意外な水場

博物館の駐車場や建物の裏手には、数メートル掘り込まれた排水路が通っています。建物裏手の排水路の上部は金網でふさがれているのですが、先日、そのそばで作業をしていると、シジュウカラやエナガの鳴き声がしていました。声のする方を見ると、金網の上に乗っています。

金網にとまるエナガ

すると、金網の下へスルッと入ってしまいました。

吸い込まれるように中へ

そのすぐ後には、メジロが下からヒョコッと出てきました。

上に上がってきたメジロ

羽が濡れています。どうやら、排水路にたまった水で水浴びをしていたようです。この排水路は普段はあまり水が流れていませんが、ところどころに落ち葉や水たまりがあるので、それを利用しているのでした。

排水路の水たまりで水浴びするシジュウカラ(金網越しなので不明瞭な写真になっています)

ヤマガラもお風呂上りのようになっています。

ヤマガラ

排水なのであまりきれいな水とは言えないのですが、考えてみると、金網の目は外敵が入れる大きさではないため、中は安全な水場ですね。

水浴びを終えて飛び去るシジュウカラ

ちょっと意外な場所でしたが、鳥たちにとっては貴重な水場になっているようです。

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おひな様スタンプラリー・行ったつもりツアー!?行きたくなるツアー!?

ここのところ何回かに分けてお知らせしている「おひな様スタンプラリー」、すでに博物館、相模田名民家資料館、古民家園の様子を写真でお知らせしたところですが、残りの2か所、吉野宿ふじやと小原宿本陣の様子もオンラインツアー風に紹介させていただきましょう。

まずは吉野宿ふじや
市の登録文化財である古民家の中には様々な時代の様々なおひな様が展示されています。
見どころは江戸時代の享保雛(きょうほうびな)!このおひな様には、かつて、このおひな様が飾られていたお宅に泥棒が入った際、この人形にびっくりして逃げ出したというエピソード(Yahooニュースにリンクします)が残っているのですが、さもありなんの迫力です。一見の価値あり!

約300年前の享保雛

また、江戸時代のおひな様だけでなく、大正や昭和のおひな様も所狭しと展示されていますが、それら以外に、昔話をモチーフにしたと思われるお人形や、柿の葉で作られたものなど、珍しいものも!

昔話をモチーフに?

昔話をモチーフに?

柿の葉っぱで!?

そして小原宿本陣。(お車の方は、すぐ近くにある小原の郷にお停めくださいね)
こちらは県指定重要文化財。お庭の様子も素敵ですよ。

外観

吊るし雛から七段飾り、御殿飾りなど、こちらも見ごたえ十分です。

吊るし雛越しの七段飾り

とくに御殿飾りの御殿は、欄間(らんま)も素晴らしい細工になっていますので、どうぞ忘れずにチェックしてみてくださいね!

豪華絢爛ですね!

欄間にご注目あれ!

先日は本村市長にもお立ち寄りいただきました。(詳しい様子は本村市長のFacebook3月6日更新分をご覧ください)

スタンプラリーはいよいよ今度の週末3月13日(日)まで。この機会に現地をめぐってみてはいかがでしょう。
※相模田名民家資料館ではおひな様展示は終了し、通常展示のみになっていますが、スタンプラリーは実施しています。

さて、先着でお配りしている記念品もいよいよ残すは博物館と吉野宿ふじやのみ(3月10日現在)となりました。ぜひ、博物館や吉野宿ふじやをゴールにスタンプラリーをお楽しみください。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No94 五つの湖)

相模原市緑区には、いずれも人間の手によって造られた五つの湖(人造湖)があるのはご存じでしょうか。今回のブログでは、これらの湖を紹介したいと思います。

なお、掲載した写真は、いずれも博物館が企画した市民の皆様と一緒に歩くフィールドワークの講座の際に撮影したものです。

神奈川県による相模川総合開発事業により、用水の確保と水力発電、洪水時の水量調節を目的として城山ダムが建設され、それに伴って昭和40年(1965)に完成したのが津久井湖です。

