地質分野実習 ~野外調査編~

こんにちは!地質分野の実習生です。

今日(9月8日)は相模原市南区の原当麻駅付近に行き、地層の観察と採取をしました。

この野外実習では、博物館資料として火山灰と礫(れき)を採取しました。

原当麻駅から当麻山(たいまさん)公園、子の神坂(ねのかみざか)、笈退(おいしゃり)の泉、無量光寺(むりょうこうじ)へ行きました。

相模原を構成している段丘の中の2つの段丘とその段丘崖(だんきゅうがい)を観察しました。

資料採取は崖に登って、鎌とスコップを用いて目的の火山灰や礫の採取を行いました。

露頭(ろとう)は道路沿いで見られることが少ないので、補装されていない道や道なき道をたくさん歩きました。

蚊やスズメバチに悩まされながら歩いた先にあったのは、涼しい湧き水。

一遍上人(いっぺんしょうにん)ゆかりのこの湧き水が、どんな地層を通って私たちの前に出てきたのか、実際の地層を見ながら考えられる有意義な時間になりました。

合計7つの地層・湧き水をめぐって、みんなへとへと。たくさんの実物資料と写真を集めることができました。この資料をもとに、私たちはこれから展示を作っていきます。9月17日から展示が始まる予定なので、ぜひ見に来てくださいね!

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津久井城の市民協働調査の講習会を行いました。

8月17日に津久井城市民協働調査の講習会を津久井湖城山公園で開催し、14名の参加がありました。

今回の講習会のテーマは「城山周辺の先史時代」。先史時代とは、旧石器~古墳時代を対象としたものです。講師は博物館の考古担当学芸員が務めました。

江戸時代の絵図から地形を説明

はじめに城山周辺の地形として、城山ダムによって津久井湖ができました。先史時代には津久井湖は当然なく、現在の地形と先史時代の地形は全く同じではありません。

地形の状況を把握した後、旧石器時代、縄文時代と順を追って説明し、弥生~古墳時代まで遺跡の概要を述べました。

まとめとして、城山を中心とした場合、北に相模川、城山の東西に平坦な地形、南に丘陵や山地があり、城山の周辺には旧石器時代から古墳時代の遺跡があることから、先史時代の段階ですでに人々が生活していたことが明らかで、時代を超えて生活をしやすい環境であったと考えられます。

次回、9月21、22日は、市内で発掘調査の研修を行います。11月の発掘調査に向けて、発掘調査の目的、調査区の概要、記録図面の作成などを再確認します。講義の様子はこのブログで紹介いたしますのでお楽しみに!

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博物館収蔵資料紹介~豚の品評会

神奈川県の豚の飼育の歴史は、横浜が開港して外国人の居住が始まった幕末~明治にさかのぼります。その後、昭和10年(1935)に開催された全国肉畜博覧会において、市内でも飼育されていた中ヨークシャー種の「高座豚(こうざぶた)」が優勝し、「高座豚」の名は全国的に知られるようになりました。

市内の多くの農家には豚がいましたが飼ったのは一~二頭くらいで、主に家の残飯を食べさせ、肥料である堆肥(たいひ)を作るために豚を飼っていました。また、大きくなった豚を肉豚として売ったりしました。しかし、なかには、子豚を生ませるための種豚(たねぶた)を持つ家があり、こうした種豚の優劣を競う品評会(ひんぴょうかい)が各地で開催されました。

最初の写真は、『相模原市史現代図録編』に掲載されているもので、昭和36年(1961)に中央区の上溝小学校校庭で開催された第10回相模原市畜産共進会(きょうしんかい)の様子です。飼い主が豚を歩かせるところを右側の白衣を着た審査員が見て、審査をしています。                 

 

次の三枚の写真は、いずれも南区下溝の同じ家から寄贈されたものです。この方は地域の中で熱心に種豚を飼育していたことでも有名で、品評会にも種豚を出品して数多くの賞を受賞されています。

一枚目の写真は、まだ相模原町だった昭和25年(1950)5月に開催された第1回畜産品評会で優等賞を受賞した際の記念カップで、「豚 優等」と記された紙が見えます。                   

 

次は、相模原町が市になる直前の昭和29年10月(市政施行は11月20日)に実施した第3回畜産共進会で、やはり優等賞となった際の副賞の柱時計です。当家では、52年(1977)10月まで20年以上この時計を使い続けましたが、これ以降は故障して使えなくなったそうです。

 

三枚目は翌年の昭和30年(1955)10月の第4回畜産共進会で一等賞を受賞した際に、日本種豚登録協会から贈られたメダルで、「名誉高等登録賞」とあります。なお、今回紹介した三回の品評会とも賞状が一緒に寄贈されています。                    

