みなさんこんにちは。歴史分野の実習生です。分野別実習最終日は、ミニ展示の設営を行いました。
解説パネル、キャプション、書き下し文等の打ち出し、パネルの切だしを行いました。
最後に作成したパネルをボードに貼り、展示ケース内に資料を入れて最終調整を行いました。ボードに虫ピンが刺さらなかったり、実際にボードにパネルを貼るとイメージと異なり、悪戦苦闘しました。
頑張って作ったので、博物館が開館したらぜひ見に来てください。
みなさんこんにちは。歴史分野の実習生です。分野別実習最終日は、ミニ展示の設営を行いました。
解説パネル、キャプション、書き下し文等の打ち出し、パネルの切だしを行いました。
最後に作成したパネルをボードに貼り、展示ケース内に資料を入れて最終調整を行いました。ボードに虫ピンが刺さらなかったり、実際にボードにパネルを貼るとイメージと異なり、悪戦苦闘しました。
頑張って作ったので、博物館が開館したらぜひ見に来てください。
博物館では、市内で発見された生きものの問い合わせが頻繁にあります。中でも、特定外来生物に指定され、人間に対して害を及ぼす可能性があるものは、市民から直接持ち込まれるほか、外来生物や衛生害虫などを扱う部署からも持ち込まれることがあります。最近多いのはゴケグモ類とヒアリの疑いのあるものです。先日、「ヒアリではないか」と持ち込まれたものがこちらです。市内ではまだヒアリの確認記録は無いので、ちょっと緊張しながら入れられてきた容器内を見ると・・
体長6ミリメートルほどで光沢があり、赤味がかった小さなアリ(のようなもの)。確かに、環境省が公開しているヒアリ情報の特徴にも一致します。でもでも、上の写真をよく見てください。脚の本数が・・8本あります。昆虫であるアリは、6本のはず。そうです、これは、アリではなく、クモなのです。アリグモ類という、アリそっくりに擬態(ぎたい)したクモの仲間の一種です。
アリグモ類のオスは触肢(しょくし)と呼ばれるクモ類特有の頭部の部位がとても大きく、よく見るとアリっぽくないのですが、これは、アリが物を運んでいるところに擬態しているという説もあります。そもそも、なぜアリに擬態しているのかというと、アリを嫌う(食べない)動物も多く、そうした動物からの捕食を避けるためと言われています。
1枚目の写真のアリグモの仲間(おそらく、ヤガタアリグモ)は、触肢が発達していないのでメスでしょうか。それにしても、アリとよく似ています。クモの眼は8個あるので、多くのクモの顔つきは昆虫とは似ていないのですが、アリグモ類はそのうちの1対を大きく目立たせて、アリに似せています。
ここまで徹底して擬態しているのが災いして、海外から持ち込まれたヒアリとも似てしまいました。捕獲されて毒の生きものの疑いがかけられてしまうとは・・このアリグモもまったくの想定外だったことでしょう。
ちなみに、アリグモ類は、クモ類の中ではハエトリグモの仲間です。あの、家の中をピョンピョンと飛び跳ねて蚊やハエを捕まえてくれるかわいいクモです。
アリグモ類は家の中には入らずに、樹林や草原に住み、植物の葉の上などで小さな昆虫を捕食します。ほかのハエトリグモ類と同様、人間にとってまったく害は無く、蚊やハエを獲ってくれるなど、人には良いことしかしない生きものです。なるべく、ヒアリと間違われないことを願うばかりです。
前回の「木」に引き続き、今回は「水」がテーマです。
最初の写真は、南区当麻の「笈退り(おいしゃり)」です。前回、時宗(じしゅう)を開いた一遍上人(いっぺんしょうにん)ゆかりの「なぎの木」を紹介しましたが、「笈退り」は一遍上人が杖で地面に穴を開けて清水を出し、その水が勢いよく湧き出したため、上人の笈(宗教者が荷物を入れて背負うもの)を後ろにそらせたなどと言われています(平成11年[1999]12月撮影)。
次の写真も笈退りと同様に清水が湧いている場所で、南区下溝の「おみたれ水」です。隣りに地域の神社である十二天神社があり、神社の下から湧き出ているきれいな水として、各地から水を貰いに来たと言います。また、この水が流れる沢では、かつてワサビが作られていました。市内でワサビ作りが行われていたことは、本ブログNo.12でも紹介しました(平成3年[1991]7月)。
これも前回に取り上げた照手姫(てるてひめ)の伝説では、中央区上溝から流れ出る姥川(うばがわ)の泉で照手姫は産湯(うぶゆ)をつかい、成長してからはお化粧の水に用いたとされます。河川改修で水源の泉はなくなりましたが、その跡に建てられていた照手姫伝承遺跡の碑は、横山丘陵緑地の姥沢地区内に移設されています(平成25年[2013]3月)。
もう一つ緑区小原の底沢地区にも、照手姫の化粧場だったという渓谷に「七ツ淵」があり、照手姫誕生の地とされています(平成28年[2016]5月)。
最後の写真は緑区佐野川・和田地区の「雨乞い淵」です。職員ブログでは「相模原ふるさといろはがるたでみる名所紹介」のシリーズもありますが、そのNo.36で、緑区川尻や緑区日連(ひづれ)の雨乞いの池を取り上げました。雨を降らせる際に祈願をする水場が各地にあったことが分かります。なお、和田地区は急斜面にお茶畑が広がり、この地区を含む佐野川全域が「にほんの里100選」に選ばれています(平成20年[2008]3月)。
水というと、川や橋など関連する事柄が多くあり、ここで取り上げたのは水に係わるもののごく一部です。今後も石や塚など、さまざまな内容に触れていきたいと思います。
みなさんこんにちは。歴史分野の実習生です。分野別実習5日目は、ミニ展示に向けての解説パネルの検討をしました。
解説パネルの文案を練っては考え直しを繰り返しました。
さらに更に下書きも作成しては訂正してを繰り返し、今日一日中文案の作成に頭を抱えました。
とうとう次回が実習最終日です。
より良い展示ができるように頑張ります!!!
