津久井城市民協働調査 講習会・研修を行いました。

今年度の津久井城の城坂曲輪群(しろさかくるわぐん)6号曲輪の発掘調査を行うにあたり、10月20日に市民調査グループの方を対象に講習会・研修が開催されました。

場所は南区磯部の勝坂遺跡公園です。

午前中は発掘調査の基礎知識や図面の作成方法など、座学です。

「発掘調査の基礎知識」

「図面作成」など

重要な点は2つあります。①なぜ発掘調査が必要なのか?②発掘調査をすると遺跡はどうなるのか?

①は津久井城の内容を知るために、地下に埋蔵されている堀、建物跡、池跡などの遺構(不動産)や陶磁器・かわらけなどの遺物(動産)などの情報を得るためです。

これらの情報から津久井城の特徴は何か、城坂曲輪群にはどのような施設等があったのかを知ることができ、津久井城の機能や曲輪ごとの性格などをより明らかにできます。

②では発掘調査は遺跡の破壊であり、元には戻りません。例えるなら犯罪の現場捜査や外科手術のように失敗は許されず、二度とやり直しができないことを話しました。そのため実際に発掘調査として地面を掘る場所を設定する場合でも、発掘調査の目的を明らかにし、最小限の範囲しか掘らず、遺跡の破壊を極力抑えます。また、どこに何があったのか客観性をもたせるために、平面図などの記録を必ず作成します。

以上の点を踏まえ、座学の後に図面作成の研修を行いました。発掘調査では、地面を掘る作業と同じぐらい記録作業があります。

勝坂遺跡公園の敷石住居(復元)付近にて。

大きく分けて3種類の図面があります。3種類の図面でそれぞれ異なる情報を記録します。どれか一つだけでは十分ではありません。

1)地形図:調査区がどのような地形にあるのか、記録します。

城坂曲輪群の地形測量図

2)平面図:住居であれば石があるところや炉の場所など、城跡なら堀や土塁など遺構の状況を記録します。またそれぞれの遺構の配置を表すためにも作られます。

3)断面図:調査区の土層堆積を示した土層断面図と、遺構の凹凸から形状や構造を記録するエレベーション図に分かれます。

平面図と土層断面図(土の堆積を図化)

平面図とエレベーション図(住居の床とその上にある土器や石を図化)

 

今回は、平板測量による地形測量と遣方(やりかた)測量による平面図・エレベーション図の作成を実際に行いました。

平板測量 敷石住居(復元)がある地形の状況を作成

敷石住居(復元)の敷石を平面図で記録

敷石住居(復元)のエレベーション図を作成。

市民調査グループの方にとっては日常的に行う作業ではないので、一つ一つ確認しながら一緒に作業を行います。方眼紙の目盛りに苦戦しつつも、作業手順を入念に復習します。

晴天の中、研修は粛々と進み、あっという間に定刻になりました。概ね測量などの感覚を思い出していただいたようで一安心です。

今月から安全第一で津久井城城坂曲輪群6号曲輪を発掘調査します。発掘調査の内容は本ブログで掲載していきますので、ぜひご覧ください。

 

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川原石のふしぎ

10月23日に相模原市教育委員会の旧石器ハテナ館の主催事業「川原石のふしぎ〜自分だけのお気に入りの石図鑑をつくろう〜」が開催されました。相模原市立博物館の学芸員が講師を務めました。

旧石器ハテナ館に集合し、近くの相模川の川原で石を採集します。当日は気持ちよく晴れて、川原の石を観察するには最高の天気でした。

採集した石は水で洗って、雑巾で水分を拭き取ります。

各自が持参した箱の中に石を木工用ボンドで貼り付けていきます。上流から運ばれてきた川原の石のふるさとの山や相模川を台紙に描いたりして、自分だけの石図鑑を作ります。

完成した図鑑はどれも力作ばかり。

参加された方々の、石への愛着が伝わってきます。これをきっかけとして、さらに岩石や地質に興味を持っていただければと思います。

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秋色増す木の葉

博物館周辺の木々は、全体的に紅葉にはまだ早いのですが、中には色づき始めたものもあります。ミズキは少し早めに黄色く色づき、青空に映えます。同じミズキでも、もう少し遅く色づくと、赤く紅葉するものもあります。

