【4/16まで】考古企画展「新発見!さがみはらの遺跡」を開催しています!

3月18日から4月16日まで、考古企画展「新発見!さがみはらの遺跡」を開催しています。

今回のテーマは「新発見」。
市内の遺跡は開発等により発掘調査され、その後、遺跡の内容が発掘調査報告書として刊行されます。そして遺跡からの出土品を博物館は郷土資料として受け入れ、収蔵しています。
近年、博物館に収蔵されたものを中心に、旧石器時代から戦国時代までの出土品を展示しています。

展示室の様子

 

前回の展示が「かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」であり、縄文人の生活を紹介したものでした。今回は通史的な視点から取り組んでみました。

旧石器時代の狩りの道具である石槍(いしやり)(山王平遺跡)

市内では数少ない弥生土器(川坂遺跡)

新しい遺跡の調査事例は、地域史の新たな1ページとも表現できます。特に文献資料がない旧石器~弥生時代は考古資料をもとに考えていくことが求められます。今回の企画展から、さがみはらに生きた人々の生活を感じていただければと思います。

また、展示を担当した学芸員による解説を、3月26(日)、4月9日(日)の午後2時から行います。申し込み不要ですので、特別展示室へ直接お越しください(どちらも同内容)。

さらに市内の遺跡に関連する施設として「旧石器ハテナ館」、「史跡勝坂遺跡公園」を紹介しています。遺跡について詳しく知ることのできる施設ですので、こちらもぜひ足を運んでみてください。

遺跡について楽しく学べます。

旧石器ハテナ館ホームページ(相模原市の公共施設のページ):
https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kurashi/shisetsu/bunka_shakai/library_etc/1002761.html

史跡勝坂遺跡公園ホームページ(相模原市の公共施設のページ):
https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kurashi/shisetsu/kouen_kankou/kouen_ryokuchi/1003090.html

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光明学園相模原高校 自然探究

3月8日(水)に光明学園相模原高校の「自然探究」の授業で、相模原市立博物館の学芸員が講師を務めました。

「相模原の台地は富士山と相模川が作った!?」と題して、光明学園周辺の地形と地質の講義と現地観察会です。

この「自然探究」は学校の関係者以外の一般の方にも参加を呼びかけ、生徒さんと地域の方々が交流する場を設けることも目的の一つとのことでした。

午前中に相模野台地の地形や地質の特徴と成り立ちについての講義を行いました。

午後からは実際に野外に出かけ、地形や地質を観察しました。

相模野台地の河岸段丘地形の観察。

段丘礫層と関東ローム層が積み重なっている様子の観察。

段丘礫層の観察。

地層に近づけるところでは、間近で観察したり、地層に直接触ったりして、熱心に観察していました。

地形や地層は身近にあっても、じっくり観察したり、その特徴や成り立ちなどを深く考える機会は少なく、今回の「自然探究」は、地域の地形や地質について考える良い機会になったのではないかと思います。

午後の野外観察では、生徒さんたちと地域の方々が地層を見ながら会話をしており、交流を深めることができたようです。

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博物館収蔵資料紹介~草競馬・相撲・大凧~

今回も人々の娯楽に関係する資料を取り上げます。

前回、祭りの余興(よきょう)などとして行われた地芝居(じしばい)の資料を紹介しましたが、大正から昭和初期にかけて、地域の人々による相撲(すもう)や草競馬(くさけいば)が流行り、春の祭りに相撲や競馬、秋には神樂(かぐら)や芝居などが行われたりしました。

次の写真は、草競馬の旗で「高峰競馬会」とあり、愛川町高峰地区で行われた競馬と思われます。また、字が薄いところがありますが「寄贈」「原町田牛馬商」「田所儀作」と記されていて、町田にあった牛や馬を扱う業者が、優勝した馬に贈った旗と考えられます。                   

こうした草競馬は市内でも各地で行われ、また、出走させる馬を飼う家もところどころにありました。写真の資料は、中央区上溝の方から寄贈いただいたものですので、上溝にいた競走馬が優勝した際に貰った旗でしょうか。

次の資料は、力士のしこ名などが書かれた相撲の番付(ばんづけ)です。素人相撲ではなく、昭和29年(1954)11月26日に上溝商店連盟が主催した大相撲の地方巡業(じゅんぎょう)のものです。「相模原市制施行記念」とあることから、同年11月20日の市制施行に合わせて実施されました。相模原町から市となるといった、本市の大きな歴史の動きを祝う一大イベントは多くの人々を楽しませたことでしょう。                   

 

