1月26日は文化財防火デー!そんな日に博物館に消防車がやってきて・・・

博物館の駐車場に消防車が!

緑が丘分署の消防車です

何事か!?と思った人もいたかもしれませんね。

実は今日1月26日は文化財防火デー(文化庁のホームページの解説ページはこちら)」。

ということで、博物館では、立ち入り検査が行われました。

ミュージアムショップでもチェック!

天文展示室内の消火器もチェック!


3階から地下まで、バックヤードを含め、しっかり検査していただきました。(お忙しい中、撮影にもご協力いただきました。緑が丘分署のみなさんありがとうございました)

これからも引き続き安全で安心な博物館の運営を目指していきます!

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JAXA宇宙科学探査交流棟で川原の石を展示しています

相模原市立博物館のお向かいにあるJAXA相模原キャンパスの宇宙科学探査交流棟には、相模原市立博物館を紹介するコーナーがあります。

宇宙科学探査交流棟の相模原市立博物館紹介コーナー

この博物館紹介コーナーで、令和4年1月26日から、相模川の川原の石を展示しています。相模川の川原の石は、富士山、丹沢山地、関東山地の3か所から、川の水によって運ばれてきたものです。今回はそれぞれの代表的な石を展示しました。1年間ほど展示する予定です。

代表的な川原の石たち

宇宙科学探査交流棟を見学した際には、こちらのコーナーもご覧いただき、さらに、相模原市立博物館にもお立ち寄りいただければと思います。

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生きものミニサロン「真冬の木の枝に春の準備を見つけよう」を実施しました!

1月22日、毎月恒例の生きものミニサロンを実施しました。今回のテーマは「真冬の木の枝に春の準備を見つけよう」です。ズバリ、冬芽の観察です。

サンショウの冬芽

ただし、当館のまわりにはあまり大きな冬芽をつける樹木が無いので、ルーペを持ってもらい、お隣の樹林地へ行きました。

ルーペを持って冬芽をじっくりと観察

最初にみなさんに紹介してとてもウケたのが、ハリエンジュの冬芽です。

ハリエンジュの冬芽

ハリエンジュの冬芽は、枝に埋没するタイプなので通常はあまり紹介する機会が無いのですが・・・ルーペでじっくり観察した参加者のお子さんからは「鬼の顔!」と声が上がりました。若い枝の冬芽が、トゲとセットで、鬼、あるいは般若(はんにゃ)のお面のようにも見えます。
そして、アカメガシワの冬芽は、「毛がいっぱい!」と声が。

アカメガシワの冬芽

すばらしいリアクションだったので、大切な芽を凍結から守る方法として、毛皮をまとうか、カプセルに入れるか(または枝にしまいこむか)という違いを紹介しました。
最後にみなさんで取り組んでいただいたのは、冬芽観察標本づくりです。

オリジナルの冬芽観察標本

ミズキの冬芽を採集し、芽鱗(がりん:冬芽を構成するうろこ状のもの)をはがしながらスチレンボードに張り付けていきます。

配置もいろいろ考えています

何枚もの芽鱗をはがすと、やっと小さな葉の芽が出てきました。ピンセットと指でみなさんしっかり作ってくれました。
ちょっとマニアックな内容かなと心配しましたが、植物に興味を持ってくれるお子さんがたくさん参加してくれたため、とても楽しく盛り上がりました。
来月は2月26日に実施します。お楽しみに!

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考古企画展示室、準備はじめました。

令和4年1月29日(土)からスタートする考古学の企画展☆「古代相模原台地の開発」

前回企画展の撤収が終わったため、会場の設営に入りました。

学芸員がヘルメットを被って体を張ります。こういった体力も必要不可欠!

まずは前回の展示の垂れ幕や照明を取り外して片付けます。

会場の仕切り壁の移動です。人の大きさと比べるとずいぶん大きいですね。

大きな展示ケースを人力で動かします。

重~い!あともう少し。

展示品を明るく見やすく照らすための照明の配線作業です。しっかりつなぎます。

 

展示をご覧になる際には、部屋の間仕切りやケースの置き方にも注目してくださいね。

⇒ 考古企画展のページはこちらです。

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「鎌倉殿の13人」、「小吉の女房2」のNHKドラマ…実は相模原にもゆかりが!