ミズキの黄葉

地面近くでは、ヌルデがすでに紅葉しています。

ヌルデ(ウルシ科)の紅葉

ウルシの仲間は全般的に早い時期から鮮やかに紅葉しますが、ヌルデはその中では渋い色合いのグラデーションを見せてくれます。

ヌルデの紅葉

イロハモミジのように決まって赤く染まるものもありますが、多くの落葉樹がその年の気温や天候などによって、黄色くなったり赤くなったりします。これからしばらく、そんな木の葉の色の変化を楽しめます。

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吉野宿ふじやで絵本作家「いまきみち・西村繁男・にしむらあつこ」絵本原画展を開催中

相模原市緑区吉野にお住いの絵本作家 いまきみちさん・西村繁男さんご夫婦と、娘さんの  にしむらあつこさんの絵本原画展覧会を当館所管施設「吉野宿ふじや」で開催中です。

展示状況(手前の机には絵本の実物もあります)

今回の展覧会は、当館から吉野宿ふじやの普及事業を委託している地元NPO法人「ふじの里山くらぶ」の企画・運営によるもので、地元の強い人脈により絵本作家として著名な3人の約40作品の原画をお借りし、開催することができました。

いまきみちさんの作品の一例

西村繁男さんの作品の一例

にしむらあつこさんの作品の一例

前日準備には、西村繁男さん、いまきみちさんご夫婦自らも準備に参加していただきました。このコーナーでは原画を描く前のスケッチと完成した絵本を比べて展示しています。

準備を作家さん本人にも手伝っていただきました(右が西村さん・奥右がいまきさん)

また、今回は作家3人のご厚意でたくさんの絵本の実物も用意し、自由にご覧いただくことができますので、ぜひ手に取ってみてください。

絵本を手に取ってご覧いただくこともできます…絵本を読む前と読んだ後には手指消毒をしてください(本は濡らさないように注意してください)

これまで見たことある作品があるかもしれませんので、ご覧ください。

淵野辺が舞台の「おとうさんといっしょに」の原画の前で、いまきみちさん・西村繁男さんご夫婦そろって撮影

今回の絵本原画展は11月28日(日)まで開催してます。月曜日、11月4日(木)・24日(水)は休館になります。

詳しくは、当館ホームページの「いまきみち・西村繁男・にしむらあつこ」絵本原画展をご覧ください。

 

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No78・伝説⑦ 淵辺義博伝説)

本ブログNo.72「境川の流れに沿って」で、淵野辺地区の淵辺義博(ふちべよしひろ)にまつわる「縁切り榎(えのき)」と「縁切り橋」を取り上げましたが、今回は改めて淵辺義博に関する伝説を紹介したいと思います。

義博は、足利尊氏の弟である直義(ただよし)の家臣で、淵野辺に館を構えていたとされ、後の江戸時代後期に成立した『新編相模国風土記稿』にも、淵野辺村の北に館の跡として、当時は第六天の祠(ほこら)があることが記されています((平成13年[2001]6月10日撮影)。なお、現在は祠ではなく石塔になっていますが、石塔にかえた時に行われた儀礼の様子を写した写真も保管しています(中央区淵野辺本町・昭和61年[1986]6月3日)。

                  

義博の館跡とされるところは近くにもう1か所あり、昭和49年[1974]に建てられた碑があります(平成17年[2005]4月8日)。

 

淵辺義博は境川の縁に住み、住民にたびたび災いをもたらした大蛇または龍を退治しました。そして、この大蛇の体を三か所に埋めてその上には寺が建立され、中央区東淵野辺の龍像寺(りゅうぞうじ)はそのうちの一つの寺とされています(残りの二つは廃寺・平成13年[2001]6月3日)。

 

このような淵辺義博ですが、南北朝時代の様相を描いた軍記物(ぐんきもの)である「太平記(たいへいき)」には、後醍醐天皇の子である護良親王を殺害したと記されています。ところが、淵野辺では実際には殺害しておらず、鎌倉から淵野辺に戻った後に、親王とともに遠く宮城県石巻市に逃げのびたと伝えられています。

この時、義博は境川の榎のところで妻子と縁を切ったので「縁切り榎」、中里橋のたもとで別れを惜しんだので「別れ橋」あるいは「縁切り橋」とされています(橋があったのはかつては別の場所とも言われます・いずれも平成13年[2001]6月10日)。

ちなみに親王は石巻に逃れてこの地で暮らし、石巻には、当地で亡くなった親王をまつる一皇子神社(いちおうじじんじゃ)をはじめ、関連する地名なども残されています。写真は一皇子神社です。

書物に書かれたものと地域に伝承として残る姿は大きく異なりますが、淵野辺では大蛇を退治して地元を大いに助け、さらに親王を石巻に逃した英雄として淵辺義博の伝説が語られてきたと言うことができます。

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生きものミニサロン再開!ひっつき虫捕かく大作戦!