お楽しみに!
みなさんこんにちは。歴史分野の実習生です。分野別実習三4日目は、ミニ展示に向けてのフィールドワークをしました。
ミニ展示で扱う萩原安右衛門と同じく八王子千人同心であった淵野辺本町の小川家と元橋本町の牛久保家に行きました。
博物館に帰ってきた後、ミニ展示に向けた話し合いを行いました。
資料を配置する構成や解説パネルの文章を検討しました。
ミニ展示の完成まであと3日です!
博物館が開館したらぜひ来館者にも観ていただきたいと思います。お楽しみに!
ジュズダマというと、懐かしさを感じる方も多いのではないでしょうか。お手玉の中身にしたり、糸でつないで首飾りにしたりと、子どものいろいろな遊びに使われていました。秋になると野みちに実るジュズダマを集めて回った記憶をお持ちの方も多いはず。
ジュズダマは、イネ科の外来植物(東南アジア原産)です。やや湿った場所を好むので、相模原では分布が限られ、相模川の河原の一部などで見られます。
背丈が1メートルを超える大型の植物ですが、イネ科なので花は地味です。下の写真は雄しべが垂れ下がっているので、開花中であることがわかります。
遊びの道具になるのは、花が終わると陶器のように固くなって光沢の出る、苞葉鞘(ほうようしょう)に包まれた果実です。
上の写真は黒く熟していますが、灰色から瑠璃色、青緑色など様々な色になり、それがまた子どもの収集欲をそそります。
ジュズダマは、実はハトムギの原種でもあります。でも、薬用成分はハトムギとは異なり、雑穀として食用にされたり、数珠(じゅず)を作る材料にされたり、または宝飾品としても利用されていたという説もあります。いずれにしても、日本ではかなり昔から利用されてきたようです。
緊急事態宣言を受けての休館により会期途中で終了した博物館×公文書館共催 相模原町誕生80年記念企画「軍都さがみはら展~国内最大の町誕生物語~」のコーナー解説④を記します。
今回は第4章「戦時中の相模原町の整備」です。
この軍都さがみはら展コーナー解説ブログ①「陸軍士官学校の東京からの移転」、②-1「各陸軍施設の移転と建設」前編、②-2「同タイトル」後編、③「軍都計画と相模原町の誕生」で紹介したように、1937年(昭和12)~1942(昭和17)にかけて、市域内には8つの陸軍施設が移転・建設され、その間にいわゆる軍都計画のもと、当時国内最大の町 相模原町の都市整備が進められます。
今回の企画展では、都市整備の事例として①区画整理(本シリーズブログ③「軍都計画と相模原町の誕生」を参照)、②水道整備(造兵廠等への給水など)、③住宅整備(相模原集団住宅「星が丘住宅」など)、④新駅設置と駅名変更(下記参照)、⑤相模原新都振興会(下記参照)を紹介しました。
展示資料については、⑤の相模原新都振興会関係を多く展示しました。この新都振興会とは、戦局が厳しくなるにつれ遅れ気味になった区画整理事業を国・地元が一致して軍都建設に協力するため、昭和18年(1843)3月に設立されたものです。
また、陸軍施設に伴って開設された駅(小田急線:相模大野駅や相武台前駅等、横浜線:相模原駅)や駅名変更などをパネルで紹介しました。
さらに、「陸軍施設があったのに大規模空襲がなかった相模原」と題し、当時の米軍戦闘機による機銃掃射に関連する資料を展示しました。
大規模空襲がなかったことについては明確な記録はありませんが、米軍が戦後の跡地利用を見据えてあえて陸軍施設への空襲がなかったと考えられます。
今回は、戦時中の相模原町の整備や空襲状況などについて紹介しました。これらの詳細は、『相模原市史 現代テーマ編~軍事・都市化~』ほか近現代関係の『相模原市史』などに掲載されていますので、図書館等でご覧ください。(市役所行政資料コーナーや博物館ミュージアムショップで購入も可能です)
また、当館は緊急事態宣言中は休館しておりますが、軍都さがみはら展の展示解説動画を当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」に掲載しておりますので、動画もぜひご覧ください。
当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」
次回は、軍都計画が礎となった戦後の相模原の開発について紹介していきます。
今月初めに、博物館実習生(生物分野)がこのブログで紹介してくれていた、カイコの伝統的在来品種の小石丸(こいしまる)の飼育も、すでに5齢期に入りました。
