いよいよ明日2/26は・・・「一日限りのあかつきトークライブ!」当日の配信は・・・

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先日思わせぶりに予告したもの、実はこれだったのです!

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、中村先生、今年度末でご勇退とのことで、実は博物館の大会議室で、JAXAのあかつきチームのリーダーとして登壇いただけるのはこれが最後のチャンスなのです!

@JAXA


あかつきトークライブに何度もご参加いただいている方にも、そして今まで参加の機会がなかった方にもぜひぜひ聴いていただきたい講演です。

配信につきましても、たくさんのリクエストもいただいているところです。機材などの関係もあり、当日の生配信は予定しておりませんが、講演部分については後日、アーカイブを博物館公式YouTubeチャンネルで公開の予定ですので、当日参加できない方(そしてもう一度お話しを聴きたい方)も、どうぞお楽しみに。

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相模川で探鳥会、第二弾!

2月23日、エコパークさがみはらが主催する相模原市自然環境観察員制度のイベントとして行われた相模川(南区新戸~下溝)の野鳥観察会(探鳥会)のお手伝いをしてきました。1月9日にも実施しているので、第二弾となります。
朝は少し曇っていましたが、集合場所のJR相模線相武台下駅を出て、相模川へ差し掛かる頃には薄日が射し、川に入って間もなく雲が消えていき、気持ちの良い晴天となりました。

気持ちの良い晴天になりました!

河原はすでに春を迎えていて、カワヅザクラがあちらこちらで満開、そこにメジロが蜜を吸いにやってきていました。

カワヅザクラの花の蜜を吸うメジロ

磯部頭首工(いそべとうしゅこう:頭首工は、農業用の取水堰)では、カワアイサのオスとメスがいました。すでにペアになっているのか、ずっと一緒に行動していました。

カワアイサのオス(左)とメス(右)

ペアと言えば、モズも、オスとメスが一緒にいました。ついこの間まで、ギチギチと鳴きながら縄張り争いをしていたのですが・・、モズの繁殖期は早く、そろそろ抱卵に入るころです。

モズのメス(左)とオス(右)

上空を飛ぶミサゴも観察できました。

ミサゴ

ちょうどお昼に、終点の「三段の滝展望広場」に到着。確認した鳥の種類を数えたら、37種となりました。半日でこれだけ観察できるとは、さすが、相模川です。
自然環境観察員制度では、こうした観察会や調査を定期的に行っています。ご興味のある方は、エコパークさがみはらへぜひお問合わせください。

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博物館収蔵資料紹介~信仰や祭りの資料

前回(https://www.sagami-portal.com/city/scmblog/archives/31363)に引き続き、さまざまな信仰に関する資料を紹介します。

お稲荷さんをまつる稲荷講は、市内でも盛んに行われていたことを紹介しました。最初の写真は、稲荷講の際に飾った幟(のぼり)です。稲荷講では、2月の初めての午(うま)の日である初午の日に仲間が宿(やど)に集まって講(こう)を行う一方で、こうした幟を2月1日に宿になった家の庭に立てました。

ここには文政10年(1827)と書かれた幟があり、写真の幟は新しく見えますが以前からあった幟を年代などそのまま新調したものです。寄贈当時(昭和60年[1985])の稲荷講には新しい幟を使い、博物館に古い幟が寄贈されました(収集地・南区当麻)。

 

神社や寺院からはさまざまなお札が出され、ご利益があるようにいろいろなところに飾ります。次の写真は、栃木県の古峯(ふるみね)神社のもので、中央区田名の久所(ぐぞ)集落では講を作って火災除けとして信仰し、枝の先にお札をはさんで、火を使う場所に刺しておきました。                   

 

次の写真の左側には、神棚などにお神酒(みき)を供える徳利(とっくり)が写っており、徳利の口には、細かく割った竹をきれいに編んだ神酒の口(みきのくち)と呼ばれるお飾りが差してあります(徳利、神酒の口ともに収集地・南区磯部)。