最初の写真はダム展望台から見た城山ダム、二枚目は三井(みい)地区から津久井湖を望んだもので、右手奥の高い山が津久井城跡です(平成18年[2006]4月26日)。                 

 

津久井湖より相模川の上流にあるのが相模湖(相模ダム)です。県の相模川河水統制事業により、すでに昭和15年[1940]から工事が始まっていましたが、完成したのは戦後の22年[1947]でした。

次の写真には相模ダムと記されているのが見えます。二枚目の写真に写っているのは相模湖大橋で、相模湖を渡る道路橋です。また、真ん中付近には湖面にボートが浮かんでいます(平成20年[2008]2月23日)。                  

 

平成12年[2000]に完成したのが宮ケ瀬(みやがせ)湖です。相模川支流の中津川に建設されたもので、市内で直接的な影響を受けたのは鳥屋(とや)・串川(くしかわ)地区の山林が主でした。

写真は清川村側から見た宮ケ瀬湖で、右側にあるのが大吊り橋です。また、宮ケ瀬湖はジャンボクリスマスツリーが有名で、ツリーを飾るところがその左側となります(平成18年[2006]12月2日)。                

 

これまでの三つの湖に比べて、一般にはあまりなじみのないのが奥相模湖(道志ダム)です。青根(あおね)と牧野(まぎの)地区を挟み、相模川支流の道志川に新たな電力と水の供給を目的として、昭和30年[1955]に造られました。

写真は、緑の休暇村青根キャンプ場から牧野方面に抜ける道から撮影したものです(平成19年[2007]3月17日)。                   

 

最後に取り上げるのは、津久井湖とともに昭和40年に完成した城山湖(本沢ダム)です。これまでの湖のように川の流域ではなく、沢をせき止めて造られました。南側の下方にある津久井湖との間で、水のポンプアップと放水を行って発電しています。

写真は平成30年[2018]11月29日撮影で、城山湖は10年に一度の割合で水を抜いて点検をしており、その間は普段見ることができない光景を確認することができます。                  

今回紹介した湖は、いずれも周辺にそのほかの見どころもありますので、機会があれば訪れてみてはいかがでしょうか。その際には、多くの家が水没するなどの歴史があったことを知るのも大切なことと言えましょう。

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」関連ミニ展示の紹介③~第9話で出会った頼朝・義経に関する伝承も…~

市内がロケ地の一つでもあるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の関連事業として、当館でも、ミニ展示「鎌倉時代初めの相模原の武士団 横山党」を開催中です。

ミニ展示全体

このミニ展示では、鎌倉時代初めに相模原市域に勢力を持っていた武士団横山党と、大河ドラマの13人のひとりで横山党とも関係の深い和田義盛(わだよしもり)という武将の市内の伝承地などを紹介するともに、伝承が記された明治期の地誌資料を展示しています。

今回は前々回の横山党の紹介前回の和田義盛と横山党に続き、ミニ展示紹介③として、「市内の鎌倉時代初期の伝承と横山党滅亡後の相模原」について紹介します。

市内の鎌倉時代初期伝承と横山党滅亡後の相模原紹介コーナー

3/6放送の大河ドラマ9話では、大泉洋さん演じる源頼朝と菅田将暉さん演じる義経がついに出会う場面がありました。実は、この頼朝または義経が鶴が舞うのを見たことが地名の由来になったとされるのが本市、大和市、町田市周辺の「鶴間」で、本市では南区の「上鶴間」や「上鶴間本町」という地名があります。