南区新磯地区で、毎年5月4・5日に相模川沿いの広場で行われる「相模の大凧揚げ(おおだこあげ)」は、地域を代表する行事として市の無形民俗文化財に指定されています。さらに、子どもの誕生を祝って五月節供(せっく)に大きな凧を揚げる習俗は全国各地にありますが、関東地方の中で代表するものの一つとして、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されています(※)。

次の写真は、平成24年(2012)の大凧がまさに揚がったところです。                   

大凧は子どもの初節供だけでなく、4月頃の凧を揚げるのによい風が吹き出すと、地元の青年たちが集まって楽しみに揚げていました。そして、この凧は非常に大きいため、竹の骨組みに結ぶ麻糸の糸目(いとめ)が重要で、凧が揚がるかどうかは糸目の付け方で決まると言われます。次の写真は、和紙を貼る前に凧を立てて、付けた糸目の調整をしているところです。                   

最後の写真は大凧の模型で、「相模の大凧文化保存会」会員の方が製作したものです。実際には行事の際に現地に行かないと見ることができないものでも、こうした模型によって糸目の状況がよく分かり、大切な資料と言うことができます。                  

※選択名「関東の大凧揚げ習俗」平成3年(1991)2月2日選択、平成3年度記録作成。

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オキナグサ開花

博物館では市内に分布する絶滅危惧植物のうち、いくつかの種について系統保存のための栽培を行っています。そのひとつであるオキナグサが開花しました(一般の方が入れない場所で栽培しています)。

オキナグサ

オキナグサは、山地の斜面が崩落などによってガレ場(裸地化)になると、真っ先に進出してくるパイオニア植物です。神奈川県内では、丹沢山地の斜面にわずかに分布するほかは、相模原市内で2カ所ほどに自然分布するだけの希少な植物です。オキナグサの名は、全体に白い毛が密生する様子を、翁(おきな)の髭(ひげ)に見立てたものです。
さて、先日もこのブログで紹介したコブシがきれいに開いています。

コブシの花

コブシの花びらの数を数えると、6枚のものがほとんどです。ただし、植物学的に見ると、6枚は正解になりません。花の下に、小さくて丸く反ったものが3枚ついています。これも構造上、花びらに含まれるものです。

花の下側に小さく反りかえった部分が外側の3枚の花被

こうした多層構造になった花びらを「花被(かひ)」と呼び、ユリの仲間などにも使われる用語です。ちなみに、ユリは外側3枚、内側3枚の花被で花が構成されています。コブシの場合は、3枚×3層=9枚の花被ということになり、内側の2層の花被片が大きく目立つため、花びらが6枚に見えるのです。

さて、度々お伝えしているヒレンジャクの群れは、3月14日までは30羽近くが博物館周辺にいましたが、3月17日現在は、数羽にまで減りました。

ヒレンジャク

また群れがくっついたり離れたりしながら移動するのでこのままいなくなるかはわかりません。しかし、そろそろレンジャクフィーバーも過ぎ去ろうとしているようです。

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縄文ムラの地形観察会

3月12日に相模原市文化財保護課が主催するイベント、「縄文ムラの地形観察会」が開催されました。相模原市南区磯部の勝坂遺跡公園周辺を歩いて地形や地層を観察しました。勝坂遺跡公園は縄文時代の遺跡が発見された場所に整備された公園です。

勝坂遺跡公園周辺は複雑な地形をしており、狭い範囲にいくつも坂や谷があったりします。この公園周辺はこの複雑な地形のおかげで、比較的短時間で相模野台地の特徴的な地形や地質をほとんど見ることができる“お得な”地域です。

まず、公園内にある管理棟で相模野台地の地形や地質の概要を30分くらい説明しました。

野外では坂道を降ったり登ったりしながら、段丘地形と段丘を作っている地層を観察しました。また、地形や地質と深い関係がある湧き水も観察しました。水は人が生きていく上で欠かせない重要な要素で、川や湧水は縄文時代の遺跡と関連している場合が多いです。

崖の下部からの湧き水の観察。

段丘を作っている関東ローム層の観察。

相模川対岸の段丘地形の観察。

上の写真で皆さんが見ている風景。

湧き水の流れが作った谷地形と段丘をつくっている礫層の観察。

地形や地層を観察しながら、時には縄文時代の人たちの暮らしに思いを馳せて散策してみてはいかがでしょうか。

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コブシ咲く

3月14日、博物館前庭のコブシの花が満開となりました。

コブシ

早春の青空によく映えます。

コブシの花

純白の可憐な花なのに、コブシ(拳)とは?
その理由は、夏の終わりころに実る果実にあります。

コブシの果実

果実が握り拳に似ているから・・
いや、それもわかるけど、なぜ早春を象徴するこの花にちなんだ名がつかなかったのか、不思議でなりません。
ちなみに、庭木などとしてよく植えられている同じ仲間のハクモクレンは、漢字で書くと白木蓮。ハス(ハス)に似ているかはさておき、納得いく名前です。
人間が勝手につけた名に関係無く、今、市内のあちこちでコブシの花が青空を背景に咲き誇っています。