小石丸は、明治から大正時代まで極めて優良な品質の繭糸を生み出す品種として国内で生産されてきました。しかし、一つの繭からとれる繊維の量が少なく(現在の実用品種が一つの繭から1200メートルほどとれるのに対して、小石丸は800メートルほど)、昭和初期には実用品種としての役目を終えました。しかし近年、その繊細で光沢の強い繭糸の特性から、古代の服飾品の復元や、高級絹織物の原料に欠かせない品種として再認識されつつあります。
まだ脱皮直後(9月17日)ですが、斑紋が明瞭な小石丸の特徴が出ています。
さらに、小石丸の特徴は、繭の形です。中央がくびれた形は、日本の伝統的な繭形として、今も工芸品や郷土のお菓子などに残ります。
あと1週間ほどで繭を作り始めますので、その際にはこのブログで紹介します。
前回のブログでは、境川の流れに沿っていくつかの伝説を紹介しました。今回は「木」を取り上げますが、もちろん前回の緑区広田の「下馬梅(げばうめ)」や中央区東淵野辺の「縁切り榎(えのき)」も、市内の代表的な木の伝説です。
最初の写真は、南区当麻の無量光寺(むりょうこうじ)門前にある「なぎの木」です。無量光寺は時宗(じしゅう)を開いた一遍上人(いっぺんしょうにん)ゆかりの古寺で、一遍が突き立てた杖(つえ)がそのまま根付いたものと言われています(平成11年[1999]12月撮影)。
また、次の写真は、中央区横山台の榎神社境内の榎(えのき)で、照手姫(てるてひめ)が刺した杖が根付いたといい、そのため枝が下を向いていたので逆さ榎と呼ばれていました。現在は二代目です(平成12年[2000]7月)。
市内の照手姫の伝説は改めて触れたいと思いますが、それにしても下馬梅やなぎの木など、みな逆さに生えていたとされ、伝説の一つのパターンであったことが分かります。
次は、南区下溝の「八景の棚(はけのたな)」バス停近くにある「さいかちの木」で、戦国時代に武田信玄が小田原攻めをした際に、戦いに勝つ幸先(さいさき)を祝って、さいかちの木を植えたと言われています。この付近は、写真のように西側が崖になって見晴らしがよく、桜並木などもあってかつては料理屋などが並んでいました(平成11年[1999]10月)。
伝説に見る木の中には、現在はすでになくなっているものもあります。中央区田名のその名の通り大杉の池にあった大きな杉は、高尾山から見ても分かるということで有名だったと言います。写真の右側が大杉の池で、ここから流れる水は八瀬川(やせがわ)の水源となっています。また、水が湧く場所らしく弁天(べんてん)様が祀られています(平成11年[1999]2月)。
古くから伝わるものではありませんが、緑区長竹の大欅(けやき)はちょっと面白い話があります。昭和初期頃に付近の農家の人びとに天気を知らせるため、ラジオの天気予報によって天気ごとに色違いの旗を欅に掲げ、その結果で当日の農作業の計画を立てたと言います。地域の中では、時代に応じてさまざまな話が生まれていました(平成16年[2006]6月)。

最後は緑区相原の「二本松」です。明治の終わり頃に、この地にあった神社境内の木々は切り倒されたものの、道端の二本の松はそのまま残されました。その後、この松も枯れたりしましたが、地元に保存会が結成され、新たな二本松が植えられました。そして二本松の名称は、地区名や学校名など広く使われて地域の人びとに親しまれており、その由来とともに語られています(平成16年[2006]4月)。
伝説は、具体的な事物にまつわるさまざまな言い伝えや話として、多様なテーマが可能です。これからもいろいろな内容に触れていきたいと思います。
博物館お隣の樹林地では、エゴノキの果実が実っています。
そこへ、3羽のヤマガラが行ったり来たりしています。エゴノキの果実は、ヤマガラの大好物。
嘴(くちばし)で果実をつまみ取ると、茂みの中へ消えていきます。またすぐに戻って来るので、おそらく、木の洞(うろ)などに詰め込んで、貯食しているのでしょう。
おなかも空いているのか、時々、エゴノキの枝上で殻を割って中身を取り出して食べています。
人間が手の指などで割ろうとしても、固くて割れません。でもヤマガラは、嘴(くちばし)でつつくだけでなく、ひねりを入れながら器用に割って中身を取り出しています。
嘴は、キリやノミ、ペンチなどに相当する万能工具といったところですね。
エゴノキも食べられるだけでなく、ヤマガラが貯食したものの食べそびれた果実のうち、うまい具合に発芽条件の揃った場所から芽生える可能性があります。こんな行動からも、森と鳥の関係性が垣間見えますね。