頼朝、義経兄弟の話をしましたが、今後登場する兄弟に源範頼(のりより)という人物もいます。範頼は義経とともに西国の平家軍を討つ大将となりますが、その後範頼も義経同様に頼朝に疎(うと)まれ、殺されてしまいます。その範頼の家臣に当麻太郎という人物がおり、主君範頼の噂を聞くため頼朝の寝所に忍び込み捕まってしまいます。当麻太郎はその後流罪になったとされていますが、この当麻太郎の伝承が南区当麻に伝えられています。

当麻太郎の伝承地「当麻城山」付近にある浅間神社(当麻城山は戦国期ののろし台伝承もある)

前回、建暦3年(1213)の和田義盛の乱について紹介しました。実はこの乱は、泉親衡(いずみちかひら)という人物が2代将軍頼家の子を将軍にしようと画策した謀反計画に和田義盛の息子や甥が加担したとされ、所領を奪われてしまったことがきっかけでした。その泉親衡が市内中央区上溝に逃れたとする伝承があり、その石碑が建てられています。

石碑「伝泉小次郎源親衡之旧跡」

上記のように、市内には鎌倉時代の初めの伝承地もあり、こうした伝承を意識しながら大河ドラマを見るとさらに楽しめると思います。

なお、和田義盛の乱により横山党も滅亡してしまいますが、その後横山党の所領横山庄は13人の一人である大江広元(おおえのひろもと)の所領になったとされています。

これまで3回にわたり、大河ドラマ鎌倉殿の13人関連ミニ展示「鎌倉時代初めの相模原の武士団横山党」について、解説いたしました。博物館でのミニ展示は、3/13(日)で終了しますが、今後当館の所管施設である吉野宿ふじやで4/16~6/12まで、尾崎咢堂記念館で6/18~8/28まで、内容を少し変えて巡回展示を行う予定ですので、ぜひ足を運んでいただければ幸いです。

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「残業の星座」と「おびのっち」と「こどもプラネタリウム」、そして「アルデバラン」

1月は行く、2月は逃げる、3月は去る

昔の人はうまいことを言ったものです。年明けからこの年度末までがあっという間に過ぎること!

年度末ということで、博物館でもこの時期何かと慌ただしく、残業になってしまうこともしばしば。そして、この時期、20時頃に職員通用口から帰ろうとすると、正面のJAXA相模原キャンパス方面の空に輝いているのが、オリオン座。そのため、オリオン座を見ると年度末の「残業の星座」だと、季節を感じてしまいます。

さて、3月に入り、先日予告したとおり(該当のブログはこちら)、こどもプラネタリウムの番組を一新しました。

新こどもプラネタリウム番組チラシ

この「プラネタリウムで宇宙たんけん」は、約40分の番組で、前半は今夜見られる星空の生解説、そして後半は我らが博物館のキャラクターで市内の遺跡から発掘された土器をモチーフに生まれた「おびのっち」(詳しくはこちら)が登場して、観覧者のみなさんと一緒に宇宙を冒険するお話になります。無事に地球に戻って来られるかどうかは、みなさんの協力次第!?途中、みなさんの拍手によりコースが分かれますので、来るたびに違うお話を楽しめるかもしれません。番組の詳細はこちらをご覧ください。

博物館キャラクター「おびのっち」

そして、タイトルに書いた「アルデバラン」ですが、星の名前ということをご存じでしょうか?ちょうど佳境に入ったNHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」の主題歌として、急に親しまれるようになったような気がします。

この星、実はオリオン座の近くで光り輝いているのです。プラネタリウムの星空解説でも、この時期よく解説されます。どうぞこの機会にプラネタリウム番組をお楽しみください。

 

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シリーズ「相模原ふるさといろはかるた」でみる名所紹介㊻ ㋝石老山

石老山 奇石巨岩の 登山道  (せきろうざん きせききょがんの とざんどう)