1/9にNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まりました。昨年の「青天を衝け」の第1話に続き、今回も大河ドラマの1話でもロケ地として相模原が使われました。場所は大島の神沢河原付近でたまたま当館の学芸員が植物調査の際にロケ現場を見たそうです。

さて、「鎌倉殿の13人」については、当館でも関連ミニ展示を1/15から開催しているので、あらためて展示の紹介とあわせてブログを掲載したいと思います。

新大河ドラマ「鎌倉殿の13人」関連ミニ展示… こちらについては後日あらためてブログで紹介します

実は、今回紹介したいのは同じNHKでも、1/8(土)の午後6時から始まった「小吉の女房2」です。小吉とは勝海舟の父 勝小吉のことで、その小吉を古田新太さんが、女房のお信を沢口靖子さんが演じています。昨年BSで先行して放送されたのですが、その際は紹介できなかったので、今回ブログで取り上げることにしました。

この「小吉の女房2」が相模原とどのような関係があるかですが、まず最初が本市葉山島の個人宅に勝小吉と海舟親子の実名(じつめい)の書がある史料が残されていることです。

勝小吉(夢酔入道物部 惟寅とあり)と海舟(麟太郎物部 義邦とあり)の連署の文書

勝小吉、海舟とも剣術の流派「直新影流」(じきしんかげりゅう)の指南者で、斎藤道之輔に与えた「直新影流」の兵法免許状が葉山島の斎藤家に大切に保管されています。

直新影流の兵法免許状(勝海舟の実名が記されている)

これらの資料は2018年に当館で開催した明治150年関連企画展でも展示させていただきました。

次に、ドラマの中で勝小吉が住む家の地主として岡野氏という旗本が登場するのですが、この岡野氏は淵野辺村の領主で、岡野氏歴代の墓地が東淵野辺の龍像寺にきれいに残されています。

市指定史跡になっている龍像寺の岡野氏墓地(2005年頃撮影) 現在は景観が変わっています。

今後、岡野氏の財政難を勝小吉が助ける場面など度々岡野氏が登場いたします。

そして、最後の関わりですが、現在は勝麟太郎(のちの海舟)を鈴木福くんが演じていますが、後半の青年期には仮面ライダードライブにも出演した相模原市出身の俳優で市の名誉観光親善大使でもある稲葉友(いなばゆう)さんが演じます。

稲葉友さんの市名誉観光親善大使決定の相模原市発表資料

勝海舟写真(国立国会図書館 近代日本の肖像より)

今回は「小吉の女房2」と相模原のかかわりを紹介いたしました。ややこじつけと言われる所もあるかもしれませんが、これらのことを知ってドラマを観るとより理解と関心が深まり、楽しくご覧になれると思います。今回のブログを参考にしていただければ相模原市立博物館の学芸員冥利につきます(笑)

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博物館の今年のトップバッター

1月21日、翌日の「生きものミニサロン」の準備のために博物館前庭を歩いていたら、博物館の敷地内で今年最初の花を見つけました!

ウグイスカグラの花

ウグイスカグラです。毎年、真冬のこの時期から咲き始めるトップバッターで、春まで順番に少しずつ咲き続ける息の長い花です。ちょうど、ご近所の大野村いつきの保育園のみなさんがいつものようにお散歩に来ていたので、一緒に観察しました。

こっちにもあるよ!と次々につぼみや花を見つけます

ウグイスカグラのつぼみ

花の香をかいでいた園児が「いいにおいがする!」と言うので、自分でもかいでみました。残念ながらにおいはわかりません。「ほんとだ!甘い!」とか「鼻がつまっていてにおいわからない」とそれぞれ自分の感想を言ってくれていたので、気分でにおいを感じたわけではなく、本当に香ったのだと思います。普段からこうした感覚が研ぎ澄まされているのでしょう。このままでは悔しいので、もう少し花が咲き揃ってきたらもう一度チャレンジしてみようと思います。
そして、そんな観察をしていたら、足元灯の内側をのぞき込んでいた子が、「なんかいるよ」と教えてくれました。

歩道脇の足元灯

確かに、何かの虫の繭殻(羽化した跡)がありました。残念ながら何の虫の繭かはわかりませんが、虫がこんなところを利用していることにちょっと驚きました。

足元灯の内側についていた繭殻

毎日博物館にいても、こんな場所に目を向けることはありませんでした。私たち大人とは違う視点や鋭い感覚を持った園児たちから、今日も生きものの見どころを学びました。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No88 どんど焼き・団子焼き③)