そして、神酒の口は形によって名称が付けられていて、真ん中が橘(たちばな)、右側が一つ玉(ひとつだま)です。神酒の口はお飾りとして正月前に購入しました。                  

南区新磯地区には神酒の口を作って売る人たちがいて、前の写真の橘や一つ玉は、昭和60年(1985)に南区新戸(しんど)にお住まいだった、地域で神酒の口を作ることができる最後の方に製作をお願いしたものです。写真はその時の様子です。                  

 

中央区田名八幡宮で1月6日に行われる的祭(まとまち)は、地域の四名の子どもたちが順番に大きな的に向かって弓で矢を射て、その当たった結果で新年を占う行事として有名です。                  

博物館では昭和50年(1975)に寄贈された弓矢を保管しており、田名の的祭は相模原市を代表する行事として、市の無形民俗文化財に指定されています。                    

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2月22日、猫の日に

本日、2月22日はにゃんにゃんにゃん!で猫の日です(=^・^=)
ということで、目つきのよろしい、相模川の河原で見かけた猫(ノネコ)の写真です。

相模川のノネコ

相模川のノネコ

博物館周辺の樹林地内にもノネコが3頭います。野性味があり、人が近づくとすぐに警戒して逃げます。ただ、こうして人になついていないということは、食べ物を人間に頼っておらず、自然界で食料を調達しているということになります。犠牲になっている野生の鳥獣や小動物がいるわけで、生態系保全の観点からは問題です。野外に自由に暮らす猫がいる風景は微笑ましく感じるかもしれませんが、それはあくまでも外来種です。決して望ましい状態ではないことも認識する必要がありますね。
そんな問題提起だけでは味気ないので、猫にまつわる植物について紹介します。身近な雑草の一つ、エノコログサ(別名ねこじゃらし)です。

エノコログサ

実際にこの穂をネコの前で揺らすと、見事にじゃれてくれます。実は、野外で見られるエノコログサには2種類あります。上の写真と下の写真はいずれもエノコログサです。

エノコログサ

こちらは、見た目はそっくりなのですが、アキノエノコログサです。

アキノエノコログサ

その名のとおり、エノコログサが春から穂をつけるのに対して、アキノエノコログサは夏から秋にかけて穂をつけます。穂のつぶつぶの一つを小穂(しょうすい)と呼びますが、この部分が少し大きく、形もちょっと違うのですが、あまりにもマニアックなのでここではスルーします。
こちらは、小穂や、そこから伸びる芒(のぎ:細い針のような毛)が紫色に染まるムラサキエノコロです。河原や乾いた草地などにあります。

ムラサキエノコロ

こちらはキンエノコロです。芒が金色に輝き、とても美しい植物です。

キンエノコロ

そして、エノコログサと言えば忘れてならないのが、五穀にも含まれるアワ(粟)です。アワは古くから利用されてきましたが、その原種はエノコログサと推定されています。

アワ(乾燥標本)

エノコログサの仲間はイネ科で、いずれも花弁(かべん:花びら)がありません。でも、なんとなくかわいらしくて、見つけるとつい触ってしまいます。ススキと並んで、古くから愛されてきたイネ科の雑草と言えるでしょう。

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ミニ解説② 家康の祖先と期間限定「どうする家康」等身大パネル展

相模原市立博物館では、2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送開始にちなみ、1月7日(土)からミニ展示「相模原にもあった!?徳川家康ゆかりの地」を開催しています。
このミニ展示では、ドラマの主役である徳川家康やその祖先、重臣(おもだった有力な家臣)にまつわる身近な伝承地について、相模原市内を中心にパネルや写真で紹介しています。

そして現在、1階エントランスの正面玄関入ってすぐの場所で、NHKとの共催により本家大河ドラマ「どうする家康」出演者の等身大パネルを設置しています
当館にやってきたのは、織田信長(岡田准一さん)、お市(北川景子さん)、徳川家康(松本潤さん)、瀬名(有村架純さん)、大久保忠世(小手伸也さん)、豊臣秀吉(ムロツヨシさん)の6名の等身大パネルです。2月26日(日)までの限定となりますので、ぜひこの期間にお越しください!