休館にともない、生きものミニサロンも8月から休止していましたが、10月23日、再開できました。再開第一段のテーマは「ひっつき虫捕かく大作戦!」です。

本日の案内看板

秋も深まったこの時期、お隣の樹林地にはたくさんのひっつき虫(動物などに種子を運ばせるため、毛や布にひっつくタイプの植物の果実)があります。まずはそれを採集して、じっくり観察です。

秋晴れの森の中はさわやかでした!

採集には、軍手を使います。

ひっつき虫を“捕かく”する軍手

草むらをなでるように触るだけで、あっというまにたくさんのひっつき虫が集まります。テキストを使って種類や、ひっつくしくみを観察。

どのひっつき虫か、テキストで確認

ルーペで見ると、ひっつくための精巧(せいこう)な構造を見ることができます。

ルーペを使うとさらにわかりやすく構造を観察できます

続いて、ひっつき虫を使って遊びました。コセンダングサの若い果実に、ススキの穂を結び付けて、ダーツの矢を作ります。

コセンダングサダーツ

これを、用意したフェルトの的(まと)に当てます。的は、いつも参加してくれている小学生スタッフが作ってくれました。

展示用のスチレンボードを再利用して、フェルトの的を張り付けています

フェルトの的に当てます

けっこうまっすぐ飛んで、しっかりと的にひっつくので、盛り上がりました。
最後に、ひっつき虫のラスボス、イビセラ・ルテア(キバナツノゴマ)の果実を紹介しました。南米の砂漠地帯に自生する植物ですが、いったいどんな動物にひっつくためにこんな凶暴なかぎ爪が発達したのでしょうか。

ちょっと怖い!イビセラ・ルテア

イビセラと記念写真を撮ったりして、楽しく終了しました。
次回は11月27日(土)12時から実施します。

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クサギの果実

実りの秋、博物館お隣の樹林内でもたくさんの果実が実っています。その中でも、毎年その造形美に見とれてしまうのが、クサギです。

クサギの果実

萼片(がくへん)はふつう、花弁を支えるための葉で、花が散ると一緒に脱落するか、果実散布の邪魔にならないように小さくしおれていきます。ところがクサギの萼片は、果実が熟す頃に星形に開き、なおかつ赤く染まります。これは、黒紫色に熟す果実本体を目立たせる役割があると言われています。

クサギの果実

だったら果実が赤く熟せば良いものを・・しかしそれでは目立ち方が足りないのか、他の赤い実と紛れるのがイヤなのか・・とにかく手の込んだこの造形にはうなってしまいます。
ちなみに、真夏に咲くクサギの花は、純白で強い芳香を放ちます。

クサギの花(7月に撮影)

クサギは伐採地や崩落地のような、樹林が成立する前の明るい場所で真っ先に成長するのを好む樹木です。効率よくそうした場所で子孫が残せるように、動物たちへのアピールが強い植物なのかもしれません。

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文化財×博物館×図書館×旧石器ハテナ館連携事業『世界遺産じゃないけど相模原にもある縄文遺跡群』開催中です!

相模原市の遺跡のうち、1番多い時代は何時代でしょうか??

正解は本記事の後半でお伝えします。

市の歴史を考える上で縄文時代は大変重要です。また今年7月にはユネスコの世界遺産に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録され、今まで以上に縄文時代が注目されています。

そこで、相模原の縄文時代をより皆様に知っていただくために、博物館ではミニ展示を、市立図書館・橋本図書館・相模大野図書館では縄文遺跡に関する展示や遺跡・考古関連図書コーナーを特設しています。さらに旧石器ハテナ館では矢じりづくり、火おこし体験などを行っています。