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高校の生物系部活動の交流会

3月11日、博物館に高校生たちが十数名集まりました。みんな、生きもの好きの生徒さんたちです。上溝南高校生物探求部と、光明学園相模原高校理科研究部、そして穎明館高校生物部の有志のみなさんです。博物館で実習兼交流会をやってみようということで集まっていただきました。
まずは、タンポポの、花粉による在来種の識別です。野外に出て、咲き始めた在来種のカントウタンポポ(と思われる)花を採集します。

咲き始めたカントウタンポポを確認!

現在道路沿いなどで咲くタンポポの多くは、在来種と外来種の雑種由来のものです。しかし、博物館周辺にはカントウタンポポがたくさんあります。

カントウタンポポ

在来種と雑種は見かけの識別が難しいため、花粉を顕微鏡で観察して識別します。プレパラート(資料をスライドグラスの上に乗せて固定し、顕微鏡観察できる状態にしたもの)を作ります。

花粉のプレパラートを作成中

カントウタンポポと判断できる、粒のそろった花粉です。

カントウタンポポの花粉 粒がそろっています(雑種や外来種は粒の大きさが不揃いです)

この後、勢いでスギやヒノキの花粉も観察してから、バックヤードも見学しました。
午後はフクロウの食性分析作業です。自然環境観察員のみなさんも加わり、いつになく大勢での作業となりました。

フクロウが食べた後に不消化物を吐き出した塊(ペリット)の中身を分析します

羽根班と骨班に分かれ、部位別、種類別に仕分けていきます。

羽図鑑と照合中

午後4時、みっちり生きものづくしの一日を過ごして、学校間の交流の成果もあげて終了となりました。
ところでこの日は、昨日まで博物館のまわりを飛び回っていたヒレンジャクの群れが姿を見せず、遠くへ去ってしまったのかなと思っていました。しかし、ちょうど交流会が終了した直後に、駐車場に姿を見せてくれました。慌てて外へ出ると、博物館の屋根の雨どいの水を飲みに!

フィナーレはヒレンジャクの群れ!

最終的に群れは70羽を超えていて、まだまだこの付近に滞在していることを確認できました。最後まで残っていたみなさんも大喜びで解散となりました。

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滞在1週間

先日、このブログでお伝えした冬鳥のレンジャクの群れは、1週間経った3月10日もまだ、博物館周辺で見られます。

エノキにとまるヒレンジャク

ただ、群れは最大70~80羽くらいまで膨れ上がりましたが、現在は20~30羽があちらこちを移動しながら過ごしているようです。お隣の樹林地を含めてヤブランの果実がだいぶ食べつくされつつあるのと、やはり地上付近にしかないヤブランを食べるのは勇気がいるようです。時々舞い降りて食べていますが、すぐに樹上へ上がっていきます。現在はどうやら、エノキの膨らんできた冬芽を中心に食べているようです。

エノキの冬芽をつまんで食べるヒレンジャク

エノキは果実も冬鳥に好まれますし、若葉の頃にはたくさんのイモムシがつくので、それを食べにたくさんの小鳥がやってきます。鳥たちにとっては本当にありがたい木です。

ヒレンジャク 飛ぶと尾の先の赤がよくわかります

初夏のような陽気ですが、レンジャクたちにはもう少し滞在していただき、私たちの目を楽しませてほしいです。

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ミニ解説③ 家康の重臣ゆかりの地

現在、相模原市立博物館では今年の大河ドラマにちなみ、ミニ展示「相模原にもあった!?徳川家康ゆかりの地」を開催しています。
話題のドラマに関連したミニ展示ということで、先月はNHKとの共催で本家大河ドラマ「どうする家康」出演者等身大パネルが当館にやってきたりと、おかげさまで反響をいただいています。(※等身大パネル展は2/26(日)に終了しました。)

このブログでは、過去2回にわたりミニ展示の見どころや裏話を紹介してきましたが、3回目となる今回はタイトルのとおり「家康の重臣(じゅうしん)ゆかりの地」にまつわる話をお伝えします。

ミニ展示の様子

重臣とはおもだった有力な家臣のことで、ドラマでも家康と家臣たちのやりとりに重きを置いて描かれているように、家康には数々の有名な重臣が仕えていました。
その中でも有名なのが、酒井忠次(さかい ただつぐ)、本多忠勝(ほんだ ただかつ)、榊原康政(さかきばら やすまさ)、井伊直政(いい なおまさ)の4名で、これらの重臣を総称して「徳川四天王」と言います。