これまで本ブログでは、市内のさまざまの地区の写真を紹介してきましたが、津久井地域は合併以前のものはほとんどなく、保管している写真も多くは平成20年前後以降となります。その中でもどんど焼きについては、多くの地区をお伺いして撮影させていただきました。今回は、津久井地域(すべて緑区)の特徴的などんど焼きを取り上げます。

最初の写真は川尻(かわしり)・城北(じょうほく)地区で、かつては集落単位でしたが一か所にまとめて行うようになり、燃やすものも非常に大きく二つ作っています(平成21年[2009]1月12日撮影)。次の写真は中沢地区で、午後五時の点火を、その年に12歳になる年男年女の子どもたちが行います(平成21年[2009]1月12日)。                   

 

次の写真は三ケ木(みかげ)新宿地区で、畑の中で朝方に団子を焼きます。この地区は、セーノカミの石と言われる石塔を正月飾りとともに燃やしており、二枚目の写真の左側下に石が見えています。また、かつて道祖神の石を燃したという地区はほかにも確認されますが、ここでは「団子焼きだい、丸焼けだい、道祖神の丸焼けだい」という囃子(はやし)言葉を唱えたというのも注目されます(平成29年[2017]1月8日)。                 

 

また、与瀬(よせ)・横道(よこみち)地区では、穴の開いた自然石を燃やしてすぐ取り出します。写真は、火に投じる直前に用意されているところです(平成23年[2011]1月8日)。                 

 

前回も紹介した道祖神の石仏を覆うように小屋を作るところが寸沢嵐(すわらし)・道志地区です。どんど焼きの当日にイエと呼ばれる新しい小屋を作り、前年に作ったイエを壊して燃やしながら団子を焼きます。最初の写真は古いものを壊しているところで、二枚目が完成したその年のイエです。市内ではほかにも中央区田名などに小屋を作る集落があり、この道志では別の地区でも小屋が作られています(平成21年[2009]1月16日)。                 

 

最後の写真は青野原の嵐・下原・上原地区で、この地区では行事をセーノカミと呼び、点火前に地区の道祖神の石仏に酒を供えてお参りします。そして、道祖神の幟(のぼり)があり、団子を焼くそばに幟を立てます。神奈川県内西部には道祖神の幟が見られ、市内では南区上新戸(かみしんど)にも幟がありますがほかには確認できず、珍しいものです(平成29年[2017]1月7日)。                 

 

以上のように、津久井地域でも興味深いどんど焼きが行われています。津久井地域の状況は前回紹介した「博物館の窓」の「民俗の窓」欄とともに、旧津久井町については『津久井町史文化遺産編』でも現状や伝承が取り上げられていますので、関心のある方はご覧いただければと思います。『津久井町史文化遺産編』は博物館や図書館などで閲覧できます。

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オシドリの銀杏羽

先月、水鳥の調査の様子をこのブログで紹介しました。1月17日にも、同じダム湖で調査を行いました。今回もオシドリがたくさんカウントされ、美しい姿に惚れ惚れしながら調査をしました。

オシドリのメス(左)とオス(右)

オシドリは、特にオスが冬にきらびやかな姿になり、どの部分を見ても美しいのですが、特に際立つのは銀杏羽(いちょうばね)と呼ばれる羽です。

オスの背中の両側に大きな美しい銀杏羽が立っています。

この羽は翼についている羽の一つです。飛ぶために一番重要な役割を果たす風切羽(かざきりばね:翼の外縁に一列に並んで伸びる大きな羽)の中で、一番付け根近くにある三列風切(さんれつかざきり)の1枚です。風切羽は、人間で言うと腕の部分と直接つながっています。翼をたたんでいる状態では、扇子をたたむようにきれいに収まるので、通常は風切羽が飛び出ることはありません。しかし、オシドリのオスはとまっている時、このように銀杏羽をわざわざ目立つように上に立てて、メスへアピールします。
ただ、飛ぶ時にも出っぱってしまうと、風圧を受けて邪魔になります。オシドリのオスが飛ぶ時、銀杏羽はどうなっているかというと・・

飛ぶオシドリのオス 赤い点線内が銀杏羽

他の風切羽と平面上にしっかりと並び、三列風切として機能していました!
さらに、ナポレオンハットのような形の大きな頭も、頭の羽を立てて膨らませているだけで、飛ぶ時はきれいに寝かせてしっかりと流線形になっています。
美しさと機能をしっかり両立させている姿を見ると、オシドリの魅力をいっそう強く感じてしまいます。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No87 どんど焼き・団子焼き②)