 

最後の写真は、中央区上溝の方からの寄贈で、昭和39年(1964)10月開催の第5回全日本豚共進会(日本種豚登録協会主催)優等賞の優勝旗です。毎年の県主催の共進会とともに、四~五年に一度くらい全国大会があり、毎回のように相模原の農家が受賞していました。                    

 

市内に限らず、養豚が盛んな地域ではサツマイモを主要な飼料としていて、比較的サツマイモが多く作られた相模原も豚飼育にはよかった土地柄でした。第二次世界大戦前後の全国的に食料難の時代を経ても優良な豚の血統が残ったのも、サツマイモのクズ芋があったからとも言われています。

そして、今回紹介したようなコンテストの副賞品は、地域の中で盛んだった豚をはじめとした畜産の歴史を教えてくれる資料と言えます。

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9月10日オープン!わぉ!な生きものフォトコンテスト写真展

9月10日から「第7回わぉ!な生きものフォトコンテスト写真展」を特別展示室で開催します。

ポスター

この写真展は、ソニー株式会社と公益財団法人日本自然保護協会が主催する「わぉ!わぉ!生物多様性プロジェクト」の一環として、思わず「わぉ!」と声をあげてしまいそうな生きものとの出会いを記録した写真コンテストの入賞作品展です。
前日の今日(9月9日)、作品の列品作業を行いました。水準器やコンベックス(巻尺)を使って位置や傾きを調整しながら慎重に進めます。

慎重に作業を進めます

列品が終わると、今度は照明の設置です。高所作業になるので、安全帯とヘルメットを着用しながら進めます。

高所作業は安全第一

準備万端整いました。明日オープンとなります。

明日が待ち遠しい!

見ると思わず「わぉ!」と声を出してしまう写真がみなさまをお待ちしております!

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9月8日は、桑の日 その2 桑の木に集まる虫

9月8日が9(く)と8(わ)のごろ合わせから「桑の日」ということで、クワの木について紹介する記事の第二弾です。
ここではクワの木に集まる興味深いムシたちを取り上げます。まずはこちら、その名もクワコ。写真はその幼虫(終齢幼虫)です。

クワコの終齢幼虫

カイコに最も近い蛾の仲間で、中国大陸に分布するクワコと、現在私たちが飼育するカイコは同じ祖先であると言われています。カイコは成虫になっても飛べませんが、クワコは野生の蛾なので、成虫は飛べます。成虫の姿はやはりワイルドでかっこいいですね。

クワコの成虫

続いてこちらは、クワキジラミの幼虫です。

クワキジラミの幼虫

キジラミとは、樹液を吸って生活する、セミやカメムシと同じ仲間の昆虫です。この仲間は、おしりからロウ状の物質を出して、なにやらモジャモジャしたものをくっつけることがあり、クワキジラミも、クワの葉裏に集って白くモジャモジャ?しています。なぜこのようなモジャモジャを付けているのかよくわかりませんが、外敵からの防御の意味があるのかもしれません。
そして、こちらは近年分布を広げてきた昆虫で、ハラグロオオテントウという国内最大のテントウムシの仲間です。体長は1センチメートル以上あります。

ハラグロオオテントウ

このテントウムシは、クワキジラミを主食としています。この5年ほどの間に神奈川県内でも見られるようになり、博物館のクワの木では、2019年の春に初めて確認しました。クワキジラミは、カイコの飼料となる葉を傷めてしまうため、養蚕の立場では害虫ということになります。そのクワキジラミを食べるハラグロオオテントウ、もはや相模原では産業としての養蚕は行われていないので益虫とも言えないかもしれません。しかし、クワの木が多い地域なので、これからハラグロオオテントウもおなじみの昆虫となっていくかもしれませんね。春から初夏だけ発生する昆虫なので、来年の春、少し大きめのクワの木を注意深く探してみてください。

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9月8日は、桑の日 その1 ヤマグワとマグワ

今日、9月8日は「桑の日」だそうです。9(く)と8(わ)のごろ合わせから、桑の葉茶などを販売する会社が制定したものです。
桑と言えばカイコということで、相模原の歴史と密接に関わることから、当館でもカイコの飼育展示や餌となる桑の木の育成を行っています。
そこで、今回は樹木としてのクワについて少し紹介します。まず、一般にクワと呼ばれている木には2種類あるということをご存じでしょうか。もともと日本に自生していたとされるのが、ヤマグワです。一方、中国大陸原産で、養蚕に用いる飼料としての品種改良を進めるために持ち込まれたのが、マグワです。この両種は、果実の形が異なります。