そうそうたる顔ぶれ!期間限定のため、お早めにお越しください!

さて、ここからは前回に続き、ミニ展示に収まりきらなかった「ゆかりの地」の魅力や、展示の裏話などをお伝えしたいと思います。
ミニ展示「相模原にもあった!?徳川家康ゆかりの地」は3つのテーマで成り立っているのですが、その一つが以前ブログのミニ解説で取り上げた家康の「霊柩遷座(れいきゅうせんざ)」です。
今回、このブログでは二つめのテーマである「家康の祖先」について紹介します。

家康は生来「徳川」姓だったのではなく、元々は「松平(まつだいら)」という氏を名乗っていました。
改姓の3年前にあたる1563(永禄6)年、本拠・三河国岡崎(愛知県岡崎市)周辺に勃発した「三河一向一揆」をその翌年に鎮圧したのち、同年中にほぼ三河一国を統一した家康は、当時盛んに勢力を拡大していました。そして、1566(永禄9)年に朝廷の許可を得て改姓し、従五位下(じゅごいのげ)三河守(みかわのかみ)に叙任されることで、名実ともに戦国大名となったのです。

それでは、家康が当初名乗っていた松平氏の祖はどのような人物であったのでしょうか。そのゆかりの地が、当麻山無量光寺(南区当麻)の境内にあるお髪塚と言われています。
このお髪塚は、家康の祖先で10代前の世良田有親(せらた ありちか)と、9代前の松平親氏(まつだいら ちかうじ)父子が帰依(きえ)した際に落とした髪を埋めたことに由来します。両名は南北朝の戦乱に敗れて足利氏に追われる中で当麻山無量光寺に来山し、八代他阿(たあ)良光に帰依して時僧となったと伝えられています。子の親氏はその後、諸国を巡り歩いて三河国松平郷(愛知県豊橋市)にたどり着き、還俗(げんぞく)して家康の祖先となりました。

展示している写真のお髪塚はちょうど紅葉の見頃でしたが、市指定史跡でもある無量光寺の境内は、訪れる時期により四季折々の美しい景色を見られることが魅力のひとつです。
また、当館の自然・歴史展示室内にある仏教遺産コーナーには、お髪塚の五輪塔の原寸大複製が展示されていますので、ミニ展示と合わせてご覧いただければと思います。

紅葉の絨毯が美しい無量光寺のお髪塚

松平家ゆかりの地として、ミニ展示では愛知県岡崎市の大樹寺を紹介しています。
大樹寺は松平家・徳川将軍家の菩提寺で、「どうする家康」第2話の舞台としても描かれた場所です。十三代登誉(とうよ)上人に説かれた「厭離穢土(おんりえど)欣求浄圡(ごんぐじょうど)」(苦悩の多い穢(けが)れたこの世を厭(いと)い離れたいと願い、心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土を求め願うことの意。)の言葉は大樹寺本堂内陣に刻まれており、家康終生の座右の銘として旗印にもなりました。
実はこのミニ展示で紹介している「ゆかりの地」は、全て担当職員が実際に訪問した場所を写真に収めてパネルにしており、大樹寺も昨夏訪問した際に撮影した写真をお寺の許可を得て展示しています。岡崎市内では訪れた先々で「厭離穢土欣求浄圡」を目にする機会があり、現代でも大切にされている言葉であることを実感しました。

今回の絵葉書は愛らしい眠り猫や素朴な町並みが中心です。

前回のブログでお知らせしたとおり、津久井郷土資料室旧蔵資料の絵葉書は2月5日(日)から内容が替わっています。今回の第2弾では、小田原や府中、三島の市街地の絵柄や、かわいらしいカラーの眠り猫など9枚を展示しています。
こちらは3月上旬頃に入れ替えを予定していますので、2月26日(日)までの期間限定等身大パネル展と一緒に、お見逃しなくご覧ください。