前回に引き続き、1月のどんど焼き(団子焼き)の写真を紹介します。

最初の写真は、緑区大島・上大島地区の団子焼きです。当時、上大島全体ではなく、普段から冠婚葬祭などの時にお互いに手伝いあう家々である講中(こうじゅう)単位で団子焼きを行っていて、そのため燃やすものも大きくはありません(平成18年[2006]1月9日撮影)。                                                                          

 

これに対して、自治会単位で大きな燃やすものを作るところもありました。次の写真は前回も紹介した南区大沼で、地区の広場に高さ数mに及ぶものを作り、燃やします。写真をよく見ると、燃えているものの前に何かあり、これは地域の道祖神(どうそじん)の石仏で、道祖神を点火の前に飾ります。道祖神は、普段は広場の一角にまつられていますが、取り外しできるようになっていて、三枚目の写真の左側の「奉献」と書かれた台石の上に、この日以外は置かれています(平成19年[2007]1月8日)。                                                                        

 

この行事は道祖神をまつるとされることが多く、道祖神を覆うように小屋状のものを作る地区があります。古くは小屋はもっと大きく、子どもたちが夜に小屋に泊まったこともあったと言われています。

次の写真は、これも前回に団子焼きをしている写真を掲載した南区中宿・下宿で、隣りの上宿と同様に藁で小屋を作っており、その横で団子を焼いていました。二枚目の団子焼きの写真の左側に、屋根が写っています(昭和62年[1987]1月14日)。                                                                          

 

最後の写真は南区当麻・原当麻地区で、ここでも道祖神の石仏の前に小屋が作られ、団子焼きは奥の広い場所で早朝に行われました。三枚目の写真で紙を持った男性が見えますが、この火で正月の書き初めを燃やそうとしているところです。どんど焼きでは団子だけでなく、書き初めを燃やすと字がうまくなるといわれていました(平成16年[2004]1月9日)。                                                                      

 

今回も何か所かの事例を取り上げましたが、このほかにも各地の毎年の様子は、博物館HPの「民俗の窓」に平成22~28年[2010~16]度まで掲載しています(HPトップページ右上「リンク」→「博物館の窓」→「民俗の窓」)。

「民俗の窓」には撮影した各地区の状況のほか、市内外の道祖神の小屋などの特徴的な行事について触れています。また、どんど焼きだけでなく、さまざまな祭礼行事やそのほかの内容も記していますので、あわせてご覧いただければと思います。

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コナラの年輪

1月12日~13日のメンテナンス休館が明けて、14日から通常開館しています。
休館中は、駐輪場内のコナラとクヌギがナラ枯れ病(正式には、ブナ科樹木萎凋病:ぶなかじゅもくいちょうびょう)にかかってしまったために伐採作業が行われました。伐採後の切り株は薬剤処理を行っているので、現在駐輪場は使用できなくなっています。

伐採後の駐輪場

駐車場の道路側の一画に臨時駐輪場を設けていますので、しばらくの間、自転車はそちらに停めていただくようお願いいたします。
下の写真は、昨年8月11日撮影した駐輪場の様子です。梅雨の間まで青々と茂っていた葉が、見る見る茶色くなってしまいました。

2021年8月11日の様子

さて、伐採木のうち、コナラの幹をちょっと観察してみました。直径を測り、年輪を数えるためです。伐採されたことは残念ですが、切ってみて初めてわかることがあるため、せっかくの機会を逃すわけにはいきません。

根もと付近の切断面

根もとの一番太いところで長径52センチメートル、人間の目線くらいの高さで、43センチメートルほどありました。
ナラ枯れ病で枯れた幹の内部は、褐色に変色するとされていますが、この株は一部に変色は見られたものの、おおむね健常木の断面とほとんど変わりがありませんでした。

左端の切断面の一部にだけ材の変色が見られます

さて、年輪の数ですが、数えやすい明瞭な部分で数えてみると、最大で39本(39歳)でした。途中、29~31本目の間隔がとても狭くなっており、「何があったんだろう?」とちょっと気になりました。また、9本目までは間隔が広く(成長速度が速く)、10本目から間隔が狭くなっていました。
こうした特徴は、生育場所の環境や周辺の樹木との関係、そして気候など様々な要因によって現れるものであるため、コナラの一般的な特徴とは言えません。それでも、切り株から得られる貴重な情報なので、しっかり記録しておこうと思います。

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