ヤマグワの果実

マグワの果実

上の2枚の写真で違いがわかるでしょうか。果実に柱頭(めしべ)が残り、果実の長さが短めなのがヤマグワです。一方、柱頭があまり残らず、果実が細長いのがマグワです。マグワの方がいかにも美味しそうに見えますが、一般的に糖分はヤマグワの方が多く、食べると甘く感じます。
葉も違いがあり、切れ込みが深く、葉先が細長く尖るのがヤマグワで、切れ込みがほとんど無く、葉先があまり尖らないのがマグワです。

ヤマグワの葉

マグワの葉

ただし、この違いは決定的な識別点にはなりません。どちらも切れ込みの深さは同じ木でもいろいろあり、葉の形は様々です。さらに、カイコの飼料として効率よく育つよう、クワも両種の交配が重ねられたり、倍数体(4倍体など)が選抜されたりといった品種改良が進められました。そのため現在、野外で見られるクワの多くがこうした改良品種の子孫で、実際にはヤマグワとマグワといった区別ができないものがほとんどです。
クワの果実は初夏に実り、ムクドリやスズメ、カラスなどが好んで食べます。種子はフンに混じって排泄されるため、電線やフェンス沿いなど、鳥がとまりやすい場所に沿ってクワの幼木がよく見られるのはそのためです。

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博物館収蔵資料紹介~鉄道に関する資料

職員ブログでは、これまで生活に係わるいろいろな道具類を紹介してきましたが、博物館ではこのほかにもさまざまな資料を収集・保管しています。今回は、交通に関する資料の中でも鉄道を取り上げます。

最初の写真は、JR横浜線の古淵駅が昭和63年(1988)3月13日に開業した際に、その記念列車に取り付けられたヘッドマークです。町田~淵野辺駅間の新駅の設置は長らく計画されていましたが、駅周辺の大規模な区画整理の実施とともに古淵駅が新設され、また、国道16号沿線には大型スーパーが出店しました。                 

 

次の二枚の写真は、横浜線相模原駅で第二次世界大戦後から昭和47年(1972)まで使用されたホーロー製の看板で、最初の「入口」と「出口」の看板は33㎝×45㎝、次の一番線と二番線を示す「1」と「2」は48㎝×30㎝ほどの大きさです。こうした看板は、今では見かけることもなくなりました。                 

 

次の写真は紙資料で、JR中央線与瀬駅(現相模湖駅)の時刻表です。明治34年(1901)に開業した与瀬駅は、昭和30年(1955)に相模湖町が誕生した翌年の31年に相模湖駅に改称しました。

昭和5年(1930)10月1日に改定された時刻表で、一日に上下線が8~9本運転されていたことが分かります。上りはほとんど飯田町駅(現在は廃駅)行き、下りの行先はさまざまで、中央線の終点である名古屋駅や、塩尻から篠ノ井線に入って長野駅まで行くものもありました。

なお、東京日日新聞は現在の毎日新聞で、右上の建物は東京日日新聞社全景です。新聞の購読者に配られた時刻表と思われます。                

 

最後の写真の盃(さかずき)は直径9cmほどの小さなもので、盃の内側には丸く甲の文字がデザインされています。甲の字が示すように、明治時代に運行していた私鉄の甲武鉄道株式会社の記念盃で、甲武鉄道は現在の中央線の御茶ノ水~八王子駅間を走っていました。盃には明治三十九年九月とあり、明治39年(1906)の翌10月には国有化されて甲武鉄道はなくなりますので、その記念として出されたものと考えられます。                 

 

博物館が保管している鉄道関係の資料は、このほかに横浜線の敷設に関するものなど書類が多く、実物資料はそれほど多くありませんが、今後とも機会があれば収集していきたいと思います。

 

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生物分野 実習最終日(9/1)

こんにちは。博物館実習生(生物分野)の大川・武田・林部です。
本日は実習最終日、展示制作も大詰めです。と、その前に、専門分野初日に採集した植物標本を台紙に貼り付ける作業を行いました。

標本を台紙に貼り付けます

そのうちの一枚は、実習の記念として持ち帰れるように、ラミネートしました。思い思いの植物標本を作ることができました。

実習記念!持ち帰り用押し葉標本

次に、展示制作です。私たちは、相模原を代表する絶滅危惧種、カワラノギクについての展示を制作することにしました。
まず午前中に、タイトルとレイアウトとキャップションの最終調整をしました。特に、タイトル決めは難航しました。多くの人の目に留まるようなタイトルにするのは難しい・・・。限界ギリギリで絞り出したタイトルに決定しました。また、レイアウトを決めると、キャプションの足りないところが見えてきました。 大急ぎでキャプションを作りました。