石老山は相模湖の南方にそびえる山で、ハイキングコースとして人気があります。
天皇陛下も、かつて皇太子時代に登山されたことがあります。

相模湖から見た石老山

石老山の登山道から見える相模湖。対岸には陣馬山を含む山々が見える。

石老山山頂

登山道沿いには、いくつもの奇石や巨岩が転がり、登山者の目を楽しませてくれます。

顕鏡寺の近くで見られる奇石巨岩の一つ

しかし、石老山の地質学的な重要性は、岩の形や大きさではなく、岩石の形成過程にあります。石老山で見られる奇石巨岩は礫岩(れきがん)と呼ばれ、礫(石ころ)が固められてできた岩石です。

石老山で見られる礫岩。石ころが固められているのがわかる。

石老山の礫岩は、今から約5百万年前に、トラフと呼ばれる水深数千メートルの溝状の海底で堆積してできたものです。このトラフは日本列島をつくっている陸側のプレート(北アメリカプレートもしくはユーラシアプレート)と海側のプレート(フィリピン海プレート)の境界だったところで、石老山はかつて二つのプレートがぶつかり合っていた場所にあたります。そのトラフがその後隆起して石老山となりました。

プレートは地球表面を覆っている岩盤で、日本列島周辺は4枚のプレートがひしめき合っています。

石老山周辺は日本列島の成り立ちを考える上で非常に重要な地域です。今度石老山に登るときは、礫岩を眺めながらダイナミックな地球の動きにも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

*このかるたは当館のボランティア「市民学芸員」が2017年に制作したものです。
*このかるたは相模原市立博物館の開館日に閲覧・貸出し可能です。(貸出しは要予約)
*貸出し詳細やかるたに関心のある方は、博物館までご連絡下さい(042-750-8030)。
*貸出し使用時には感染症予防のため、事前・事後の手洗い・消毒を必ず行って下さい。

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今年もイカルの大群

2月26日朝、博物館駐車場でたくさんの鳥が地面に下りて何かをついばんでいました。近づくと一斉に飛び立ち、その数約150羽。イカルという野鳥でした。この時は出勤してきたところだったためカメラを持っていなかったのですが、その後、カメラを携えて出てみました。残念ながらもう駐車場にはいなくて、お隣の樹林地にいました。

イカル 大きな黄色い嘴が特徴です

高い木の上の方や、込み入った枝の奥に止まっているため、「キョッ、キョッ」という地鳴きや「ヒーコキー」という軽やかな鳴き声が聞こえてくるものの、姿はなかなか見られません。この時は冬芽をむしり取って食べているようで、食べ残した冬芽の殻などが落ちる音がします。イカルの数が多いので、結構大きな音でザワザワと聞こえてきました。

エノキの冬芽を食べるイカル

地面で採食している時は、落ちた種子などを拾って食べているのでしょうか。パチパチという音がかなりの音量で聞こえました。

地面から飛び立つイカルの群

イカルは博物館付近では通常、冬の間に数羽から10羽前後の小さな群で行動しています。今回のような大きな群は、おそらく北から雪だるま式に小群を巻きとりながら増加した群が通過しているのでしょう。昨年も、2月9日に同じ規模の群に遭遇し、このブログに記事を掲載しました。
それにしても、植物の側から見ると、あんな勢いで冬芽が食べられてしまっては春に芽吹くことができないのではないか?と心配になります。でも、イカルの群を見ていると、おそらく食べ尽くすということはなくて、結構落ち着きなく動き回り、何かの拍子に一斉に飛び立って場所を移動しています。イカルが約150羽というと大群ですが、冬芽は1本の木に数千、あるいは大きな木なら数万かそれ以上付いているはずですから、食べ残しも多いことでしょう。また、たいてい、食べられた冬芽は小さな予備の芽があり、そちらが成長して芽生えることができます。

コナラの冬芽 これだけあれば少々食べられても平気?