市立図書館:考古展「川尻縄文の世界」11月10日(水)まで

橋本図書館:考古ミニ展「縄文×土偶 世界に誇る相模原の考古資料」11月10日(水)まで

相模大野図書館:考古ミニ展「縄文のアクセサリー」11月10日(水)まで

【相模原市の図書館HP】https://www.lib.sagamihara.kanagawa.jp/toshow/html/tenji/tenji_20211001_1148.html

旧石器ハテナ館:体験教室 矢じりづくり、火おこし体験、勾玉づくりなど 11月7日(日)まで

【旧石器ハテナ館HP(相模原市公式HP)】 https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kurashi/kyouiku/bunkazai/1010295.html

 

博物館ではミニ展示「川尻石器時代遺跡史跡指定90周年記念ミニ展示」を10月31日(日)まで開催しています。

川尻石器時代遺跡は緑区の谷ヶ原二丁目ほかに位置している国指定の史跡です。学術上重要な遺跡であることから、今から90年前の1931(昭和6)年に指定され、その後、史跡内やその周辺で40か所以上の発掘調査が行われています。その調査成果から長期間続いた縄文時代のムラ跡であることが分かっています。やや専門的ですが、縄文時代中期(今から約5,000年前)から晩期(今から約3,200年前)までムラ跡がつづいたことが発掘調査で確認されており、これほど長く続いた集落遺跡は市内ではありません。

写真中央に相模川が流れ、その東側に遺跡があります。

展示では個人蔵の資料をお借りし、展示しています。これらの資料は博物館で日常的に展示しているものではなく、この資料を間近で見学できるのは10月31日までです。そのほか、指定の経緯や遺跡の特徴をパネルで説明しています。

川尻石器時代遺跡でみつかった土偶(上段)、耳飾り(下段)(個人蔵)

博物館1階エントランスです。

 

また博物館では「さがみはら縄文遺跡マップ」を作成し、博物館以外にも図書館3館、旧石器ハテナ館で無料配布しています。これは市内で発掘調査された縄文遺跡の場所と、その遺跡でみつかった特徴的な遺構や出土品をわかりやすく紹介したものです。この機会にぜひ入手してみてください。

そして冒頭のクイズの答えですが、答えは「縄文時代です」。このさがみはら縄文遺跡マップに掲載している遺跡は代表的なもので、それ以外にも数多くみつかっています。

市内の縄文遺跡を紹介しています。

 

博物館、図書館3館、旧石器ハテナ館での連携事業は今回初の取り組みです。ぜひこの機会に縄文時代にふれてみてはいかがでしょうか?ご来館をお待ちしております。

※新型コロナウィルス感染症の状況により企画展が中止または変更になる場合があります。最新情報は各施設のHPやお電話にてご確認をお願いいたします。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No77・伝説⑥ さまざまな坂)

市内の相模原地域は台地上に広がり、平らというイメージが強いですが、境川や相模川に向かっていくつもの坂があります。そうした坂にも、名称の由来となるような言い伝えが残されています。

最初の写真は、中央区田名の「ひの坂」です。この坂の下には、二枚目の写真のように狸菩薩(たぬきぼさつ)がまつられており、いたずらが過ぎる狸に、たまりかねたおばあさんが炭をぶつけ、狸が火だるまになって坂を転げ落ちたとの伝承からひの坂(火の坂)と呼ばれるようになりました。また、狸菩薩にもお参りをする人がたくさんいたと言われています(平成12年[2000]2月11日撮影)。

 

次の写真は南区下溝の「山の神社」と「雹塚(ひょうづか)」で、この横に山の神坂が通っています。山の神社は、戦国時代に北条氏照の娘である貞心尼(ていしんに)が下溝の集落の堀之内(ほりのうち)に住んだ際、その鬼門(きもん)の方角にまつられたと言われています。

また、隣りにある石塔の雹塚は、日本全国から土を持ってきて雹の害がないように祈ったものとされ、石塔の各面には天照大神(あまてらすおおみかみ)などの神名が記されています(平成13年[2001]2月4日)。

 

車などが増えてくると、昔ながらの旧道の坂は拡張され、あるいは別の場所に新しい坂が作られます。一枚目の写真は、文字通り緑区下九沢の「新道坂」です。そして、その途中から分かれるようにあるのが旧道の「神明坂(しんめいざか)」で、坂の上に神明社があったことからの名称です(現在、神明社は坂下に移動)。二枚目の写真にはかつての旧道の雰囲気が写されています(平成12年[2000]9月30日)。