何度も見直しながらキャプションや解説パネルを製作

午後から展示パネルの印刷と切り出しを行いました。切り出しは3回に分けて切るのがポイントです。実習生全員集中して作業にあたります。

怪我をしないように慎重にパネル切り

最後にいよいよ、特別展示室で展示を完成させます。資料を標本をケースに並べ、壁にキャプションを配置しました。何もない展示室に入るのはワクワクしました。

資料の列品

標本をケースに入れると一気に展示らしくなりました。
壁に解説パネルを打ち付けました。傾きやズレがないよう慎重に進めます。

水準器などを使って傾きを調整し、壁打ちします

無事完成することができました。展示を見渡して見ると、とても感慨深いです。
9月中旬から実習生展示が始まるので、是非見に来て下さい。

最後に記念撮影!

合計9日間をとおして、地域博物館の意義や役割について実感することができました。標本の作製、生きものミニサロン、実習生展示など学芸員の多岐にわたる仕事を経験し、学びの多い充実した実習になりました。ありがとうございました。

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コヒルガオとイチモンジセセリ

博物館お隣の樹林地は、四方をフェンスに囲まれています。そのフェンスには様々なつる植物がからみついていて、見ていて飽きません。初夏からぽつりぽつりと毎日咲いて目を楽しませてくれているのが、コヒルガオです。8月31日の朝、フェンスの脇を通りながら花に目をやると、何かがとまっています。

コヒルガオの花の中になにかが・・

セセリチョウの仲間の、イチモンジセセリでした。頭を頂点とした鋭角三角形のフォルムが、コヒルガオのラッパ状の花にフィットしていて、ちょっとおもしろかったので写真を撮りました。
よく見ると、口吻(ストロー状の口)を花の奥へ入れて密を吸っていました。

コヒルガオの花にイチモンジセセリの形がフィット

そういえば、その前日の夜に同じ場所を通った時、おっ!と思わず声が出てしまうような、見事な目玉模様を見ました。

ハグルマトモエ

ハグルマトモエという蛾のようです。大きさは翅(はね)を広げて10センチ程度でしたが、見とれてしまうようなデザインでした。しかし、見とれていると蚊の総攻撃にあってしまうので、素早く撮影してその場を去りました。

 

 

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博物館収蔵資料紹介~炭と炭焼き

前回まで行火(あんか)や火鉢などの、暖房に使う道具を取り上げてきました。こうした道具の熱源としたのは木を焼いて作った炭で、炭はこのほかにも調理をはじめ、蚕を飼う養蚕の際に部屋を暖めるなど、さまざまな用途に使われていました。

次の写真の左側は前回も取り上げた「火のし」(収集地・緑区二本松)で、丸い鉄の部分に炭を入れ、アイロンのように熱で布のしわを伸ばすのに使いました。右側の「こて」(中央区清新)は、炭火の中に先の金属部分を差し入れて熱くするもので、裁縫などの際にやはり布に当ててしわを伸ばしました。                  

 

次の写真は「炭火アイロン」(緑区上九沢)で、電気ではなく焼けている炭を直接中に入れて使いました。明治時代に外国から入って来たものですが、煙突(えんとつ)が付いているのが日本独特の形とされています。                   

 

博物館では燃料として炭も保管しており、写真は中央区宮下本町の方からいただいた炭の一部で、養蚕に使うために炭を俵で買ったのではないかとのことです。なお、炭は使う道具の大きさに合わせて割って使いました。                  

 

次の写真は何だと思いますか。市内では津久井地域をはじめ、相模原地域でも各地で炭焼きが行われており、南区大沼地区では、炭を焼くための土窯(どがま)を作る際に唄った「土窯つき唄」が伝えられています。

写真は左側が「つくぼう」、右側は「きね」(南区東大沼)で、いずれも土窯を作る際に土窯用の粘土(ねんど)を叩くのに使います。二枚目の写真はきねのアップで、右側の先端に叩いた粘土の跡が見えます。                                       

市教育委員会では昭和61年(1986)度に、大沼地区で実に33年振りに再現された土窯作りと炭焼きの様子を記録した文化財記録映画「相模原の炭焼き」を制作しており、この時に実際に使われた「つくぼう」と「きね」も、窯作りを示す大切な資料としてそのまま収集しました。

最後の写真は、この映画において「きね」を使っているところですが、本職員ブログの「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」「炭焼き」及び「炭焼きの窯作り」

でも、映画制作時に撮影した写真を紹介していますので、あわせてご覧いただければ幸いです。                 

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