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「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」展示品紹介その3

現在、開催中の「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」で展示中の資料を紹介します。

今回は町田市「なすな原遺跡」の出土品を紹介します。展示では、神奈川県周辺の良好な資料として同遺跡の晩期の土器、石器を展示しています。いずれも町田市教育委員会所蔵です。

晩期の土器 高さ29㎝

晩期の土器 高さ31㎝

晩期の土器。4つの突起が印象的です。高さ:21㎝

晩期の土器は中期の勝坂式土器のように粘土紐を多用した立体的な文様や、あふれる躍動感はないものの、沈線や細かな縄文が施文されており、どことなく静的な印象を受けます。いずれの土器もどの部分に縄文があるのか、探してみるのも面白いかもしれません。

矢尻などの石器。右下は信州産の黒曜石を用いています。

縄文時代後~晩期になると矢尻が多く出土します。写真右の2点は異形石器と呼ばれるもので、祭祀に用いられたと推測されます。どちらも押圧剥離で丁寧に作られています。

押圧剥離のやり方。鹿角を使った復元です。

 

耳飾り(いずれも複製)

こちらの写真は土製耳飾りです。単なる棒状ではなく、精緻な彫り込みがみられます。
後期の終わりごろから晩期にかけて耳飾りを中心に、装身具が多く使用されるようになります。

縄文時代が終わりに近づく晩期は今からおよそ3200~2400年前であり、遺跡数も中期と比較するとかなり減少していた時期になります。本展示は晩期を生きた人々の痕跡を土器、石器などから知る良い機会です。じっくりご覧ください。

本展示は3月5日(日)まで開催しています。また、3月4日(土)には展示解説がありますので、ぜひご参加ください。

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鶯色の真実

みなさんは鶯色(うぐいすいろ)と聞いて、どんな色を想像しますか?
下の二つの色見本のうち、どちらが鶯色でしょうか。

鶯色とはどちら?

現在は、鶯色というと右の色を指す人が多いようです。
しかし、鶯色は、左の色です。右は、萌黄色(もえぎいろ)で、どちらも日本の伝統色と言われ、言葉としても古くから布地の染色などに使われてきました。
実際、ウグイスは下の写真のような色合いです。

ウグイス

さえずりの美しさに比べてずいぶんと地味に見えますし、滅多に明るい場所に出てこないため、ウグイスの声は知っているけど見たことはない、という人が多いと思われます。
そして、鶯色の誤解を決定づけたのは、花札でしょうか。「梅に鶯」という札に描かれた鳥の色合いが、萌黄色や浅緑色(あさみどりいろ)などに近いものでした。お似合いの組み合わせで粋(いき)を表現したものと思われますが、実際に梅の花が咲くころによく梅の木にとまるのは、メジロです。

梅の花の蜜を吸うメジロ

つまり、メジロの色合いが札に描かれたことで、それが鶯色と混同されてしまったようです。ウグイスは薮の中が好きなので、梅の花の咲く枝にとまることはめったにありません。
他にも、和菓子でうぐいす餡(あん)やうぐいす餅などというと、たいていは黄緑色に近い色です。間違いというよりは、意図的に食欲をそそる色合いを出しているのかもしれません。
ちなみに、現在放送されているNHKテレビの「テレビ体操」という番組のタイトルバックにも、梅の花と小鳥が登場します。そこにはしっかりとメジロと識別できるイラストが描かれていました。

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「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」展示品紹介その2