市内緑区根小屋にある津久井城では、1590(天正18)年の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、徳川四天王のうち井伊直政、本多忠勝らが関わったとされています。
津久井城は山城(やまじろ)で、山そのものがひとつの城となっています。自然の地形を巧みに利用して築かれており、山の周囲には竪堀(たてぼり)という斜面に沿って縦方向に設けられた堀が張り巡らされています。これは、外敵の平行移動を防ぐほか、侵入経路を限定し、城側からの攻撃をしやすくする役割がありました。
徳川家臣団との大規模な攻城戦があったという記録が残っていないため、井伊直政や本多忠勝が津久井城の地形や竪堀に苦しめられたかは定かではありません。しかし、このミニ展示の準備にあたり、歴史担当職員が実際に竪堀を歩いてみたところ、確かに堀の間を動くのに一苦労しました。

山麓から見た津久井城

続いては、南区新戸(しんど)にある陣屋稲荷です。ここは、若年より家康に仕え、関東総奉行(ぶぎょう)、江戸町奉行、老中(ろうじゅう)などの要職を歴任した内藤清成(ないとう きよなり)ゆかりの地で、清成が本市域内など相模国(さがみのくに)5,000石を拝領した際に設けた陣屋跡地の一角と考えられています。陣屋の広さは2反6畝(=約2,600㎡)と言われており、ダブルスに使用する一般的なテニスコート1面が約260㎡なので、およそ10面分に相当します。
また、陣屋稲荷はミニ解説①で紹介した新戸の一里塚や座間市の宗仲寺に程近いため、一緒に現地を巡ってみるのもおすすめです。

内藤陣屋伝承が残るこの路地は陣屋小路と呼ばれます。

最後に、恒例の絵葉書コーナーの展示替えについて紹介します。3月7日(火)から第3弾の展示が始まっており、春が待ちどおしい小田原城の桜花や、日光・府中・三島の荘厳な寺社などが描かれた9点をご覧いただけます。

絵葉書も会期終了後は一旦見納めです。それまでにぜひご覧ください。

実物資料の展示替え及びミニ解説は今回で最後となります。ミニ展示は3月26日(日)までの開催となりますので、まだ展示をご覧になっていない方、もう一度ご覧になりたい方、たくさんのご来館をお待ちしています。

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博物館収蔵資料紹介~庶民の娯楽 地芝居~

前回取り上げた義太夫(ぎだゆう)とともに、庶民の娯楽として盛んだったのが地芝居(じしばい)です。昔の神社の祭りでは余興として芝居がよく演じられ、金を払って各地にいた芝居師を頼む一方で、そうしたなりわいとして芝居をした人たちとは別に、地元の人々が自分たちで歌舞伎(かぶき)や時代劇を習って、祭りに限らず芝居をすることが各地でありました。

次の三枚の写真は、いずれも町田市相原町で芝居をしていた内藤鶴吉さんの一座で大正10年(1921)頃まで使用していたものです。この方は、足袋(たぴ)や半纏(はんてん)などを扱う仕立て屋(したてや)を営みつつ、芸事が好きで芝居の座元(ざもと)としても活躍していました。一座は東京都の多摩地域を中心に、緑区橋本の祭りなどでも頼まれて芝居をしており、市外の方が保管していた資料をご寄贈いただきました。

最初の写真はきらびやかな舞台衣装で、こうした衣装も芝居をするのに必要なものは一そろいあったそうです。そして、芝居をやらなくなってからは、近所の青年たちが行った娯楽会に貸し出したりしました。二枚目は演者がかぶる鬘(かつら)、三枚目は小道具の刀(かたな)です。

 

次の二枚の写真は、山梨県の甲東村(こうとうむら・現上野原市)にあった素人歌舞伎の一座で女性や子どもも写っています。この写真は昭和21年(1946)頃のものではないかとされ、撮影場所ははっきりしません。一座は農閑期に各地を興行し、隣接する緑区日連(ひづれ)や牧野(まぎの)などでも演じていたということで、横浜市南区の方から本館に寄贈されました。                   

 

なお、前回も紹介した、平成22~28年度にかけて博物館の各分野の活動などを記した「博物館の窓・民俗の窓」では、平成24年度記事のNo.42「今年も藤野歌舞伎を楽しませていただきました」として、現在でも地域で行われている「藤野の村歌舞伎」(市登録無形民俗文化財)を取り上げています。https://sagamiharacitymuseum.jp/blog/2013/12/17/h24_minzoku/#minzoku24-9

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