これは、標識調査の資格を持った人(バンダー)がカスミ網で野鳥を捕獲し、足環(あしわ)を付けて放鳥するものです。その足環が今後、どこかで回収されると、その野鳥の移動や生きた年月が明らかになるもので、環境省が山階鳥類研究所に委託して行っている専門的な調査です。今年も10月末から11月3日にかけて実施しました。

捕獲のためのかすみ網を設置

その中で、4年前の2017年に同地で捕獲、足環を付けて放鳥したガビチョウが、再び捕獲されました。

4年前に付けられた足環

ガビチョウは特定外来生物に指定されていますが、この調査では外来種か在来種かということは区別せず、捕獲されたすべての野鳥に足環を付けます。それにしても、この場所で4年前に足環を付けた鳥に再会するというのは感慨深いものがあります。
他にも、普段双眼鏡越しに見ている野鳥を間近に見られる機会なので、短時間ですがじっくりと観察します。こちらは、クロジです。

クロジ(オス)

冬は暗い林内に潜伏する鳥なので、なかなか明るい場所で見ることがありません。まだ若いオスですが、独特のグレーの色合いがとても美しい鳥です。
こちらはコゲラです。この林内ではごく普通に見られますが、オスが頭の後ろ側の側面に持つ真っ赤な羽は、ふだんは他の羽に隠れてなかなか見ることができません。

コゲラの頭部(後ろの方に赤い羽がわずかに見えます)

また、捕獲した野鳥の各部位の計測をしていると、頭の羽から小さな虫が飛び出しました。捕まえてみると・・

シラミバエの仲間

シラミバエの仲間のようです。この昆虫は、野鳥にとりついて吸血するため、常に鳥の羽の内側に潜んでいます。これも、こうした捕獲調査でなければなかなか見ることができません。
身近な生きものの中にも、知らない世界がまだまだたくさんあることに気づかせてくれる貴重な機会となりました。

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