イカルの大群は、滞在したのは結局この1日だけだったようです。右往左往するように移動していき、そのうち春が進むと、徐々に北へと帰っていくのでしょう。

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津久井城市民協働調査 講習会・研修を行いました。

2月16日に津久井城市民協働調査の講習会が開催され、当日は12名の参加がありました。

講習会の様子

講師は博物館の歴史担当学芸員がつとめ、テーマは「謎多き 津久井城主 内藤氏について」です。

内容は、津久井の地名伝説から始まり、内藤氏の出自や歴代内藤氏の様子、津久井衆の謎、三増合戦時の津久井城の対応などです。

歴史担当学芸員

今年度の講習会はこれまで測量研修や発掘調査の成果発表など、考古学の内容を行ってきましたが、今回は文献史学の視点からの内容でした。

さて、今年度の津久井城市民協働調査はこの講習会で終了です。本来ならば、3月に他県へ城郭の視察に行く予定でしたが、新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、中止といたしました。

来年度も津久井城市民協働調査を行う予定ですので、どのような内容になるのか今から楽しみです。

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考古担当学芸員、縄文時代中期を語る。

2月20日に上鶴間公民館で考古学の講義を行いました。これは市民団体主催の「ふるさと勉強会」の講師として招かれたものです。

博物館以外の場所での講義は初めてで、やや緊張しつつ、会場へ向かいました。

今回のテーマは「相模原市の縄文時代中期について」。このテーマとした理由は、相模原市で多く見つかっている遺跡の時代は縄文時代で、特に今から約5,000年前ごろの中期が大半であるためです。

縄文時代中期の土器を説明中

 

参加者は30名で、皆さん熱心に聴いていただきました。

南区在住の方が多いとのことなので、磯部の勝坂(かっさか)遺跡、上鶴間本町の下森鹿島(しももりかしま)遺跡を事例として挙げ、縄文時代中期の特徴を説明しました。

 

講義中

 

講義後は会場から感想を頂戴し、南区に貴重な遺跡が残っていること、そしてその遺跡が身近なものであることなどを学んでいただけたことがわかりました。

新型コロナウィルスの感染により今回のような講義はあまり行っておらず、貴重な経験を積めました。今後もより分かりやすく、より楽しくを目標に頑張っていきます。

 

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考古企画展の展示資料から(その3)

当館特別展示室では、1月29日(土)~3月13日(日)の期間、考古企画展「古代相模原台地の開発」を開催しています。

今回の展示では、古墳時代から平安時代にかけて行われた市内相模原台地の開発や人々の生活をテーマに、当時のムラから出土した土器や農具などの生活用品のほか、仏教など信仰に関連した遺物などを展示しています。

今回は展示資料の中から墨書土器(ぼくしょどき)をご紹介したいと思います。

「吉」と書かれた土器(田名塩田遺跡群)

墨書土器とは、墨によって文字などが書かれた土器のことです。使用場所や所有者などを記したものが当時の役所跡などで多く出土していますが、集落からの出土例も全国的にみられ、特に関東地方での事例が多いとされます。市内でも奈良時代からみられるようになり、平安時代になると出土例が多くなります。

「庄」と書かれた土器(田名塩田遺跡群)

集落から出土するものは、大半が1文字書きの文字で、文字を書いた目的もよくわかりません。ただし、文字が書かれる土器は、そのほとんどが日常的に使われる坏(つき)と呼ばれる食器であることに特徴があります。また、同じ集落や同じ住居から共通の文字が書かれた墨書土器が複数出土することがあり、集団を示す標識的な意味があったのかもしれません。

1軒の住居跡から出土した「上」と書かれた土器(下森鹿島遺跡)

いずれにしても、こうした墨書土器の存在は、一般村落への文字の普及を示すものであり、大変興味深いものです。また、書かれた文字を見ていると、書いた人の人柄が何となく表れているようで、無機質な土器にも温かみが感じられます。ぜひこの機会に実物をご覧ください。

なお、ギャラリートークを会期最終日の3月13日(日)に開催します。午後2時から30分程度です。こちらもお気軽にご参加ください。

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