 

最後の写真は、中央区上溝の「七曲り」です。下側の虹吹(にじふき)集落から上の段に向けて大きく曲がりくねった坂で、こうした幾重にも曲がった七曲りと呼ばれる坂はほかの地区にもありました。

上溝の七曲りは明治30年(1897)に改修され、写真のように西側がよく見渡せることから「西見坂(にしみざか)」とも命名され、その後、再び改修されて現在のような坂になっています。特に伝説はありませんが、大きな坂の特徴あるものとして取り上げました(平成12年[2000]11月19日)。

 

これまで木・水・石・塚・坂を取り上げてきましたが、市内にはまだまださまざまな伝説や言い伝えが残されており、もう少しテーマを変えながら紹介していきたいと思います。

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「軍都さがみはら展」のコーナー解説ブログ⑥ 最終回

緊急事態宣言を受けての休館により会期途中で終了した博物館×公文書館共催 相模原町誕生80年記念企画「軍都さがみはら展~国内最大の町誕生物語~」のコーナー解説⑥を記します。今回が最終回となります。

企画展入口看板です(生き物写真展も同会場で開催していました)

今回は、特別に設けた「座間市資料紹介」です。

なぜ、座間市?と思った方もいたかもしれませんが、この軍都さがみはら展コーナー解説ブログの③「軍都計画と相模原町の誕生」で紹介したとおり、実は現座間市(当時は座間町)は昭和16年(1941)に誕生した相模原町域に含まれていました。

相模原町域の軍事施設

そのため、企画展では座間市から貴重な資料を借用し、ひとつのコーナーとして展示いたしました。

座間市資料紹介コーナー

最初に紹介したのが文書資料で、①昭和12年(1937)の陸軍士官学校の移転・受け入れに関する文書、②昭和16年(1941)の相模原町合併に関する文書、③昭和23年(1948)の座間市分離独立に関する文書です。

士官学校、町村合併、分離独立に関する文書綴。(保存状態も良好)スペースの関係で表紙のみの展示でした。

そして、もう一つが企画展の展示資料の中で目玉ともいえる、最も大きい縦横とも1メートル以上あった海軍の戦闘機「雷電」の部品の一部です。

縦横1メートル以上の「雷電」の部品。大きい部品ですが機体の重量軽減のためジュラルミン製で非常に軽い。

「海軍の戦闘機」と聞いて「?」と思った方も多いのではないでしょうか。実は、座間市域には高座海軍工廠(現在の相鉄線さがみ野駅の北側付近)という大きな海軍の軍事工場があり、そこで生産されていたのが雷電でした。

展示した部品はコックピット前部の部品で、次の雷電模型写真の赤い部分になります。

赤い部分が展示した部品の場所(こちらも座間市さんから借用)

雷電は、ジブリ映画「風立ちぬ」の主人公としても登場する堀越二郎が設計に関わるなど、製造された昭和19年(1944)当時としては、非常に性能の良い戦闘機でした。

このコーナーでは、本市と座間市との関わりも紹介でき、陸軍の軍都でありながら実は相模原町域には海軍の施設もあったことなどを紹介できました。

 

 

この「軍都さがみはら展~国内最大の町 誕生物語~」では、相模原の歴史の大きな特徴である昭和10年代の陸軍施設の移転・建設、相模原町の誕生、軍都計画などについて紹介しました。そして、この軍都計画が戦後の相模原の開発、発展にも大きく影響していたことも伝えることができたと考えています。

これらの詳細は、『相模原市史 現代テーマ編~軍事・都市化~』ほか近現代関係の『相模原市史』などに掲載されていますので、当館や図書館等でご覧ください。(市役所行政資料コーナーや博物館ミュージアムショップで購入も可能です)

『相模原市史 現代テーマ編』ほか近現代関係

また、当館では軍都さがみはら展の展示解説動画を当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」に掲載しておりますので、動画もぜひご覧ください。

当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」

なお、この軍都さがみはら展コーナー解説①から⑤もよろしければご覧ください。

①「陸軍士官学校の東京からの移転」

②-1「各陸軍施設の移転と建設」前編②-2「同タイトル」後編

③「軍都計画と相模原町の誕生」

④「戦時中の相模原町の整備」

⑤「戦後の相模原の開発」

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