現在、開催中の「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」で展示中の資料を紹介します。

今回は「顔面把手(がんめんとって)」。勝坂式土器にみられる土器の縁の部分(口縁)に、顔が付くものです。

展示中の資料は座間市蟹ケ澤(かにがさわ)遺跡から令和4年10月にみつかったものです。

両面にお顔がある顔面把手

相模原市では、下溝大正坂遺跡出土のものがあります。そのお顔を比較してみると・・・

ゆるい「m」字のまゆげ、特徴的なお鼻、開いた口、両側に貫通した穴があるなど、共通している部分があります。

左:蟹ケ澤遺跡 右:下溝大正坂遺跡(相模原市)

土器の外側・内側

さらに、横から見ると、お鼻や目の高さが微妙に違います。

赤破線:推定の大きさ

上の写真は土器の内側で、顔が歪んでついています。なぜ内側かというと、残存する口縁のカーブの状況や、土器の上から見ると顔が中心側を向いていることがわかるためです。また、赤の破線はおそらくはこのような口縁の大きさでは?と推定したラインです。

常設展示の勝坂式土器のコーナー

常設展示の土器と口縁の具合を比較すると、大きい土器は弧が緩やかで、小さい土器は弧がきつくなっています。このことから中ぐらいの大きさの土器につけられたものかもしれません。

皆さんも実物をじっくりご覧いただき、縄文人の顔への意識を考えてみるのはいかがでしょうか。

本展示は3月5日(日)まで開催しています。また、3月4日(土)には展示解説がありますので、ぜひご参加ください。

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冬鳥の表情

先日、継続的に行っている野鳥の調査のために、市内南区下溝の相模原沈殿池へ行きました。今冬はオシドリが滞在しているので、観察に来ているバードウォッチャーが何人もいました。

オシドリのオス(左)とメス(右)

こちらはすでにペアになっているのか、なんとなく余裕の表情です。現在、10羽ほどの群れになっていますが、メスは2羽しかいないため、ちょっとアンバランスですね。ところで、「おしどり夫婦」という言葉がありますが、オシドリは毎年ペアを作り直します。
こちらは、護岸で寝ているコガモです。

護岸で休息中のコガモ

日なたでのんびり寝ているように見えますが・・じつは、しっかりこちらを見ています。

アップにすると、しっかりこちらを見て警戒しています

休息中も警戒を怠ってはいないのが、野生生物らしいですね。
こちらは畑地で食べ物探しをしていたツグミです。

ツグミ

3歩ほどホップしては立ち止まり、背伸びをしてあたりをうかがっています。バードウォッチャーの間では「だるまさんがころんだポーズ」などと呼ばれますが、実際は遊んでいるわけではなく、警戒中です。姿勢のせいもあるかもしれませんが、キリッとした表情に見えますね。

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「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」展示品紹介その1

現在、開催中の「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」で展示中の資料を紹介します。

今回は「注口土器と土偶」。注口土器は今から約4200年前の縄文時代後期に一般化した土器で、注ぎ口がつけられ、急須あるいはヤカンのような形状です。展示では綾瀬市上土棚南遺跡から出土した資料を紹介しています。

こちらが注口土器。左は注ぎ口が破損してみつかったものです。(左:高さ10㎝、右:高さ12㎝)

高さ8㎝の小形の注口土器。しっかり注ぎ口があります。

縄文土器と言えば深鉢形がよく知られていますが、注口土器はなんともユーモラスな形をしています。何に使われたのかはっきりしませんが、お酒を入れたり、祭祀に使ったものと推測されています。よく見ると細かな沈線や縄文が施文されているのが分かります。

また、綾瀬市上土棚南遺跡の土偶を3体展示しており、いずれも綾瀬市の指定文化財に指定されています。

中空土偶に手足があります。高さ:22㎝ 黒味が強い部分は復元部分

筒形土偶の胴部。頭は見つかっていません。高さ:14㎝

筒形土偶の顔

これらの注口土器と土偶から上土棚南遺跡の縄文人はどのような祭祀をしていたのでしょうか??実物から想像してみるのも面白いと思います。

本展示は3月5日(日)まで開催しています。また、3月4日(土)には展示解説がありますので、ぜひご参加ください。

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